宿世(すくせ)

 どんな人生もすべからず尊いのは言うまでもないが、どう考えても運不運が付き纏うのは事実である。

 こう言うと、それでは努力なんて言うのが無意味になるではないかと言われてしまってどうしようもなくなるのであるが、才能、能力と言うものは半分以上が生まれ付きである。イチローさんは、元々優れた下地があって、その上に好きこそものの上手なれと言う奴で、努力をしたから一流選手になれたわけで、凡人が彼と全く同じメニューの練習をしたって一流選手にはなれないのである。

 戦時中に敵機の落とした爆弾で死んでしまった人々は、悪行を繰り返した人々では決してあるまい。全き善人ばかりでもあるまいが、ひだるさの中で敵の爆弾で殺されねばならぬ程の人々ではなかったはずである。どの時代に生まれ、どのような人生を送るのかはすべて宿世、なのである。

 平安時代の文学は多く、下級貴族の女性たちの手になる。中宮や女御はもとより更衣の候補すらなれない下級貴族の娘たちは、我が身の不遇をかこち、もしもせめて我が身が大納言の娘であったならば、帝の更衣となってどれほど晴れやかに女房達にかしずかれたであろうか?東宮様が夜な夜な通ってこられて、わたくしの琴の音を弾く手をそっとお取りになって我が身をぐっとお引き寄せになられたならばどんなに幸せだろうかと想像するしか、心を遣る術がなかったわけである。それでも、その夢想は夢想でしかありえないこともちゃんと分っているから、全ては「宿世」なのだと諦念するのである。

 子供は思うように育たない。投資は思ったほど運用益を生まない。ご近所の誰それさまは付き合うのに難儀なお人。往来に出れば、命の危険を感じる蒸し暑さ。

 全くこの世は思うに任せないことばかりである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?