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おわらいってなんだろうねー
私は考えることが大好きです。
四六時中考えなくてもいいことを考えているし、考えなくてはならないことを後回しにしつつ頭の片隅でミニ私が考え続けていたりする。
今日は特に何もなかった日だし、お笑いについて考えたことを書く。
気楽に読んでくれたら嬉しい。
私はお笑い好きになる前バラエティやネタ番組で笑いをとったことに対して「このネタ(発言)面白い」という感覚で見ていたはずなのに、お笑い好きになってからは「この『人』ウケてるな〜」という感覚になっている。
どういうことかというと、前まではその発言であったりネタに対する面白さであったのに、お笑い好きになったことによって人自身を見るようになり、この人がウケてたら嬉しい、さらに面白いみたいな感情になることがある、ということ。
賞レースも同じ。ネタより何より「結果」に対しての感情が先に来ることがある。
前提としてその人の面白さが好きで応援していることがほとんどではある。
それが良いとか悪いとかではなく。
大喜利に関していつも考えてることがあって、面白いかどうかはかなり回答者によるのではないかということ。
「あれ、この回答ってこの人が言っているから面白いだけで一般人が言ってたらどうなんだ」みたいな。(これを実際の回答者の回答に対して思うことではなく例として)
ある大喜利対決番組に対して「これ完全に『人』で勝ったじゃん」という時はたまにある。
ただ私は「『人』もお笑いのうち」みたいな考えに共感する。
その回答者がこれまで作り上げた「この人に答えさせれば受けるだろう」「この人は面白い」という信頼であったり、その信頼をさらに強固にする実績であったり。それはもうその回答者の「実力」といっても過言ではない気がする。というか実力。
好きな芸人さんが若手だった場合それで悔しいこともあるけど!!
とにかく面白い方が勝つということですね。シビア。
結局どちらでも楽しいからそれでいい。笑えればいい。
『人』で笑っている私も『ネタ』で笑っている私もお笑いが好きなことに変わりはないです!
脳から直で書きましたので色々許してください、さようなら。
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