愛欲の果てに…(その一)

 好きで信仰してるんだから本人は至って真剣なんだろうが、のめり込むのも程々にするがよい。他人のふりを見てみればヨロシイ。他人様の真剣な様は、実に滑稽に見えるもんです。

 徳川家は増上寺にも寛永寺にも菩提所があって、浄土宗と天台宗のごっちゃまぜで、随分いい加減なもんだなと調べてみれば、徳川家自体は代々浄土宗だが、家康公個人が天台宗に入れ込んでいたために起こった両方への義理立てがそもそもの始まりだそうで、将軍一代ごとに入れ替わりで菩提所が変わったそうで、将軍家と言えども気遣いをせねばならなかったのは、全く気の毒なことです。

 寛永寺は関東天台宗の総本山ですから、格式が高く座主には代々皇族が就くという習慣があったそうです。しかも将軍家の菩提所の一つでもありますから、自然常々将軍家との交流もあり、所属する僧侶にも相当な格式があったのは当然の事でしょう。

 僧侶の女犯禁制は当然のことながら、生物としての性欲のはけ口として美童を持つことを非難せぬどころか尤ものこととして書物にも書き残しているところを見ると、当方なんかは人間の情を解さぬ石頭なのかも知れません。

 なに、天台宗の格式の高い僧侶だってすることは同じこと。美少年を愛玩しておりましたが、早いものでもう二十二、三の若者にもなります。大人の責任と言うもので御座いましょう。普段から付き合いのある武士の伝手を頼りにしまして、しかるべき武家の養子に出すことに決まりました。娘を嫁に出すようなもので御座いましょう。立派な衣装や腰の大小なんかも恥をかかすわけにもいきませんから念入りに吟味して持たせてやろうと思っております。


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