波動と量子の原点

波動や量子の原点に立てば、思考は波となり周囲に影響を与えます。その波は言葉であることもありますがどちらかといえば言葉ではなく、その奥底に潜む考えであったり思考であったり哲学であったりします。きれいな言葉は人々に希望を与えるかのように錯覚しますが、それが通用するのは考えない人々だけであり感じ取れない人々だけになります。本当に感じ取れる人はその言葉に実体が伴っているかを察知するのです。

子どもが小さい頃遊んだオモチャはあっという間に見捨てられます。そうするとそのオモチャはつやというかオモチャとしての存在感は失われていきます。ペットがかわいい、ペットが家族だというニンゲンたちは多いですが、気付くとのそのペットは捨てられたり処分されたりします。名刀は根気ある時間の中で磨き続けられるからこそ感動を呼びます。本当は人々は言葉には価値がないということさえ知っていたのに、現代では言葉ほど重要なものはないとされているようです。

家や建物は人がすまなくなるとすぐに朽ちてしまいます。もちろん住んでいないからというのもあるでしょうが、この考え方に基づけばそこに実体と波動...的なものが存在しないからです。古代の民族たちも動物たちもこれを察知する能力にたけています。彼らは自然と一体化する術をすでに身に着けています。しかしジンルイはすでにその能力を喪失し、人の心の裏にあるものや行動の裏にあるもの、その生物たちがなにを意図しているのかを読めなくなってしまいました。

表面を取り繕い希望あるように見せかけるのは、実は医学的にいう対症療法と同じです。何かを根本的に解決したり取り組もうと思うのならば、そこに楽しいもうれしいも希望も存在せず、まず闇を見据えて現実を直視しなければなりません。そしてその後に出てくる行動、そもそもどんな行動をしているのか、そこにある二重三重の意図、それらを人々が見据えたときに人々は感動するのだと思います。いや、昔の人々はそれを理解して感動することができたのです。

今の地球には表面的な優しさ、権利欲、理解願望、無関心、言動不一致、偽善の罠、愛という名の嘘しか残されていなそうです。あなた方がなにを考え何を為そうとするのか、瞬時に洞察し察知できる人はもういなくなりました。現代ほどに人が人を理解し人が人を判断する、人に何かを期待し人が変革する人が目覚める、それをほんの少しでも求めるのは不可能であると感じる人はまだ幸せです。もしかしたらそんなことより日々の小さな幸せを感じていたほうが、まだましなのかもしれません。

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