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自分の居場所作りに種まきをする

以前住んでいたアパートの近くにある、お気に入りのお花屋さんに、久しぶりに行ってきました。
店主さんから
「お店の人が言うのも変なんだけどね、お酢ちゃん、元気にしてるかなって思ってたんだ〜☺️」
と、嬉しい言葉をいただきました。

商店街のハズレにある、小さな花屋さんで、オープン当時から通っているのですが、私の転居に伴い、毎週末訪れていたのが、どんどん行かなくなってしまい。
お店も、どんどん人気になっていって、たまに行っても、他の熱心なお客さんが楽しそうにしてらっしゃるので、そそくさと帰ることが多かったんです。
なので、個人的には、古参の細客(神出鬼没)になったかなと、思って、なんなら古参とかすら、思われてないんだろうなって思っていたので、久しぶりに会話ができて、嬉しい言葉もかけてもらえて、感激しました。

私は、好きだなと思った人やお店には足繁く通うタイプの人間なので、行きつけみたいなのができたりする。
この花屋さんもそのうちの一つ。
当時は、冒頭の温かい言葉をかけてもらえるようになるほど、知り合いになれると思っていなかったけど、「自分の居場所作りに、種まきをしてきた」んだと感じました。

いろんなところに、依存先を作ると良いとよく聞く。
友人や家族、恋人に分散することも、一つの手だけど、こうやって自分の行きつけを作ることで「何者でもない自分」で知り合える人もいるし、逆に「何者かになった自分」で知り合える人もいると感じます。

お花屋さんと仲良くなったのは、毎週末にお花を一輪買いに行くこと、そこから会話が広がっていって・・・と、ちゃんと常連さんな流れです。
そこで、自分の居場所と私が思えたのは、「何も隠さなくていい、今の自分」の姿でお話ができたから。
当時、昼夜兼業(周りには秘密にしていた)していて、好きあらば飲酒をして、個人的自堕落な生活を送っていた時期でした。
友人と遊ぶ時間もなくて、特定の彼氏もいなかった、母との関係もあまり良くなかったことから、お花屋さんとお話しするのが癒しの時間になりました。
このお花屋さんの人柄が素敵なことが、最重要な条件だったと思いますが、唯一何も隠さなくてもいい存在だったんです。

また違うところで言うと、行きつけのバーがありました。
そこでは、自分のことを話したりなどするほどのコミュニケーションはなかったものの、「しっぽり飲む近所のお姉さん」でいられた気がします。(主観すぎる)
知り合いと飲むとイケイケのアルハラ姉さんだった私が、そんなしっぽり姉さんになれたのも、その場所があったからと思います。
どちらの自分が正しいとか、偽っていたとかは思わなくって、どちらの私も私なんですよね。

だから、いろんなお店を知って、お気に入りを見つけて、そこの空間では「なりたい自分」でいることをすると、自分の居場所がいろんなところに散らばって、楽しくなるのかなと、思いました。

そういえば、引っ越してきてから行きつけを作ってないので、この街でも種まきを初めてみようかな。

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