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強烈な眩暈と吐き気に突然襲われた話~ベルギーでの前庭神経炎体験記

【健やかな瞳に眩しい秋の空】前庭神経炎、知ってますか?これは、これから話す病気が快癒した時、お世話になった病院と青空(タイトル写真)を見上げて読んだ一句。人生で最悪の地獄のような体験をした後で、健康で生きていることはなんて幸せな、奇跡のようなことだと改めて思い、支えてくれた家族、神様仏様とお世話になった医師・看護師などへの感謝の気持ちで溢れていたことを思いだす。生きているって何て素晴らしいんだ!普段あまり耳にしない病気なのだが誰にでも起こりうるので、いざという時の知識としてお役に立てればと思い経過を残してみた。

あれは、ブリュッセル、2018年8月24日の午後1時頃だった。その日から日本への出張で荷物や資料の準備を終わり、あとは夜のフライトまでのんびりと午後を自宅で過ごそうとしていた。マダムが近所のジムに行って一人だったので、昼食に冷やし中華を作って食べ、さてテレビでもつけるかと自宅アパルトマンでソファーに座ったとたんに、あれあれ、なんか変だ。何の予兆もなく突然にぐるぐると激しく目の前、頭の中が回り始めた。目をつぶってもぐるぐるは変わらない。これはまずいとすぐにマダムに電話したが、まだジムで返事がなく、ヘルプを求める留守電を残したが、結局メッセージは届かなかったようだ。ただ振り返っても冷静だったと思うのは、自分で声を出したり、両手両足を動かして痺れや不自由がないかを確認してみて異常がなかったので、脳がやられたわけではないと判断してマダムの帰宅を待つことにした。ここから地獄が始まった。少しでも動くと眩暈が益々激しくなり、電話をした直後に経験したことない胃がひっくり返るような強い吐き気が襲ってきた。立つこともトイレに歩いていくこともできないのでソファーからずり落ち、7~8メートルほど這って窓際まで行き、なんとかベランダに出るガラス窓を開けて、外に昼食を吐き出した。今だから笑えるが、一緒にいた愛犬ポリーヌや愛猫アルタが、しかもポリーヌは吐いたもの を食べようとベランダに出ようとするのを必死で止めながら窓を閉めたのを覚えている。その後も吐き気は収まらず、動くこともできずに窓際に横たわって、ひたすらマダムの帰宅を待っていた。この強烈な吐き気の中でこのまま死ぬのは苦しくていやだなと思ったことも覚えている。また後で考えたことだが、これが出張のフライト中に起こったら想像したくないほど最悪で、発症したタイミングとしては出かける前で良かった、自分にも若干の幸運があったとつくづく思った。

それからしばらくしてやっとマダムが帰ってきてくれた。時間がどのくらいたったのか分からないほど長い時間待ったような気がしたが、とりあえずホッとした僕はとにかくひどい眩暈と吐き気で動くことができないので、救急車を呼んでほしいとなんとか声を絞り出した。ところがマダムはフランス語で救急車をどう呼んでいいか分からないのでまごまごしていると、玄関にピンポーン、その日予定していた洗濯機の交換に、普段ではありえないことだが、約束の時間通り午後2時にベルギー人が来てくれた。ラッキーにもとても親切な人で、マダムが状況を英語で説明すると、すぐに救急車を呼んでくれた。そこで僕は窓際に横たわったままで救急車を待ちながら、保険証とクレジットカードが入った財布を持ってきてほしいとマダムに伝えた。また、スマホの画面を見たり入力をするだけでまた眩暈と吐き気が襲ってくるので、マダムに頼んで一緒に出張に行く同僚に電話をかけてもらい、出張に行けない状況とこれから救急車で病院に行くこと、フライトをキャンセルして欲しいとの連絡をなんとか終えた。

10分ほど待っただろうか、程なく救急隊員が到着した。たくましい若い男性と女性で、頼りがいがありそうでこれですぐに死ぬことはないと一安心したのを覚えている。やはり彼らも脳の問題を懸念していたのか、手のしびれがないこと、話が普通にできることを確認された上で、平衡感覚に関する病気だろうという事で車いすに乗せられ6階のわがアパルトマンから車椅子の乗せられて救急車へと運ばれた。何しろ少しでも動くと強烈な吐き気が襲ってくるので、紙製の吐しゃ用トレーをもたされ、何回か胃液を戻しながら救急車に車椅子ごと固定され、我が家から5分ほどでエテルビーク‐イクセル病院Hôpital d'Etterbeek-Ixelles(注:ベルギーでは地名が国語であるフラマン語エテルビークとフランス語イクセル両方で表記される)の救急病棟に到着した。これが人生初めての車椅子と救急車体験になった。

救急病棟は比較的空いて待っている人もあまりいないようだったが、病棟端っこの壁際で車椅子に乗ったまま、吐しゃ用の紙製トレーを持ち、少しでも動くと相変わらず訪れる眩暈や吐き気と闘いながら、待つ時間が始まった。最初に女性の看護師から症状や、手のしびれ有無などの質問があった後、検査待ちとなったようで、ここで救急車に乗って付き添ってきてくれたマダムはいったん帰宅した。余談だが、洗濯機の交換に来てくれたベルギー人は留守中にそのまま仕事をしてくれて、マダムが帰宅すると新しい洗濯機が待ってくれていたようだ。検査・診察は2回あった。まず、脳のエコー検査で、脳に問題がないことが改めて確認された。その後また待たされて最後は耳鼻科での診察だった。なんだか聞いたことのない病名(?)を言われ、経過観察となったようだ。

少しだけ言葉の問題に触れるが、ベルギーの一般病院なので、言語はフランス語がメイン(フラマン語はできないので)で、運が良ければ英語ができる医者や看護師に当たるという感じだった。この時は過去の13年にわたるフランスやベルギーでの留学・勤務・生活経験が、そこだけはぐるぐる回っていない脳内の言語野で総動員されたようだった。聞いたことのない専門用語も多かったが、推測も含めて割と正確に理解し、きちんと答えていたようだ。人間、必死な状況に追い込まれると何とかなるものだと思った。一方、海外生活は健康でいることが何よりの大前提だが、いざという時にフランス語ができて本当に良かった、海外で暮らす以上はその土地の言葉を理解しないとこうした生死にかかわる場で生き延びられないとの思いも強く持った。欧米に28年滞在して、3年前にも帰国せずにこのままベルギーで暮らすことも考えたが、やはり年を重ねるごとに増える健康の問題と言葉の制約が帰国を選んだ一つの要因になった。ちなみに、帰国後にコロナ禍もあったので、帰国の判断は今でも正解だったと思っている。

さて、検査と診察が終わっり長い日も暮れて救急病棟が陰に包まれ看護師の顔も見えないほど暗くなってきた頃、担当者が来てこのように言われた。「眩暈の原因は???(なんだか分からず)と思われる。治療法はなく、脳に異常がないのであとは眩暈とそこから生じる吐き気が自然に収まるまで対症療法しかない。今夜はこの病棟に一泊し、眩暈・吐き気止めと食事がとれないので栄養の点滴を行う。明朝には退院して、以降は眩暈・吐き気止めを飲みながらの自宅療養になる。」その夜は救急病棟の一角にあるがらんとしたベッドが二台ある大きな病室で一人で過ごした。少しでも動くと眩暈と吐き気がやってきたが、薬の効果もあり、それでもじっとしていると眩暈も落ち着いて眠ることができたのは幸いだった。

翌朝、ベッドから起きて立とうとすると眩暈の影響か、まっすぐ立っていられないことに気づいた。起き上がって少しでも動くと眩暈はあるが、薬のおかげで吐き気は少し抑えられているようだった。マダムに電話し迎えに来てもらい、一緒にタクシーで自宅に戻ることになった。看護師の指示は、「家で薬を飲みながら安静にしていること。ベッドで寝ていると症状が改善しないので、日中はソファーなどに座り上体を起こしてできるだけ起きていること。動くときは極力ゆっくりと、体の平衡感覚を失っているので立ったりトイレに行く時は壁に手を当てて体を支えるように。食事は食べたいものを吐き気止めが効いているときに無理のない範囲で食べて良い。」だった。マダムが到着し、看護師さんに体を支えてもらい吐き気を抑えながら車椅子に移動、タクシーに乗るときは自分で体を支えて何とか乗ったがまた吐き気。吐しゃ用トレーを持っての乗車だった。悪い伝染病と思われないように、運転手を安心させるためにこれは眩暈のせいだと、これまたフランス語で必死で説明したのを覚えている。アパートに着くと車椅子はないので、マダムに支えられながらエレベーターで6階の我がアパルトマンに吐き気を我慢しながらようやく到着、玄関を入ったとたんにまた吐いたのはシャレにならない苦しさだった。

こうして始まった自宅での療養生活、最初の試練はトイレやベッドへの移動だった。病院や帰宅時には体を支えてくれる人がいたのでよく分からなかったが、立ち上がって、壁で支えている手を少しでも離すと体が勝手に左側に大きく倒れていく。歩くことなど論外で、最初のうちは膝をついてゆっくり移動するのが精一杯。そして動く都度、もうおなじみとなって離れようとしない吐き気が背後霊のように付きまとった。食事は何を食べたのかよく覚えていないが、こういう状況で空腹を感じることはなく、おかゆなど消化の良いものを恐る恐る食べていたのだろう。美味しく食事ができない人生がこのまま続いたら生きている楽しみがないなと感じたことは覚えている。

こうして顔の前で親指を左右に動かして目で追うリハビリを行いながらゆっくりと何日が過ぎると強烈な眩暈や吐き気はかなり治まり、壁に手を当てて気を付けながらも家の中を歩けるようになり、食欲も出てきた。やっとパソコンの画面を多少見ても気持ちが悪くならなくなったので、ようやく今回の病名を探ってみた。突然激しい回転性のぐるぐる眩暈が発症する可能性があるのは、まずメニエール病だが、難聴・耳鳴りがないので違っていそうだった。内耳の耳石が動いて三半規管の機能に悪さをする良性発作性頭位眩暈症(突発性眩暈)が、このような眩暈の原因の60%を占めるとのことで、この時点でこれかもしれないとは思ったが、眩暈は10から20秒で終わるような短時間のものではないし、平衡感覚を失ったこともあったので違うのかもしれないと思い、結論は次回の診察を待つことにした。

発症から4日目の8月28日に病院での経過診察があった。症状はあの絶望的な状況から驚くほどに日々どんどん良くなり、もう眩暈や吐き気はなく、相変わらず少し左によろけながらも、ゆっくり気を付けながら自分の足で歩けるまでになっていた。近くのタクシー乗り場まではマダムに付き添ってもらったが、病院への付き添いは断り、一人でタクシーで病院に行くことにした。医者は聴力や眼底検査の後、「症状は間違いなく改善しており、あとは自然治癒を待つだけ。完治までの期間は個人個人で異なり、1~3か月程度かかる場合もある。次回9月5日は眼底や平衡感覚の詳細な検査を行って症状改善の程度を確認する。」との診断だった。肝心の病名を尋ねたが、フランス語がよく分からなかったので紙に病名を英語で書いてもらい、タクシーで帰宅した。

書かれた病名はVestibular Neuronitis、帰宅してPCで調べると前庭神経炎とでてきた。聞いたこともないし想像もしていなかった病名だ。ネットの説明は、「前庭神経炎(ぜんていしんけいえん)は、突然、強い回転性めまいと吐き気・嘔吐を生ずる疾患。安静にしてもなかなか収まりませんが、動くとさらに悪化します。めまいは内耳にある前庭、半規管、それらからの情報が伝わる前庭神経、脳幹、小脳のいずれかが障害されて起こります。前庭神経炎は、内耳から脳へ情報を伝える前庭神経が、なんらかの原因で障害されてめまいを生じると考えられています。発症前に風邪症状がある人が多いため、ウイルス感染が原因と疑われていますが、詳しいことは分かっていません。ただ、脳卒中などが原因のめまいと異なり、意識障害(意識がなくなること)、構音障害(こうおんしょうがい:ろれつが回らなくなること)、四肢麻痺(ししまひ:手足が動かなくなること)などは起こさず、生命に危険のある病気ではありません。前庭神経炎によるめまいは非常に強烈で、通常は救急車で病院に搬送されるなどして入院治療をされる方が多くいます。患者数が多い良性発作性頭位めまい症とを比較すると、両方とも難聴や耳鳴りは起きませんが、良性発作性頭位めまい症はしばらく安静にしていればめまいや吐き気が軽くなってくるのに比べ、前庭神経炎はじっとしていてもめまいや吐き気はなかなかよくならず、通常数日間強いめまい、吐き気が続きます。発作が治まってからは、めまいのリハビリテーションが大切になります。頭を固定して自分の指など動くものを目で追うことや、片足で立つこと、目をつぶって立つことなどがリハビリになります。転倒などの危険がないように注意して、歩行訓練をすることも大切です。この病気のめまいは強い発作を繰り返すことはありませんが、ふらつきなどの症状が長く続く場合がありますので、根気よくリハビリを行うことが必要です。」(解説:小形 章、横浜市南部病院 耳鼻咽喉科主任部長)

発症して救急車で入院した時から今までの経過はこの説明の通りだが、既往症は全くなく、特に風邪の症状等なく体調も良かったので正に原因不明としか言いようがない。当時きわめて健康で、こんな病気が突然襲ってくることは想像もしていなかったので、人間や動物が普通に動いて生きている仕組みの精妙さとそのバランスが崩れた時の悲劇を身に染みて感じた経験だった。また、この病気は完治すれば後遺症は残らず、再発もしないという事でとても安心もした。眩暈や吐き気が収まって食事は普通に取れるようになったので、後はまだ残っているふらつきが無くなるのを、出来るだけ早くと願いながらも焦らずに、ゆっくりと散歩などしながら待つだけになった。次の診察までの間に、普段はアメリカ在住だが、夏の間ドイツ・北欧に来ていた長女がすぐに見舞いに駆けつけてくれたことが最高の良薬になった。一緒にフレンチ・レストランでフルコースの食事もできた(但し、大好きなワインはさすがにまだ残念ながらお預けで、飲み物はみずだけ)こともとても嬉しかった。

次の診察・検査の9月5日がやってきた。発症から12日が経ち、もうふらつきも感じなくなり、毎日の散歩で歩く練習もしていたので、一人で病院までのんびりと景色や青空を楽しみながら歩いて行った。今日のメインは様々な動きの中で、眩暈の原因である眼振(眼球が無意識にけいれんしたように動いたり揺れたりすること)の有無を検査し、回復の程度を確認することだった。眼の動きが分かる特殊なメガネをかけてぐるぐる回されたり、電極を付けられて壁を動く映像を追いかけたり、工事現場のような騒音を聞かされたりしたが、一番びっくりしたのは耳の中に水やぬるま湯を入れられたことだった。こうすることで正常な時に現れる眼振を確認する検査のようだったが、プールで少し耳に水が入るのとは違い、思わず声が出るほど変な感じだった。全部で7~8種類ぐらいの検査を一時間以上かけて行ったような覚えがある。

そして検査の結果は、担当医から待ちに待った完治との宣告だった!自分でも眩暈のなさや平衡を取り戻した感覚から、もうかなり良くなっているとは思っていたが、こんなに短期間で回復・完治するとは思っていなかったので、心の底からただただ嬉しかった。この2週間弱の間に地獄と天国を経験したことは一生忘れないだろう。また、マダムは励ましと、「つわりと思えば大丈夫でしょ(つわりは経験してないが、今回は、はるかに強烈な激しい症状と思うのだが・・・)」と叱咤で支えてくれたことも今は笑って思いだせる。家族や医師、看護師、救急隊員、洗濯機の交換に来て救急車を呼んでくれた人、発症のタイミングの良さ、などなどに感謝しながら完治を祝い、この晩に久しぶりに飲んだ赤ワインの美味しさは格別だった。

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