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【アニメ話】涼宮ハルヒの憂鬱、「エンドレスエイト」をリアタイで観てた当時の感想

こんにちは何するため、すらぷるためです。

「涼宮ハルヒの憂鬱」というアニメをご存知だろうか、(原作は小説)深夜アニメブームの火付け役になったアニメ界の名作だ。


間違いなく自分が多大な影響を受けたアニメの一つで、このアニメが無かったら自分のビートボックスは生まれていなかったんじゃないかと思うほどだ。

すらぷるビートボックスとの関係を話せば、例えば「mic check beatbox」とかは同アニメのテーマである「日常が非日常に侵食されていく」というものの影響がかなり大きく、この概念のおかげで「イベントでマイクテストをする人」(日常)の意味が崩壊して、音とリズムだけになっていく(非日常)というネタが生まれたような気がする。


そういうわけで「涼宮ハルヒの憂鬱」は自分にとって大切な作品なのだが、その中でも問題作と言われ誤解を生みがちな「エンドレスエイト 」について、リアタイで観ていた当時の周りの空気や感想などを語りたいと思う。超ざっくり言ってしまうと

エンドレスエイト めちゃ面白いじゃん!退屈にならないでしょ!という話である。


アニメ史に残る問題作「エンドレスエイト」とは

※「涼宮ハルヒの憂鬱」ストーリーの若干の禁則事項(ネタバレ)を含みます、興味が湧いた方はアニメを是非観てみてください!





エンドレスな8、終わらない8月、ということでエンドレスエイトというのは「ハルヒ達が夏休みを無限にループし続ける」という内容の話なのだが、驚くべきことは始まりの8月17日からループ最終日の31日までの一話の内容が、ほぼ変わらないまま8週連続で実際に放送されたことだ。

登場人物のセリフや演出などは多少違うけれど起承転結の内容はほとんど同じで、8話分同じ内容を観ることになり、DVDや配信で観ると苦痛だと感じるかもしれない。

しかしリアルタイムで観ていた当時のことや小説を読んでいない勢から見ると「次週はどうなるんだ!?夏休みから抜け出せるのか!?」といった結末がわからないからこそのワクワクしたものがあった。だからエンドレスエイトは当時の「今起きているライブ感」の中で観ないと面白くないだろう。

そして肝心なのが、アニメの「ループもの」という内容に合わせて、現実世界でも毎週同じ話を流し続けることにより、視聴者の心境が「夏休みのループから抜けたい!」から「現実の日常のループから抜けたい!」と現実の話へと作用していく事だ。ではなぜ非日常をテーマにしたアニメが人気を得たのだろうかと考えてみた。

新しいものが来る予感の「非日常」

2000年代初頭の当時の涼宮ハルヒの人気は凄まじかった。自分もハマってた内の一人だが、なぜブームになったのか、これは2006〜2009年(アバウト)のニコニコ動画、youtubeといった動画サイトの黎明期とちょうど被ったことが関係していると思う。この時期のハレ晴レユカイの踊ってみた動画のフィーバーぶりはすごいもので、何か巨大な祭りが起こっていたと思う。この期を境にして情報の民主化が社会に浸透し始めたと思うし、この時期の「新しいものが登場して世界が変わる瞬間」という、日常が何か変わる予感というのが体感としてあった気がする。(youtuberという言葉も無かった時期)

この社会の空気の「(ネットの進化によって)日常が何か変わりそう」というのと、ハルヒの「日常が非日常になっていく」テーマが共通して時代と作品がお互いに共鳴していたというのが、人気になった理由の一つなんじゃないかと思う。

このように、YouTubeを始めとした動画サイトの黎明期と被るように涼宮ハルヒの憂鬱はアニメが始まっているのだが、ネットとの関係でハルヒの能力についても気になる点がある。ハルヒの無意識下で「自分が思えば世界がそうなる」という能力、これがとてもネットっぽい。今思えばこの感覚はネットのフィルターバブル現象を予言していた気がする。見たいものしか見ないことで個人個人で無数の事実と世界が存在しているというもの。

色々書いてて収集がつかなくなってきたところで、確認したらハルヒのサウンドロップ(ボタンを押すと音が鳴るおもちゃ)で自分がビートボックスした動画がちょうど10年前に投稿されてた。またサウンドロップビートボックスやろうかな・・・


おわり

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