見出し画像

ねこみふ 第1部

「アンタらだろ、西で勝手してる奴ッてのは」

 金髪をオールバックにし、特攻服を羽織った女がドスの効いた声で言った。その手には釘を無数に打ち付けることで殺傷力を増したバットが握られており、ところどころ赤いシミが付着している。恐怖!

「東のクッサイ空気をこっちに持ち込まれるの、困るんだわ。お魚さんみたいに西の空気をパクパクしたいのはわかるけどサァ」

 ゲラゲラゲラ、と背後に控える取り巻きが一斉に笑い声を上げた。バイクからのライトと合わせ、敵に威圧感を与えるための常套手段だ。では、敵とは誰か?

 広い道路の中心にある特攻服の輪、その更に中心に数人の制服姿の少女がいた。少女は4人おり、3人は虚勢を張るように微かに震えながらメンチを切っている。それぞれ舌にピアスを刺す少女、左腕に蛇のタトゥーを入れた少女、両眉を「cheer」という形に剃った少女。

 残りの一人には、これといって特徴はなかった。強いて言えばややクセのある黒いミディアムヘアに、黒い大東学院の制服が合わさり、夜の闇によく混じっている程度か。だが、彼女だけは震えていなかった。それどころか笑みを浮かべてすらいた。彼女はほとんど無造作にリーダー格と思われる釘バット女へと近寄る。

「もやしがタフガイを気取る時代かよ!」

 釘バット女はせせら笑いし、迫る少女の胴体に向けて釘バットをフルスイングする! 素手の、しかも年端もゆかぬ少女に対して明らかにオーバーキル! すわ、一撃でミンチか!? 少女はバットに向けて手を翳し、受け止めた。……そう、受け止めた。釘のない隙間を掴んだのだ。

「なン……」

 釘バット女はもう一度叩き込むために釘バットを引こうとした。しかし引けなかった。ならば、と押そうとする。押せなかった。まるで万力によって掴まれているかのように、釘バットを動かすことが出来ないのだ。

「マジかバハッ!?」

 驚愕する釘バット女の顔面に拳が叩き込まれた! 女は仰け反り、引き寄せられた。少女が釘バットを引っ張ったのだ。釘バット女はそれを握り続けている。ゆえに……! 殴られ、引き寄せられ、殴られる!

 3回目の引き戻しをされる前に、釘バット女は釘バットを手放した。体力が尽き、握り続けていられなかったのだ。釘バット女は仰向けに倒れ、少女を恐怖の眼差しで見上げた。少女は前に突き出していた拳をゆっくりと引っ込めた。中指にはめられた指輪がキラリと光る。

「今時のヤンクはもやしに殴られただけで倒れるんだね」

 少女はせせら笑いした。取り巻きも今や完全に沈黙し、困惑から次に取るべき行動を決めかねている。

「情けねえ奴ら!」「おととい来やがれ!」「ブーッ! ブーッ!」

 3人が息を吹き返したように罵声を上げる。少女はそれを振り向き、気付かれないほど微かに侮蔑の表情をした。

「そうだ! アンタら財布出しなよ! アタシらに負けたんだからさ!」

 調子に乗った一人が取り巻きに対して掌を上に向けた。取り巻きは自分の頭では判断できず、指示を仰ぐように釘バット女のほうを見る。

「調子に乗ンなよ、テメエら……!」

 釘バット女は立ち上がろうとする。向かい合う少女は数秒ほど考える様子を見せ、「ガハッ!」拳を叩き込んで黙らせた。少女は倒れた釘バット女に屈みこみ、懐から財布を奪い取る。

「オイ……!」「じっとしてなよ」

 少女は凄みのある声で脅した。釘バット女は失禁を堪えて押し黙った。何か人外の怪物に脅されたような……そんな次元の違う恐怖に襲われたのだ。少女はカネや免許証など全て抜き取ると、その手に握った財布の中身全てをポケットに押し込んだ。……釘バット女のポケットに。

「は……?」

「これは気まぐれ。私はあなたを殴って満足した。財布は新しいの買いなよ」

「秋香ー! ソイツからお金取り忘れてない?」

 “秋香”と呼ばれた少女は立ち上がって振り向くと、空っぽの財布をひらひらと振り、すぐにポケットにしまった。3人は最後の財布からカネを抜き取り、地面に放って踏み潰すと、秋香の肩を抱いて大仰な態度で特攻服の輪から出た。

「ホント今日サイコー! こんなに稼げちゃったんだけど!」

 ヤンクたちに聞こえる声で、1人がパンパンに膨らんだ財布の中身を見せびらかした。

「アタシも! ホント割の良い遊びだわ!」

「いつもアリガト、センセイ!」

 少女たちは秋香の肩をどやす。秋香は露骨に表情を歪めたが、ほんの一瞬のことだ。

「別に。私もああいうナメてる奴殴るの楽しいし」

「「「カッコイー!」」」

 少女たちはゲラゲラと笑いながら帰路に着く。秋香は笑みを作りながら、ふと視界の端に一対の光が映ったのに気が付いた。そちらを見ると、墨汁のような闇の中に、猫が一匹いるようだった。猫の瞳は紫に光り、じっとこちらを見つめていた。気味が悪くなって秋香は目を逸らす。彼女たちが角を曲がって見えなくなるまで、猫の瞳はその背中を追い続けていた。


ねこみふ 第1部


 家に帰ると電気はついていなかった。親は既に寝たようだった。受験勉強はどうだの聞かれずに済む。秋香は胸を撫で下ろし、音を立てないように階段を上がって自室に向かい、タンスから着替えを取り出して脱衣所に入る。服を脱ぎ、中指の指輪……ソウルジェムも外して浴室内へ。蛇口を捻って湯気の立つシャワーを浴びる。秋香は手のひらを見た。握り、開き、人を殴ったときの感触を思い出す。

 ナメた奴に“わからせる”ことは好きだった。知能が低く、三大欲求をどうやって満たすかしか考えていない奴ほど、自分と同じ集団に属さない存在をナメる傾向にある。そんな奴らに尊敬や畏怖を抱かせる……魔法少女になってからの楽しみと言えば、もっぱらそれだ。以前までは好きな漫画を買って何度も読み返すのが楽しみだったが、ネットで酷評されているのを知ってからはレンタルで一度読むだけに済ませている。

 しかし、今の秋香の気持ちは晴れやかではなかった。わからせるのは好きだが、人を殴るのとは別の話だ。まだ慣れない。

 彼女は他の3人(等しくどうでもいい存在だ)から、その腕っぷしを買われている。彼女たちにとって気に食わない相手を酷い目に遭わせてくれる駒として。もっとも、彼女たちにとっての気に食わない相手というのは、自分と同じ集団に属さない存在だ。そんなクズどもの尊敬を受けるために魔法少女の力を使って、良い気になっているのが「私か……」秋香は拳を握りしめ、俯いた。シャワーを頭に受けながら、彼女はしばらくそうしていた。

◆◆◆◆◆

 あちこち老朽化してガタの来ている中等部に着き、歪んで動かなくなったスライド式のドアから教室に入る。ドア近くの席には地味な女子生徒が2人座っている。

「おはよう」

 秋香が挨拶をすると、2人はそちらを振り向いて「おはよう」と笑顔で返事をし、すぐに2人の話に戻った。彼女は目を逸らして自分の席に向かう。席の机の上に誰かが座っている。舌ピアス女だ。上を大胆に着崩し、スカートは少し動けば見えてしまいそうなほどに短い。秋香の一般的な女子中学生制服姿とは対象的だ。舌ピアス女はこちらに気付いて携帯端末から顔を上げた。

「ヨッ!」

「おはよう。チア部は朝練じゃないの?」

「気が乗らなかったからサボった!」

「あっそ」

 秋香はスクールバッグを床に置き、適当な返事をした。興味がないのだ。チア部は練習が大変だと聞くが、その分学校内スクールカーストでは最上位に位置することができる。しかも同じスクールカースト最上位の舞踊部の男女と好きなときに、それこそ授業中に保健室や屋上でもヤれるとの話だ。秋香は初めてその話を聞いた時、心底軽蔑したのを今でも覚えている。

「つーかさ、秋香ッていっつもあの地味女たちに挨拶してるよね」

 舌ピアス女はドア前の席に座る2人を指差す。関係ないでしょ、その言葉が出かかるのを秋香は喉で押し留める。

「あンな東丸出しの奴ら放っときゃいいのに! ホント、アイツらのせいで東の評判落ちてるわ! そのまま東で死ねって感じ! ギャハハハ!」

 舌ピアス女は下品な笑い声を上げた。秋香の理性は突沸した鍋のお湯じみて崩壊し、裏拳を顔面に叩きつけた。倒れ込んだ舌ピアス女の上に跨がり、首から上が潰れたトマト状になるまで殴り続ける。そんなビジョンを、秋香は頭の中で思い浮かべた。今すぐにでもビジョンを現実のものにしたい気持ちはあったが、結局彼女は自制が効いていた。“わからせた”ところで、学校内どころか社会での居場所を失うだけだ。……もし、居場所を失わないならば、やっていただろうか。秋香は考えた。

「そンでさ、今日も行かね?」

 舌ピアス女がずいと顔を近付けた。秋香は顔をしかめて距離を取る。

「また?」

「だッてさ、“社会貢献”してンだよアタシたち? 昨日の夜から正義感が刺激されて仕方なくッてさ」

「お金が欲しいだけでしょ」

「それもひとつだわ! 天才!」

 舌ピアス女は手を叩いて笑った。

 社会貢献……それはその実、かつて“オヤジ狩り”と呼ばれた行為そのものである。しかしその対象は“オヤジ”に限らず、神浜市の西側に住む子供以外の市民全員だ。若者からカネを奪えば「大して歳も違わないのに住む場所で差別してくる罰だ」と言い、中年からカネを奪えば「自分たちを食い物にするろくでなしの大人への罰だ」と言い、老人からカネを奪えば「負債を全部押し付けてのうのうと生き残る罰だ」と言う。自分たちは東に住んでいる若者で、お前たちに苦しめられているのだから、このくらいの罰を受けて当然だ……それが彼女たちの言い分であり、この行為になんの罪悪感も抱かない。

(クズども……)

 秋香は歯噛みした。確かに東に住んでいることが原因の差別は受けているが、それと社会貢献の間になんの関係があるのか。

「……いいよ」

「さッすがセンセイ!」

 だが、秋香は了承した。ここで拒否すれば不信感を抱かれ、決定的な軋轢の原因のひとつになることは間違いない。その時、チア部にも舞踊部にも入っていない自分に後ろ盾はない。そうなれば転校か、自殺か……。そのどちらも選ぶ勇気はない。

 やがて、チア部の朝練習から戻ってきたタトゥー女、cheer女が合流する。他のカースト上位の生徒たちも合流し、彼女は作り笑いをしながら下世話な話を聞き流す。……あの猫は今日も現れるだろうか。彼女の頭に、なぜかそんな思考が浮かんだ。

◆◆◆◆◆

 同日、夜。今日の彼女たちは少し足を伸ばして新西区に来ている。水名区ほど治安の良い場所ではないはずだが、なかなか良いカモは見つかっていない。

「今日ボウズ? やだよアタシ」

「当たり前じゃん! せめて交通費分くらい元取らないと!」

「謙虚だなあ」

 何が謙虚なものか。秋香は心の中で吐き捨て、四方をキョロキョロと見回す。なんとなく、視線を感じていた。屋根の上、電柱の陰、道路の隅……生き物の姿はない。

「お……」

 cheer女の呟きに、秋香は彼女の視線を追った。視線の先、一人の女がこちらに向かって歩いてきていた。夜の暗がりの下でもわかるほどの美人だ。腰まである長い青髪が月明かりを反射して煌めいている。肩を出した服がホットだ。

「ヤバ……イイじゃん、あの人……」

「めっちゃイジめたい……」

 舌ピアス女が舌舐めずりし、タトゥー女が下腹部を擦る。cheer女はどうでもよさそうだった。秋香は向かってくる女を気の毒に思った。きっとカネを奪われるだけでは済まず、彼女たちが満足するまで陵辱されるのだろう。恨むならこんな時間に出歩いている自分を恨んでほしい……。

 畳3枚分ほどの距離で青髪の女は立ち止まった。4人の異常な気配を察知して恐れをなしたからか? ……否。女の瞳には、4人に対する明らかな敵意が満ちていた。

「あなたたちね、最近西で好き勝手してる子たちっていうのは」

 秋香は眉をひそめた。青髪の女からは嫌なものを感じた。自分をナメてくる人間の気配……それ以外にも得体の知れない何か……。

「こんなことやめて、今すぐ帰りなさい。あなたたちのやってることは遊びじゃ済まないわよ」

「ハァ?」

 cheer女がドスの効いた声を上げた。青髪の女は怯まない。

「遊びじゃなくて、アタシらは社会貢献してンだ! オバサンは引ッこンでろ!」

「……社会貢献、ね」

 青髪の女は秋香を見た。気に食わない目だった。こいつは、ナメてくる奴だ。

「秋香さ、ちょっとわからせてやンなよ!」

 cheer女が言い終わるよりも前に、秋香は踏み出していた。拳を握り、青髪の女に迫る。青髪の女は動かない。ナメている。秋香は歯噛みし、不意に顔目掛けて拳を繰り出した! それはボクシング世界チャンピオンにも匹敵する速度であり、単なる中学生の少女に出せるはずのない拳だった。出せたのは、彼女が魔法少女だからだ。

 拳は当たった。感触があった。だが、当たったのは顔にではなかった。……拳は掌に受け止められていた。青髪の女は冷徹な目で秋香を見据える。

 脳への情報伝達が遅れ、認識と混乱が遅れてやってくる。どう考えても、単なる一般人が防げる拳ではなかったはずだった。知らない内に手加減していた? 馬鹿な! 秋香は掴まれた拳を引き剥がし、もう一方の拳を繰り出す。今度は首を傾げるように躱される。もう一度。コンパクトな腕の動きで弾かれる。もう一度。もう一度。もう一度! 全ていなされる!

 今の秋香の動きは人間を越えていた。環境が万全であれば銃弾を避けることすら可能だろう。だが、目の前の女は対応している。魔法少女の動きに、慣れた様子で。ありえない。常人がそんなことできるはずがない。……常人ならば。秋香はひとつの可能性に気付いた。ちらりと見えた女の左手中指には、夜闇にあってなお青く光る宝石の埋め込まれた指輪。秋香は無限の落下を味わう。

 秋香の拳が再び掴まれる。そのまま腕ごと背中側へ捻られ、もう一方の手で顔を壁に押し付けられる。あと少し力を入れれば、この女は容易に秋香の肩を外せるだろう。

「あなた、魔法少女でしょう」

 女は耳元で囁いた。やはり、知っている。それも、魔女と戦ったことのない自分よりも、相当なベテランだろう。秋香は唾を飲み込んだ。魔法少女同士が出会ったらどうなるのだろう。協力して魔女と戦おうと言われるのか、それとも邪魔だと疎外されるのか。

「魔法少女の力をこんなことに使うのはやめなさい。もっと正しいことに使えるはずよ」

 女の言葉はどちらでもなかった。かけられた言葉は叱責だった。……同じだ。秋香は悟った。この女は、同じだ。何も、知らないくせに。

「私のことなんて、なんにも知らないくせに!」

 秋香は強引に拘束を脱した! よろめく女に対して掴みかかろうとする!

「知ったふうな口を利くな!」

 女はよろめきながら秋香の襟元を掴んだ。そして仰向けに倒れ込んだ。秋香は引っ張られ、腹部を蹴りつけられ、受け身も取れずアスファルトの上を転がる。巴投げだ。

 痛い。秋香は全身の焼けるような痛みを自覚する。魔女と戦ったことのない彼女は、こんなに痛い思いをしたことがなかった。なんでこんな思いをしないといけない。社会貢献とやらに付き合っていただけ……ナメた奴をわからせようとしていただけなのに……。

 青髪の女は3人の少女を睨んだ。女の瞳は微かに青く光っているように見えた。3人は本能的に怯えた。それは遥か太古の時代から長い年月をかけてDNAに刻み込まれた、魔法少女への畏れがもたらしたものだった。

「ア、アアアアアー!」「オ、オバケーッ!」「ごめんなさい! もうしません! 助けて!」

 3人は一目散に逃げ出した。倒れた秋香を置いて。秋香は痛みを堪えて立ち上がる。彼女は青髪の女の瞳に憐れみの色を見て取った。

「私は……」

 秋香は女を指差した。自分は何を言いたいのだろう。咳き込み、考える。言葉が出てこない。頭の中がグチャグチャしている。考える時間が欲しい。一瞬で多くのことが起こりすぎた。秋香は腕を下ろし、踵を返した。足を引きずるようにして帰路につく。角を曲がって見えなくなるまで青髪の女はその背中を目で追い、顎に手を当てた。

「やりすぎちゃったかしら……」

 ……そして、彼女たちの様子を屋根の上から眺めていたものがあった。それは紫に光る瞳の、銀色の毛並みが美しい一匹の猫だった。猫は青髪の女が帰るのを見届け、屋根からひょいと飛び降りた。

◆◆◆◆◆

「最悪、最悪、最悪……」

 秋香は呪詛を吐きながら夜道を歩く。今の彼女は足を引きずっていない。治ったのだ。魔力を消費する魔法少女の治癒力によって。治癒魔法の使い手ほど効率良くはいかないが、魔法少女の基本的なスキルのひとつである。

「最悪、最悪、最悪……!」

 秋香の心は千々に乱れていた。思いがけぬ魔法少女との出会い……圧倒的な力量差……脇目も振らず逃げ出したクズども……そして……。

「何も知らないくせに……!」

 秋香は電柱を殴った。電柱は微動だにせず立ち続ける。


 秋香は元々、スクールカースト上位の者と付き合うような人間ではなかった。後ろ指を指されながら同じカースト下位の少ない友人たちと、細々と楽しく学校生活を送っていた。彼女は表面上気にしていないふうを装いながらも、内心「なぜ自分よりも頭の悪い奴らに見下されなければならないのか」と不満に思っていた。その不満は時に、能天気な友人たちにさえ向けられた。

 親も悪い人たちではなかった。しかし、近頃は受験が迫っていることもあり、段々と口煩くなってきていた。どこの高校は良い、どこの高校は治安が悪い、真面目に将来を考えろ……。言われなくても考えている。適当な口出しをしないでほしかった。

 その日の秋香は虫の居所が悪かった。友人と喧嘩をしたのだ。原因はもはやよく覚えていない、至極くだらないものだったのだろう。そんな時、目の前にソレは現れた。ソレは自らをキュゥべえと名乗った。

 キュゥべえは魔法少女になることで願いをひとつ叶えられると言った。その代わり、魔女と戦う使命を負うとも。

 秋香は致命的に想像力が足りなかった。仲直りは別に奇跡を願うほどのことでもない、そこまで考えるのが限界だった。彼女は願った。「ナメられないようにしてほしい」と。仲直りは自力で出来るが、ナメられないようになるためには奇跡でも起こらなければどうしようもない……そう思ったのだ。

 彼女は魔法少女になった。その日の夜は興奮と一抹の不安でよく眠れなかった。翌朝、教室に到着すると、友人たちは単なる同級生になっていた。代わりに、チア部や舞踊部の奴らが新しい友人になっていた。

 彼女は理解した。願いは確かに叶えられた。秋香のこれまでに築いてきた絆を、昔の友人たちから引き剥がし、チア部や舞踊部の奴らに結び直すことで叶えられた。これでナメられることはない。……そんな理不尽、あっていいわけがない。

 彼女はキュゥべえを問い詰めた。キュゥべえの答えは無機質なものだった。願いは叶えた。文句をつけるのは筋違いだと。彼女は殺意を必死の思いで抑え込んだ。人間を越えた上位種となった今ならば、キュゥべえ程度ならば楽に縊り殺せただろう。しかしその一線を越えればおしまいだということは、彼女にもわかった。

 彼女は荒れた。新しい友人たちと共に夜の街を徘徊し、生意気な奴がいれば力で黙らせた。魔女退治はしなかった。これがキュゥべえへの反抗だ、そう言い訳して。単に命懸けで戦う覚悟がなかっただけの話だ。

 こんなことを続けても未来はない。いつかクソったれな夢の終わりが訪れ、更にクソったれな現実の顎に捕らえられる。彼女は理解していた。……そして今日、終わりは美しい女の形を取って目の前に現れた。


「最悪、最悪、最悪……!」

 秋香は歩きながら涙を流していた。周りのことなど耳に入らなかった。ゆえに気がつかなかった。

「オイ!」

 秋香は肩を掴まれた。彼女は涙も拭かず、歯を剥き出してそちらを向いた。

 そこには金髪をオールバックにした特攻服の女がいた。見覚えのある顔だった。視線を下げれば、赤いシミのついた釘バット。秋香は思い出した。

「釘バット女……」

「その呼び方はねーだろ……アタシには野羅ッて名前がある」

 野羅は髪をかいた。本名だろうか。どうでもいい。秋香は振り払おうとした。野羅は離さなかった。

「離して……!」

「アタシの財布と、仲間のカネ返したらな。盗ッたろあン時」

 二人はしばし睨み合った。やがて、秋香はポケットから財布を取り出し、野羅の胸元に押し付けた。

「返した。仲間のお金は知らない」

 秋香は言った。野羅は肩から手を離したと思ったら、腕を掴んで歩き始める。

「ちょっと……!」

「話そうじゃん。ツラ貸しな」

 その気になれば、野羅の腕を切断して帰ることも出来ただろう。だが秋香は疲れていた。彼女はバイクの背に乗せられ、なんの抵抗もせず連れて行かれた。

 …………。

「お、あったあった」

 秋香が連れて来られたのは公園だった。野羅はバイクを適当な場所に停め、ドッカとベンチに腰掛けた。視線で促され、秋香は渋々ベンチの端に座る。夜のベンチはよく冷えていた。

「……よく東の地理なんて知ってたね」

「ア?」

「この場所」

「ああ、当てずっぽうだよ。東なんて来たことねえし地図も見たことねえ。思ったより荒れてないモンだな」

「要件は」

 公園を見渡す野羅に対して、秋香がぶっきらぼうに尋ねる。野羅は一瞥し、空を見上げた。

「アイツらと付き合うのをやめな」

「……またそれ」

 秋香は項垂れた。

「さっきも言われた」

「ハァ?」

「……いや、言われてないかも」

「別にいンだよ、細かいことは。アタシがわざわざこんな東くんだりまで来たのは、財布と仲間のカネを返してもらうためと、今のを伝えるためだ。アタシは人生の先輩だからな」

「……高校生」

「そうだよ」

「小学生並の知能しかなさそう」

「ンだと!」

 野羅は身を乗り出す。秋香は取り合わない。野羅は歯ぎしりし、ため息を吐いて元の姿勢に戻る。

「アンタ、好きであンな奴らと付き合ってるわけじゃないだろ」

 秋香は無言。野羅は続ける。

「アタシの仲間は、まあちょっと抜けてる奴も多いけど、良い奴らだよ。それに対してアンタは、あれだ……俗に言う真面目系クズって感じで、アンタの仲間は単なるクズだ」

「もう一度ボコボコにしようか」

「勘弁してくれ。まだ顔痛むんだ」

「……ふっ」

 秋香は微かに笑った。それを見て、野羅も笑った。

「でも、無理だ」

 秋香は諦めたように言った。野羅は眉をひそめる。

「なンでだよ。そんな強いンだから、文句つけられたら殴っちまえばいいだろ」

「そんなことしたって意味ないよ。アイツらと縁を切れば私は孤立する。他の友達を作ろうとすれば、今度はその友達が報復でひどい目に遭わされる」

「陰湿なこって……。じゃあ転校しろよ」

「なんでアイツらのために私が転校しなきゃいけないの」

「……変なとこで図太い奴だよな、アンタ。あーあ! あっほらし!」

 野羅は大きなため息を吐いて立ち上がった。懐から1枚のカードを取り出して、秋香に投げる。一面の赤地に黒で大きく「野羅」と書かれており、右下に小さくメールアドレスが配置されている。

「ダッサ……」

「カッコイイだろ! アタシの名刺だ。何かあったら連絡しな。相談くらいは乗ってやる。……捨てンなよ?」

 秋香は一応その名刺をポケットにしまった。野羅はバイクに跨がり、ひらひらと手を振っていずこかへと消えていった。秋香は立ち上がる。頭も冷えてきた。夢は終わった、現実を直視するときだ。鼻っ柱をこっぴどく折られたことで、かえってすんなりと受け入れられた。だが、現実が実際に襲いかかってくるのは明日の朝から……まだ時間がある。

「考えないとな……」

 秋香は呟いた。色々なことを考えなければならない。志望校をどうするか、チア部の奴らとの関係をどうするか、かつての友人たちとの関係をどうするか、魔法少女としてどう生きるか……。秋香は公園を出る。……その時だ。

 KRAAAASH! 何か大きな物音が聞こえた。秋香は咄嗟にそちらを振り向く。野羅が去っていった方向だ。

「……まさか、ね」

 胸騒ぎがした。動転した秋香はそちらに向かって走る。水の入った靴を履いているかのように足が重く、うまく走れない。胸騒ぎはどんどん大きくなる。

 そして見つけた。倒れたバイクを。野羅が乗っていたものだ。では野羅は? いない。血の跡から居場所の目星はつく。秋香は荒い呼吸でそこに近づく。

「……魔女の、結界」

 秋香はグロテスクな超自然の穴を目の前に、吐き気を堪えた。血の跡からこの中に野羅がいることは間違いない。助けなければ。魔女と戦わなければ。

(死ぬかもしれない)

 弱い心が秋香を躊躇わせる。秋香はソウルジェムを見た。久々に卵型に戻したそれは、初めて見た時より濁っている気がした。どうして濁っているのだろう。濁りきったらどうなるのだろう?

(考えてる場合か、そんなこと!)

 秋香は変身し、魔法少女服を身にまとった。武器は爪のついたメカニカルなガントレットだ。秋香は覚悟を決め、結界に飛び込んだ。

 …………。

「なに、これ……」

 初めて入った魔女の結界は、予想以上にわけがわからず、また気分の悪くなる場所だった。恐らく使い魔と呼ばれる存在が、笑いながら電撃を浴びせようとしてくるのも悪夢だった。幸いにも使い魔はそれほど強くないようで、秋香は各個撃破しながら奥に進むことができた。ガントレットは予想以上にしっくりと来た。魂が使い方を知っていたかのように。

 やがて、奇妙な扉が彼女を出迎えた。この先に魔女がいると魂が伝えてきた。恐らく、野羅もそこに。秋香は深呼吸し、扉を蹴り開けた。無数の扉が彼女の前から後ろへと吹き抜けていった。

 魔女がいた。魔女は杖を持つ枯れた老人のような見た目をしていた。そこから少し離れた場所に、気絶した野羅。死んではいない。……きっとそのはずだ。魔女はまだこちらに気付いていない。一撃だ。一撃で仕留めれば最低限の戦闘で済ませることができる。グリーフシードとやらも手に入れることができる。秋香は右腕のガントレット爪を魔女に向け、左腕で肘を支えた。……BLAM! ガントレット爪が射出される! 武器の隠し機構である! 爪は狙い過たず魔女へと向かう!

 ぐりん、と魔女が首らしき部位を巡らせてこちらを向いた。魔女は泣いていた。秋香の背筋が粟立つ。気付かれていた。いつからだ。そもそも、なぜ野羅は生かされている。魔女には生かしておく理由などないはずだ。魔法少女を釣るための、餌か。

 魔女は異常な柔軟性で爪を回避した。秋香は側転でその場を離れる。一瞬後、二筋の稲妻が彼女のいた場所を通り抜けた。魔女の目らしき部位がバチバチと光る。この部位から稲妻を放ったのだ。秋香が躱せたのは完全にまぐれである。まぐれはあと何回続く。二度か、三度か。それとも次で……!

「そんなわけあるか!」

 秋香は悲観的想像を振り払うように叫び、爪を生成し直した。魔女は泣きながら次の稲妻を放つ! 秋香は回避し、爪を放つ! 魔女は異常な柔軟性で回避し、稲妻を放つ! 秋香は回避、放つ! 魔女もまた回避、放つ!

 千日手である。だが状況は魔女のほうに傾いていた。秋香はソウルジェムが濁りゆくのを感じている。濁るのが良くないことだということは何も知らずともわかった。早めに勝負をつけなければならない!

 秋香は左手の掌を魔女にかざした。彼女のもうひとつの秘技である。

「惑え!」

 秋香は気合いを振り絞るように叫んだ。魔女は……よろめいた。隙ができた。秋香は一目散に駆け込む!

 彼女が得た固有魔法は幻惑魔法である。一度も使ったことはなかったが、魂が使い方を知っていた。無論、訓練していなければそれはただ“知っている”だけだ。効果もどれほどのものかわからない。だが、一瞬でも隙ができればよかった。接近し、直接爪を叩き込むために!

 魔女が体勢を立て直す。そのときには秋香は既に格闘戦距離! 爪を繰り出す! 魔女を切り裂くが、浅い! 魔女が細長い腕らしきものを突き出してくる! 秋香は腕で弾いた。彼女が思い浮かべていたのは、青髪の女……否、青髪の魔法少女との戦いだった。あのときの魔法少女の動きを秋香は必死で理解しようとする。表層をさらうだけでもいい。自分のものにし、この場を生き残る!

 秋香の爪が再び魔女を切り裂いた。先程よりは深い。魔女の表情に笑みが混じり始める。不気味だが、これを続ければ倒せるはずだ。生き残れる。秋香は大ダメージを与えるため、やや大きく爪を振りかぶった。

 魔女が泣いた。目が光り、稲妻が迸った。稲妻は秋香の腹部を貫いた。秋香は耐えようとし、できず、血を吐いて膝をついた。これまでの人生で経験したあらゆる痛みを越えていた。魔女は大泣きしている。拳を握ろうとする。力が入らない。秋香は倒れる。

 自分はここで死ぬ。その認識は呆気ないほどあっさりと秋香の胸に入り込み、諦念で満たした。これは罰なのだろうか。よく考えず魔法少女の契約を結び、八つ当たりのようになんの関わりもない人々に対して暴力を振るってきた罰。ならば、野羅が巻き添えになったのも自分への罰か。

「……のら……にげ、て……」

 手を伸ばす。意味はない。全てに意味はなかった。魔女は身体を捩らせ、大粒の涙を撒き散らしている。

 ……その時、魔女は突然飛び退いた。一瞬後、そこを何かが薙いだ。秋香は目で追う。それは直径1メートル以上はある巨大なチャクラムだ。巨大チャクラムはブーメランのような軌道を描いて持ち主の元へ戻っていく。秋香はそちらを見る。

 そこにいたのは、灰色の魔法少女服を身にまとった女だった。女の髪は呪いの中にあってなお輝く銀色だ。佇まいだけで強力な魔法少女だとわかる。秋香は見覚えがあるような気がした。

 魔法少女は再び巨大チャクラムを投げた。チャクラムは空中で3つに分裂した。魔女は驚愕して反応が遅れ、地面に潰れるようにして全てを回避する。そこへ魔法少女が跳び来たり、瓦割りめいてパンチを振り下ろした。柔軟性を用いて回避しようとするも、パンチが早い。どす黒い血が噴き出し、魔女が笑いながら悲鳴を上げる。

 魔女の瞳が光り、稲妻を放った。稲妻は魔法少女を貫いた。……そのはずだった。しかし魔法少女の身体は紫色の霧めいて拡散し、魔女の後方にいる魔法少女へと吸い込まれた。一瞬だが、魔法少女は分身していた。戻り来た巨大チャクラムを、魔法少女は回転しながらキャッチした。そしてその勢いのまま、巨大チャクラムで魔女に対して斬りつけた。魔女は胴体から真っ二つに両断された。魔女は発狂したように笑いながら爆発四散した。

 崩壊する結界の中、秋香は唖然としてその魔法少女を見上げた。自分が苦戦していた魔女を、たった一瞬で片付けてしまった。落ちてくる石ころ程度の黒いもの……グリーフシードと呼ぶものだろうか……をキャッチし、魔法少女はそれを秋香に突然投げてよこした。秋香は慌ててキャッチする。魔法少女は言葉を発さず、じっとこちらを見ていた。その瞳は紫色に微かに光っていた。やはり見覚えがある。

「……猫……?」

 口に出し、あまりの馬鹿らしさに自分で笑い、腹部の穴の空いた痛みに顔をしかめた。意識が朦朧としておかしくなっているのかもしれない。猫が魔法少女などあるはずがない。秋香はグリーフシードをありがたく使わせてもらうことにし、ソウルジェムに当てた。濁りを吸い取り、ソウルジェムは契約時と同じくらいの輝きを取り戻した。グリーフシードを脇に置き、今度は腹部の穴に手を当てて治癒魔法をかける。どの程度回復するものなのだろう。穴なんて治せるものなのだろうか。彼女は苦心して魔法をかけ続ける。そこに魔法少女が来て、秋香の手の上にその手を乗せてきた。傷の治りが早くなる。

「ちょっと、別にそこまで……」

 命を助けてもらって、グリーフシードを譲ってもらって、その上治癒まで手伝ってもらっては。それも初対面の、たった今出会った相手に。しかし手を払い除けようとすると、魔法少女はより意固地になって手を押し付けてきた。

「い、痛い……です……」

 押し付けられた手によって傷口が圧迫される。秋香は諦めて大人しく治癒に専念した。魔法少女の協力もあり、傷は完全に塞がった。秋香が立ち上がると、魔法少女もまた立ち上がった。二人は見つめ合う。

「……なんか、本当に猫みたいですね」

 秋香は独り言のように言った。魔法少女は首を傾げた。秋香は口元を緩め、腰から頭を下げた。

「助けて頂いてありがとうございます。あなたが来てくれなかったら、きっと私はここで死んでいました。私の……ええと……知り合いも死んでいたと思います。本当にありがとうございました」

 秋香は数秒ほどその姿勢を保ち、頭を上げた。魔法少女は消えていた。

「え……?」

 秋香は瞬きし、辺りを見回した。魔法少女の姿はどこにもない。立ち去る気配もなく、忽然と消えたのだ。秋香は狐につままれた気分になった。

「……そうだ、野羅!」

 秋香はハッとして、倒れた野羅へと駆け寄って抱き起こす。「野羅、野羅!」と声をかけて揺さぶる。野羅は呻き、ゆっくりと瞼を開く。

「……ア? 秋香……? ここは……なんだ……?」

「……よかった」

 秋香は野羅を抱きしめた。考えなければいけないことは山積みだ。考えて、少なくとも自分が納得できる答えを出さなくちゃいけない。だけど、今だけは自分たちが生き残れたことを喜ぼう。

 野羅は状況が理解できていなかった。全身は痛むし、血を流した形跡があったし、秋香がなぜか泣きついてきている。彼女はとりあえず秋香の頭を撫でておいた。そして辺りを見回し、遠くに倒れた愛車のバイクを見つけ、叫び声を上げた。

◆◆◆◆◆

 広いリビングの中、青髪の女はソファにもたれて文庫本を読んでいた。文庫本の装丁はシンプルであり、表紙にはタイトルと「柊ねむ」という文字だけが書かれている。窓の外は暗い。既に深夜だ。

 ふと、女は何かに気付いたように顔を上げた。文庫本をソファに置き、立ち上がって玄関へと向かう。

「はいはい、そんなに鳴かなくても聞こえてるわよ」

 女は楽しそうに呟いた。周囲は静寂に包まれており、動物の鳴き声など少しもしていない。女は玄関ドアを開けた。そこには銀色の毛並みの猫がちょこんと座っていた。

「おかえり、みふゆ」

 青髪の女が猫に言った。猫はにゃあと鳴いた。首輪からぶら下げられた紫色の宝石がキラリと光った。


ねこみふ 第1部終わり 第2部に続く


101111110001100


その後の話


「果たし状で呼び出しッて、今時江戸時代かッつーの!」「歴史! 天才!」「今日もやっちゃってよ、センセイ!」

 cheer女は秋香を肘で小突いた。秋香は一瞥しただけで、返事をしなかった。

 彼女たち4人が現在向かっているのは、神浜西のある道路……特攻服の女たちに囲まれ、秋香が返り討ちにした場所である。時刻は夜。あの時の状況を再現し、やり直したいのだろう。わざわざ仲間に果たし状まで持って来させて。

 指定された場所まで来てみれば、確かにあの時と同じ特攻服の集団が待ち構えていた。先頭に立つのは金髪をオールバックにした釘バットの女。

「ケツまくって逃げ出さなかったのは褒めてやる」

「そりゃお前たちだろ!」「負け犬!」「ブーッ! ブーッ!」

 釘バット女の挑発に、3人は中指を立てたり親指を下に向けたりしてやり返した。舌ピアス女が秋香の背中をドンと叩く。

「ほら、やっちまえ!」

 秋香は前に数歩よろめき、振り向いた。その瞳は軽蔑するように冷たかった。

「何してンの、さっさと行きなよ!」

「やらないよ、私は」

 秋香は静かに言った。「ハ?」タトゥー女が苛立ったように眉を吊り上げる。

「あのさ、アンタはアタシらの仲間だよね? 仲間は協力しないと。わかる?」

「仲間なら、そうかもね」

「お前……!」

 cheer女の額に血管が浮き上がる。

「アタシたちを裏切るのか!」

「裏切ってないよ。私はあっちの仲間じゃない。中立」

 秋香は野羅を一瞥し、続ける。

「ただ、あなたたちの仲間でもなくなっただけ。私はあなたたちとの縁を切って、他の友達を作る」

「ダッテメッコラー!」

 舌ピアス女が目を剥いて叫ぶ!

「ならその友達とやらを潰すだけだコラー!」

「そう、私は潰せないからね。でも、させない」

 秋香は3人を睨み付けた。その瞳には微かに光が灯っている……あの夜出会った幽霊じみた青い女のように……!

「あなたたちのカーストがどれだけ高くても、親がどれだけ勝ち組でも、私の学校生活の邪魔をするなら容赦しない……!」

「オイ! そこの3人はいったい誰が代表者なんだよ!」

 野羅が彼女たちに呼びかける。3人はそこに初めから秋香が含まれていなかったことに、元々秋香にリベンジしに来たわけではなかったことに気付いた。

「アタシが勝ったら、そうだな……とりあえず、ウチらから奪ったモンは全部返してもらう。1円の誤差も無くな。財布踏ンづけてくれた分も弁償してもらおうか」

「ハ……ハッ! そんな勝負乗るわけ……」

 タトゥー女は踵を返して逃げようとした。しかし、既に特攻服たちが待ち構えていた。包囲網は完全に彼女たちの逃げ道を塞いでいた。

「ッ……このッ、クズ野郎!」

 cheer女が秋香に叫ぶ。

「アンタだってアタシらと好き勝手やってたクセに! アタシらから離れたって、アンタが人を殴って楽しんでたッて事実は消えない! 同じ穴のクズ狢だ!」

 秋香はそれを聞き、うんざりしたようにcheer女を見た。そして言った。

「とっくに知ってるよ、そんなこと」

「ッ……!」

「オイ! めんどくせえな、そこの変な眉毛野郎! アンタが相手だ!」

 野羅が釘バットを放り捨て、拳を鳴らしながら近付いてくる。

「対等にいかないとな。素手でやってやる。来いよ。安全圏から喚き散らすだけが取り柄か?」

 cheer女は後ずさり、仲間の2人を見た。2人はcheer女から距離を取った。自分可愛さに見捨てられたのだ。後ろを見る。特攻服たちの殺気立った視線。最後の希望に縋るように秋香を見る。秋香は野羅とすれ違いざまに肩を叩き、「手加減しなくていいよ」と言った。「ハッ!」と野羅は笑い、手をブラブラと振った。

「ア……ウワアアアアアアーッ!」

 絶叫が夜の闇に響く。墨のような夜空に浮かぶ髑髏めいた月は、無慈悲に彼女たちを見下ろしていた。


その後の話 終わり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?