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プレバトを考える

 あまりテレビを見ない私が、たまたま見つけて以来、毎回楽しみに観ているテレビ番組「プレバト!!」。

 リアルで絵が趣味の私は、エンタメとして楽しませていただいていたんですけど、絵の素人の方はあの番組を観て、「そうかこれがアートの楽しみ方なんだね」と、勘違いすることがあるかも知れません。

 そこで最近私がプレバトを観て感じていたことをまとめ、参考にしていただきたいと思いました。


プレバトを考える

01.「プレバト!!」ってどういう意味?

 プレバトとは、「プレッシャーバトル」の略だそうですね。絵でいうと、芸能人が描いた絵に得点をつけ、「才能あり」「凡人」「才能なし」の判定をし、その回の参加者の順位付けをするというもの。それが「バトル」なのですね。

 順位付けをするということは、別の2人が描いた作品の間の「優劣」を判定せざるを得ず、あまり上手でない人は辛辣に評価され、上手な人はより高い品質の作品を望まれるようになるという、緊張感が楽しい番組です。

 本来絵も含めたアートというものは、「競う」ものではありません。「これいいな」と思う人がお金を出して購入したり、ギャラリーに足を運んで鑑賞したり、というもので、「楽しむもの」、「たしなむもの」なのですよね。そこにあえて、バトルという要素を持ち込んだことで、エンタメとしての楽しみが追加されたのですね。非常に面白いアイデアだと思います。

02.プレバトの弊害

 そんな楽しいプレバトですが、弊害がいくつかあります。

①絵は描かないけど興味はあるという素人さんが、プレバトをみて、「これが絵の味わい方なんだね」と、勘違いする。

②同じく絵の素人さんが、「絵って順位付けできるものなんだね」と、勘違いする。

③先生の技術力・表現力・センスを超えている作品でも、先生が上から目線で添削することがある。芸能人の割といい作品にも、先生がどうにかしてマウントしようとすることがある。

④先生も芸能人も、ギャラをもらいながら描いており、また多くの人の目に触れることが確実であるため、「時間をいくらかけてでも、高い画材を使ってでも、すごい絵を描こう」というモチベーションが湧く。なのでうまく描けるのは当然と言えば当然。ある意味成功が約束された作業なので、頑張りがいがある。

 それぞれ詳しく見ていきましょう。

03.プレバトは、「正しいアートの楽しみ方」ではない。

 プレバトでは、なんとか順位をつけないといけないがために、アートとしてダメな点を探し、「どちらがどの程度ダメか」を理詰めで明確にしようとします。

 そういうものなんだよ、だから「プレバト」というタイトルなんだよと、ちゃんと認識してみる分には、すごく楽しいのですが、例えば絵の素人さんが、プレバトの先生の評価を聞いて、「そうそう、私もそう思ったのよー」と勘違いして得意げになり、「私って絵のセンスあるかもー」と思ってしまうようなことが、もしあったらそれは大間違い。

 人が作ったアートのダメな点をあらさがしして列挙することが、正しいアートの楽しみ方では断じてありません。

 ではプレバトとは何なのか。

 実はあれって、バトルの殻をかぶせた「カルチャースクール」なのですよね。先生が、生徒の作品の悪い点を指摘して、お手本を描いてあげる。それによって生徒さんの技術とかセンスが上がり、より上手な作品を描けるようになっていく。

 で、プレバト視聴者さんは、出演している芸能人が、怒ったり泣いたり、喜んだりする所を楽しむ。1位になったら一緒に喜び、その芸能人の作品がギャラリーなどに出品されたら見に行く。

 これって去年流行った「推し活」なんですよね。サッカーで言う所のサポーターですね。そんな楽しみが、プレバトにはあるんですね。

 まあ私はそんな楽しみ方もしつつ、それぞれの絵の良い点悪い点、それをどう言葉で指摘し、それをどう修正していくのかという、カルチャースクール的な楽しみの方を、重視していますけど。

 つまりプレバトとは、カルチャースクールでありそこで成り上がっていく芸能人を応援するのを楽しむ、というのが本質なのですね。それは断じて、「アートを楽しんでいる」わけではないのです。

04.アートは本来順位付けできるものではない

 例えば絵に関して言うと、「いい絵と悪い絵」なんてあるのかというと、無いはずです。また「うまい絵と下手な絵」というものも、実は無いはずなのです。

「いや、うまい絵と下手な絵、あるでしょう。ガタガタの線で描かれた、ラクガキのような絵は下手で、美しい線で描かれた作品はうまいでしょう?」

まあ、確かに線のうまさというのは、絵を描くための必須の技術なのですけど、「綺麗な線で描いているのでうまい絵」、とも言えないのですよね。綺麗な線は、絵を鑑賞するためのポイントの一つではあるけれども、絵としての総合的な「うまさ」を、決定づけるものではありません。

「線のうまさだけでは不十分? だったら、構図とか配色など、さまざまな視点からポイントづけをして、その総合点で判定したら、うまさを数値化できるんじゃないの? プレバトではそういうことやってるよね? それで充分なんじゃないの?」

 いいえ、ダメです。さまざまな視点から得点付けをして、その総合点で判断しても、うまい下手は数値化できないのです。

 百歩ゆずって数値化できるとしたら、「写実的な、いかにもそれっぽい絵を描ける技術力」、だけなのですよね。

「じゃあ、順位付けすること自体、無理なの? でもさあ、県の美術展などで、作品を募集して、優秀賞とか準優秀賞とか決めてるよね? やっぱり順位付けって、できるんじゃないの?」

 そうなのです。順位付けが必要なシーンはあります。ただ、誰もが納得する絵画の順位付けなんて不可能なのですよ。私は去年、多くの画家さんと話をさせていただいたのですけど、全員が全員、そう言っていました。「選考結果に納得いっている人なんていない」と。

 いやあ、そうなんですねー。絵画の世界って、恐ろしいですねえ。

 ってわけで、誰もが納得する得点付けをしようとすると、「より写実的なもの」に傾かざるを得ませんね。スマホで撮影した写真を、細かく細かく模写していき、時間をかけて、光や影や質感を書き込み、色を写真に近づけていく。

私なんかはそれをみていつも、「おいおい、それってもう写真でいいじゃん(苦笑」と思っています。絵として楽しむのではなく、絵を描く技術を愛でて、順位を競うのがプレバト流。まあ世の中の、絵をたしなんでいない多くの人が、そういう感覚だと思うので、それはそれで、しょうがないですね。

05.生徒さんにマウントしようと食らいつく先生

 これ、2023年12月に放送されていた「プレバト!!」でのことなのですけど、めちゃくちゃうまく描けていて、絵としてもすごくいい印象の絵を、ある芸能人が描いていたんですけど、先生はあまり評価しておらず、いくつかの点を指摘。
「ええええええ? こんなに魅力的な絵なのに、ダメなのおおお?」、と驚愕する私。
で、先生が描いたお手本が示されたのですが、芸能人の描いた元の絵の方が断然魅力的! 指摘されたその方は、絶句してしまって可哀そうでした。

 その事例は特に私が驚いたものなんですけど、他にも割と魅力的な絵が描けているのに、あえてそれを上回ろうとして、全然違う絵にしてしまっている先生とかいますよね。

「違う、俺が描きたかったのはそれじゃないから!」、とか言ってしまえるような人は、こんな番組には出ないのでしょうね。

 あとは「お手本」のレベルを超えているすごい作品を「お手本」として提示する人もいますね。たまにMCの浜田さんが「やりすぎやろ!」、とお手本にツッコミを入れてますよね(笑。

 実際のカルチャースクールなら、すごい作品を描いている生徒さんがいたら、「これはすごいです!」、と言うはずですね。個性が十分出せている作品なら、「もっとうまく描ける!」、なんて言って添削しようとは思わないはず。プレバトでは、そういうレベルの添削が行われているように、私には感じられます。まあでもそれが、指摘されたご本人の技術力向上や、番組を観ている人の技術力向上につながっているなら、番組としての価値は十分ありますね。

06.ギャラとギャラリーが確約されているからこその作品の品質

 趣味で絵を描いている人ならまだしも、売れないプロの絵描きさんなどは、1枚の絵にそれほど時間をかけようとはしないのですよね。デッサンを描き散らして描き散らして、これはと思うものが出来たらその流れで時間をかけて作品作りをしていく。ただしそれも、目論見通りにはいかないこともあります。「これは」と思う手法で、3年かけて1つの作品を作り上げたけれども、思っていたものにはならず、その手法を捨てたという画家さんもいます。

 また趣味で絵を描いている人だって、絵を人に見てもらうためにカルチャースクールに通ったり、そこそこの展示料を払ってギャラリーに展示させてもらったり、出展料を払って美術展に出展したりするのです。すべては金次第。

 その点、プレバトに出演している芸能人は、作品が誰の目にも止まらず悲しい思いをすることもなく、またギャラはしっかり頂いているので1枚の絵に50時間かけましたなんていう人もいますね。それは成功を約束されているからこそ、出来ることなのだと思います。

 芸能人だからこそ、人気番組だからこその贅沢な時間の使い方。だからこそ生まれる超絶的な写実作品。

 まあ、だから悪いというわけでもないのですよね。中世の画家なんかは、幼い頃才能ありと認められれば、パトロンがついてお金をもらい、不自由なく絵に没頭できました。カメラというものが登場してから、そのような風習もすたれてしまったのですが、21世紀の現代の日本で、

スポンサーからのお金を使って製作される番組で、絵などの才能を認められた芸能人が、ギャラをもらいつつ技術力をさらに向上させ、完成した作品を地方に展示して観光名所にして地域貢献したり、ギャラリーを開催して文化に貢献したり、本などを出版して経済を回して貢献したり。

という、「芸能人の才能をうまく使って様々な貢献をするスキーム」を確立したことは、すごいことだなあと思います。

07.プレバトとは結局、いいのか悪いのか

 というわけで、今回「プレバトの弊害」をさらっとご説明しましたけれども、すでに述べたように、

・カルチャースクール的な技術力向上のためのテクニックを、民放で面白楽しく発信してくれることにはすごく価値がある。
・芸能人がギャラを得ながら才能を伸ばしていき、その作品を使った様々な形で還元していく。

という点では、すごくいい番組だなーと私は思っています。

しかし反面、

・アートに得点付けをすることで、正解がないはずのアートに正解があるかのように誤解させる。
・人の作品を見る時に、上から目線の「減点法」で見るような誤った素人評論家を生みがち。
・個性的で荒々しい作品よりも、わかり易く評価しやすいものに偏りがち。
・閉塞している芸術界隈で、芸能人が華々しく活躍することで、話題性に偏りがちとなり、本来あるべき芸術活動がより委縮する結果に。

みたいな欠点はあると思います。一時期、芸能人が文芸賞を取ることの是非、みたいなことが議論されたことがありますが、今はそれが、公認されてしまっているのでしょうねえ。

 で、今日はなんで、「プレバト考」を記事にしたのか、なんですけど、昨日のプレバトの色鉛筆バトルで1位になられた方がおっしゃられた次の言葉が、私の心にびびっと触れたのですよね。

「写真よりおいしそうに見えないと、絵にする必要ないですよね」

 そうそう、そうなんですよ! 大切なのはその心なのです!

 写実のテクニックばかり重視していては、大事な「絵の心」がない作品ばかり量産されてしまう。では「絵の心」とは何か。そんなことを先生が教えてくれるような、アカデミックなプレバトならば、私は今後も毎週楽しみに、テレビの前で正座して、プレバトを見続けると思います。

 ありがとうプレバト! がんばれプレバト! ご清聴ありがとうございました。

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