型稽古と黄金比

中井久夫という精神科医が『治療文化論』(岩波現代新書)という本を書いています。文系の大学四年生くらいからどうにか読めるような、難しい本です。

この本によると、人間の病には大別して3つあります。

特定の地域文化圏のみでみられる「文化依存症候群」、地域とかかわりのない「普遍症候群」、より個性的で類型化しがたい「個人症候群」
――日本大百科全書(ニッポニカ)「中井久夫」より

治療とは実は、”世界観”や”枠組み”に大きく左右される、間主観的な行為です。
治療の開始に当たって、「クライアントをいかに自分の世界観に取り込むか」ということに、医療者は苦心します。また、「クライアントがいかに医療者の世界観にノッてくれるか」という要素が、潜在的な自己治癒力を引き出すための鍵にもなります。


さて、野口整体ではなによりも、「クライアントの自発性が重要だ」とよく説かれます。
それはなぜかというと、クライアントが自らの力で、自分自身の生をまっとうできることを、至上の目的としているからです。
これを「全生思想」といいます。

したがって、指導者とクライアントの間は必然的に、武道の師弟関係のようなものに近くなります(指導者の考えによっても大分変わってきますが)。
共依存的なべったりとした関係性は、断固として拒否されます。初回料金が結構高目なのも、そういう理由があります。やる気のない人は来ないでくれ、ということを暗に言っているわけですね。

私も二十代中頃までは、よく無気力に生きてきました。
数年ほど精神科医にお世話になったときもありました。
無気力症はおそらく、現代人特有の病です。
上記の分類でいくと、「文化依存症候群」に近いでしょうか。
ポストモダンの文化状況であれば、それはどこの国にでも発生します。

無気力症の正体も、野口整体を学んでいく上で正体が分かってきました。
それは臍下丹田から力がなくなることです。
身体が偏って疲れてくると、臍下丹田から、弾力が失われます。このときその身体の持ち主は、とにかく不安や無気力を声高に訴えるようになります。

逆に臍下丹田が充ち満ちていると、相撲取りや柔道家のような心構え・面構えになります。無気力とは真逆の人たちですよね。
臍下丹田に力が満ちると、決断力や意志の力が強くなります。おまけに自己主張能力が上がり、食欲と性欲すらも強くなります。これらの事実は性格診断サイトを使えば、客観的に把握もできます(便利な世の中ですね)。
かように人間の様々な機能とメンタリティは、明確な対応関係があるということです。


私が数年かけて修行しているものは、一体なんなのか。
この文章にまとめていて気づいたのは、「師との関係性」ということです。おそらく師との関係性こそが、独立後に築いていかなければいけない「私とクライアントとの関係性」の、基準点となる。そういうことなのだと思います。

型稽古の意味もたぶん、同じ所にある。
型とは「人と人との間にある、正しい機・度・間」のこととされています。数学にたとえていうと、それは「黄金比」でしょう。あらゆる存在が融通無碍に交流し、交歓し、生命の賛歌を高らかに歌い上げる。
そういった、誰もが幸せになれる距離感を覚えることが、型稽古の目的なのです。

近すぎてもいけず、遠すぎてもいけない。
強すぎてもいけず、弱すぎてもいけない。
早すぎてもいけず、遅すぎてもいけない。

幸せになりたい人は、ぜひ型稽古をしましょう。

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