みじめさを感じるのはなぜ?
素直に感謝できるのが正解なのか…
久しぶりにこんな気持ちになった
30代の転職したての頃、想定よりも給料が低く、生活が苦しい時期があった
(転職するときの給与設定は、社会保険料などの税金が差し引かれた手取り金額をよくよく想定しておくのがいい)
前職の手取りより4万円程度低い月収となった
低い給料がより低くなるんだから、4万円はキツイ
40キロから3キロ痩せるのと、100キロから3キロ痩せるそれと似ている
毎月、自転車操業でカツカツの生活をしていた
綱渡りの生活だった(ひとえに私の資金繰りの能力の低さが原因ですが…)
当時、週1回程度飲みに行くおじさんたちがいた
社会の第一線で活躍してきた人たちで、マナーも保たれており、当時の私にとってそこでの話はスケールが大きく新鮮だった
会計はいつも1000円というわかりやすさ
当時の私にとって、それはとてもありがたいことだった
しかし、いよいよ生活に困窮したとき、その会計方法は私をみじめな気持ちにさせた
いや、その状態が続いたことでみじめさを感じるようになったのかもしれない
今でもはっきりと覚えている
まざまざとその人たちとの財力を見せつけられたような気分になった
この人たちはやはり私とは違う
私のこの気持ちはきっとわからない
そう、深く刻み込まれた
その後、飲み会に参加する回数が減っていった
というより、減らしていくことでその感情を感じないようにした
しかし、久しぶりにそんな気持ちを感じることがあった
現在無職で、預金はほとんどない
それは自分の選択が招いた状況だから仕方ない
20年来の友人たちと食事をしたときにそれは起こった
ある友人が私の会計分を支払ってくれたのだ
私は予定されていた飲み会の予算は当初から確保していた
安くはない、1人5000円の会計だった
でも確保していたし、奢られることは友人たちとの関係上想定していなかった
何度も辞したが、周りの友人も加勢したため奢られることとなった
釈然としないが、奢ってもらうことでその場をおさめることにした
帰り道、モヤモヤした気持ちは残ったままだった
私は間違っているのだろうか
友人の好意はありがたく受け取るべきなのだろうか
私の変なプライドのせいなのだろうか
涙ちょちょぎれる、満月の次の日
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