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光芒の下にて君は光り輝く

「光芒」とは、

①太陽が雲に隠れているとき、雲の切れ間あるいは端から光が漏れ、光線の柱が放射状に地上へ降り注いで見える「薄明光線」または反薄明光線。
②尾をひく光のすじ。光のほさき。ひかり。
② 他よりも一段とすぐれて目立っているところをいう。

そんな光芒は、「天使のはしご」とも呼ばれているんだそう。


知ってるかな。
「天使のはしご」ってね、幸運の前兆、願いや夢が叶う前触れだと言われてるらしいよ。


四季を三度と少し巡った居場所を巣立った君の下に、今雲間から光芒は差すでしょうか。
急にはしごが外れる様に全てを失くした気持ちの日々を少し過ぎて、君が見上げた空の具合はいかがですか。





2023年12月25日、1年で最後の月曜日。
世間でいうとクリスマス当日。



小森隼くんは、3年3ヶ月立ち続けた「ヒルナンデス!」の月曜レギュラーを卒業しました。 



奇しくも丁度6年前の2017年12月25日月曜日は、君が初めてヒルナンデスに出演した日。
あれから時を重ねて同じ日付、同じ曜日のその日に「ゲスト」ではなく「レギュラー」としてその場を去った、そういう不思議な偶然がなんだか隼くんらしくて、寂しくて、そして美しくて好きです。

「卒業しました」と綴れどもまだ慣れない感覚があるのは、隼くんがその場所に居る事が当たり前過ぎたからなんだと思う。
一体君が頑張った日々はどれだけの人の日常になってたろう。どれだけの人が君に元気を貰ってたかなあ。想像すら出来ないほど。

卒業が発表されたその日から「お疲れ様でした」とは何故かどうしても言いたくなくて、考えた末に私の心に嵌ったのは「頑張ったね」という言葉だった。

ちょっと図々しいかもしれません、私は君の事をなんにも知らないし。だけどどうしても言わせて欲しい。



隼くん、頑張ったね。本当によく頑張ったね。



気が付けば卒業から3週間が経ちました。(正しくは2週間なんだろうけれど)
君にとって、あの月曜日のお昼での日々はどんな時間だったでしょうか。いつか年を重ねて、振り返りたくなった時にでもその心を聞かせて欲しいな。
とはいえ心に秘めておいても、話したい人にだけ話す、でも良いんです。あなたにとって、とても大切な居場所だったでしょうから。


忘れもしない7年と少し前、隼くんが初めてヒルナンデスに出演した日。

あの時はスタジオでの生放送では無くVTR出演。涼太くんとメンさんと3人で、モデルさん、芸人さん達、今や3年3ヶ月共に居たにこるんちゃんと一緒に「はとバス」で東京観光をするロケだった。

当時はまだ22歳。
オープニングで登場した、スーツに身を包んだ隼くんはにかんだ顔。バスの出発時にくしゃくしゃ笑顔でちっちゃく掲げた拳のいとおしさったら!
ショーを観た時のお辞儀や拍手の丁寧さ。会話を流れを汲み取って、ボケてけたけた笑ったり、相手を立てたり。ころころ変わる表情、観ていてちっとも飽きなかった。
「話してる人の方を身体ごと向く」という今も変わらない傾聴の仕方、当時からずっと輝いてたなあ。
食レポを「小森くん、上手だね」と褒められてたよね。
(確か食べてたのはちゃんこ鍋だったはず。涼太くんは別の場所ですき焼きを、メンさんは別のお仕事で途中でお別れしたんじゃなかったかな)

これは当時の私のInstagramのストーリー
毎日夜中まで何度も見直してたからこそ
この日付と時間なんだろうなと思う。
初出演、本当に嬉しかった。

放送から8ヶ月近くが経った真夏、隼くんが当時鈴木おさむさんと共にパーソナリティを務めていたラジオ番組こと「よんぱち」に、偶々ロケで一緒だった森山中の黒沢さんがゲスト出演した時のこと。

「小森さんが(おさむさんのラジオ番組の)レギュラーアシスタントになる事が決まった時、本当に嬉しかったんですよ!」「ヒルナンデスのロケでご一緒した時、遅い時間までだったのに最後までニコニコされていて。本当に素晴らしいなと思いました」


そうやってめいっぱいに隼くんに贈られた褒め言葉、黒沢さんの声色まで全て忘れられない。

季節が巡っても振る舞いが誰かの心に残り続けるって、それ相応の優しさや眩しさが確かにあって、ちゃんと周りに伝わってる証なのだと思う。とても凄い事だよ。
当時嬉しくってラジオの向こうで胸いっぱいになった記憶があるけれど、未だに反芻してはあの気持ちを私は噛み締めています。勝手に私まで嬉しかったな。


初めての出演以降は何度か生放送にゲストとしてスタジオに立っていて、その度増えてゆく録画の数がいつも誇らしかった。

龍友くんとふたりで出演した時「クイズを間違えたら手元のバーから電流が!」なんてコーナーがあって、正答が出るまで眉を下げて待ったこと。祈る様に組んだ手から見えた、いつものちょっとそっぽ向いた小指。正解だった時の笑顔と、南原さんとのハイタッチ!
初めて出演した映画のプロモーションで裕太くんとふたりで出演した日があったこと。
ひとりでゲスト出演した後、そのままGENERATIONSとしてのお仕事の為に韓国に渡った日もあったよね。

これも当時の私のストーリー。
嬉しくって友人しか見れない非公開アカウントで
よく君の事を誇っていました。
しかし今見返しても相変わらず格好良いな!

当時隼くんを遠くから見つめながら「今もう充分忙しいだろうな、これ以上隼くんが無理せずに居れたら良いなあ」「でも隼くんが望むならばなんでも出来たらいいな」とそんな事を3年ほどぼんやり考えてた記憶がある。


まさか月曜日のレギュラーになるだなんて!

2020年9月28日。

昼休みを終えた後にふとスマホに入った通知に、嬉しくってどうすれば良いか分からなくて、なんだかもう叫び出しそうな気持ちを必死で抑えた記憶がある。
それでもどうやらにやにやが抑えられてなかったらしい。見かねた職場の先輩から「どうしたの、幸せそうな顔して」と声を掛けられて、「小森くんがヒルナンデスのレギュラーになったんです」と、やっぱりにやにやしながら打ち明けた。

帰り道、溢れかえる嬉しさに我慢出来なくて「今から電話しても良いですか!」と友達に連絡して、いつもより5つ程遠いバス停まで歩いた。電話越しに喜びを聴いてくれる友達の相槌に甘えて、どれだけ隼くんの話をしたろう。

母や妹、友達から相次いで入る連絡に、何故か私が得意げな気持ちになった。
嬉しくって、誇らしくって、結構本気で商店街で自作の号外でも配ろうかと思った事が懐かしい。(流石にしなかった、ぎりぎり私にも我慢は出来たらしい)

これは嬉しくて、帰り道思わず買った花の写真。
トルコキキョウとワックスフラワー。
花言葉は「良い語らい」「思いやり」
「希望」「繊細」。

SNSを見返すと、当時の私がこう書いていた。

今もその気持ちは変わっていなくて、我ながら過去の私ってちょっと信頼出来るなと思う。ほんのちょっとだけね。


隼くんは、大切なものを両手いっぱいに抱えるね。

年を重ねても変わらないところのひとつだと思う。
あなたのその踊るとたおやかに舞う長い腕が大好きだけど、なにしろ君は人間です。限界だってきっとあるはず。
抱え切れないものは隼くんの意思で降ろして、隼くんの意志で選んで、どんなものよりも君自身を大切にして居て欲しいなと思ってるよ。それはいつも、今も変わらず。

ヒルナンデスの月曜レギュラーが決まった当時は、隼くんがニッポン放送でひとりでパーソナリティを務めていたラジオ番組「Good Laugh and Sleep」の放送曜日も月曜日で。
ヒルナンデスを経てGood Laugh and Sleep、22時からはSCHOOL OF LOCK!。昼間から日付を超える頃まで、月曜日はずっと隼くんの声や姿に触れられる特別な日になった事が、ちょっと心配ながらに嬉しかった。本当に嬉しかったな。

2020年、世の中で流行り病が蔓延して、不安いっぱいだった年。



どことなく皆が暗がりに居た中での隼くんの「ヒルナンデス月曜レギュラー就任」のニュースは、厚い雲間から差す太陽の光みたいだった。確かな希望だった。
春の終わり、グループとしての三度目のドームツアーが中止になった。どうすれば良いか分からなくて、誰も彼もが迷って足を止めがちな最中、ひとり未来が切り拓いて居たあの感覚。
きっと嬉しさの中に、怖さや不安もあったのではないでしょうか。25歳の隼くんはどんな気持ちだったろう。

それでも臆さず前に進んでくれて、本当に有難う。

月曜レギュラー初回出演の前日に
太宰府天満宮で書いた絵馬。
ガッキーにもいつか会えるかな、会えると良いね。


月曜レギュラーとしての初回出演前夜、
生放送のGENE高。

なんとなく「多分、隼くんは髪を黒に染めるんだろうな」と放送前から感じていて、いざ放送が始まれば信じられないくらい深くニット帽を被ってたものだから「やっぱりか!」と笑って、そしてちょっと泣きそうになった記憶がある。

私は隼くんの事をなんにも知らないけれど、でも君ってそういうところがあるじゃない。なんにも知らないけれど、そういう奴じゃんね。大好きだよ。

6人のメンバーから少しずつ髪を染めて貰って、大切な人達からのメッセージや手紙にくしゃくしゃの表情で涙をこぼしたり、照れ隠しにばつの悪そうな顔をしてみたり。

「長く付き合った金髪から、黒髪に変えること」


言葉にすればたったそれだけの事なのに、あんなにも大切だったのは、きっとあのひと塗りずつに込められた希望や喜び、責任や不安の重さ故だったんだろうなと今思う。

言ってしまえば長年のアイデンティティのひとつを失うこと、ずっと話してくれていた「ひとりでもGENERATIONSの魅力を伝える」という夢をまた新しい形で叶えること。上手くいかなかったらどうしようという不安と、周囲からの期待。良い印象を与えられるように、という願いごと。
大きな覚悟が付随した変化だった。
染め上げた星の王子さまみたいな金髪じゃなく、ありのままに近い黒髪になった隼くんの表情の清々しさ。ずっとずっと忘れたくないな。

2020年10月5日、初めての「月曜レギュラー」としての出演日。

この日隼くんはどんな気持ちで朝起きて、支度して、玄関を出ただろう。
最初に誰とどんな言葉を交わしたかな。少しずつ迫る11時55分を、どんな気持ちで待ちましたか。

リアルタイムでは観れなかったけれど、緊張してる時の口角の形で、それでも笑ったり、戯けたりしながらスタジオに確かに立つ隼くんの姿、後程観た全てが誇らしくって、「ああ、この人はこれから沢山の人にめいっぱい愛されていくんだな」と確信したんだよな。
(当日ドキドキしながら共演者の方に会ったら、「金髪の方が良かったのに〜!」と言われて拍子抜けした、というエピソードが大好き。隼くんなりに最大限に誠実に向き合おうとした事実、でも本当はもっと身体の力を抜いても大丈夫な居場所だったこととか。人生って案外そんなもんだったりするよね。)

SNSに溢れる隼くんを讃える言葉、幸せな空気感が勝手に嬉しくて、頑張る隼くんを見ていたら私も変わりたくなってしまって、仕事終わりに駆け込んだのは美容室だった。

当時コロナ禍で凡ゆる「人と会う機会」が無くなった中、
「次に隼くんに会えるまで健やかである事を願って
髪を切らない」というおまじないを掛けてた。
結局切ったのは顎の下まで伸びていた前髪だけで、
理由は「隼くんの未来を見る為」。

私も隼くんみたいに変わりたかった。あまりに君が同じ人間としてとても格好良かったから。
髪を黒く染めるにあたって、偶々担当してくれた美容師さんの名前が「はやとくん」だった事も含めて運命だったのかもしれないね。そう思わせて欲しい。

隼くんが月曜レギュラーに就任したその日から、「毎週月曜日の午前11時55分にちいさく祈ること」が私の癖になりました。

(偶に生放送ではなく収録の日があった。
放送を観て気が付いて「祈りの肩透かしだ!」と
ひとりでちょっと笑う事も大好きだったな。)


スタジオでくしゃくしゃに笑うこと。

都度の食レポでの丁寧さ、ロケでの戯け方!
山里さんの代わりに就任2ヶ月目で金曜日の3色ショッピングのMCを務めた事もあったよね。
(この前日に社会人2年目の冬のボーナスが振り込まれたから、仕事終わりに即刻降ろして電気屋さんに走ったのは良い思い出。隼くんの勇姿を録画する為だけに買ったレコーダーは今もしっかり現役です。)

半年後の春には当日同じ月曜レギュラーだった森三中さんを見送ったこと。
藤岡弘、さんのご家族一同とロケをして、家族みたいに温かく受け入れられた時のほくほく顔。翌年の「小盛りのハナシ」でも話してくれたよね。
業務スーパーやらコストコ、キャンプ、クイズ。色んなVTRの度に映るワイプでの君の表情。美味しそうに料理を頬張る姿!

シーズンレギュラーを決める為の配信特番で後輩達がずらっも登場して、内心ちょっと焦ったこと。
「夏休み」と称して足を運んだ古民家でのロケ。大好きなコーヒーを淹れたこと。
にこるんちゃんとふたりで務めたコーナー、始まりは必ずふたりして戯けてたこと。
いつからか託される様になった放送終わりのひとこと。CM中のダンス!(途中からフワちゃんが君に全部託したという噂を含め)
MCを務めたダーツdeショッピングでは、ずっとずっと大好きだったモデルさんととうとう共演したこと。
ある日から生まれた「うまさ、てんこもり!」なんて茶目っけたっぷりなフレーズ。

流行病に罹患して10日程活動を休止せざるを得なくなった時。
焦りと不安でいっぱいの君の代わりに、涼太くんが代わりに出演した日もあった。「自分は一人じゃなかった」と、テレビ画面越しの涼太くんの姿を観て実感したと後々話してくれたこと。

世の中の規制が年々穏やかになるにつれてライブやイベントが増えても、それでも日程が被らぬ限り必ず君はスタジオに立ち続けたよね。
きっと身体が重い日も、心が疲れた日もあったんじゃないかな。それでも隼くんが変わらず居てくれる事が、日常を頑張る糧でした。頑張ってくれて有難うね。きっとこの気持ちで居るのは、私だけじゃ無いはずだよ。


27歳の誕生日当日は月曜日。
前日まで青森でライブしてたなんて嘘みたいに、いつもと変わらずヒルナンデスに出演したこと。

左は27歳のお誕生日当日、
右は2023年の小盛りのハナシ翌日の新年のもの。
どちらも羽田空港の待合ロビーにて。
どうしても沢山の知らぬ人が隼くんを観る光景が見たくて、
飛行機の時間を調整したり空港のテレビを探し回った事が
何度もあった。いつも嬉しくてどきどきしてたな。

隼くん自身だけでは無くて、彼の大切なお母さんのお誕生日当日にレギュラーとしてヒルナンデスに立つ年もあったこと。
「こんな親孝行の形もあるんだね、素敵だ」とテレビ画面越しにちょっと胸がいっぱいになったな。


「いつか自分の番組のゲストにGENERATIONSのメンバーを迎える」
そんな隼くんの夢が叶う第一歩みたいに、何度も大切なメンバーが月曜ヒルナンデスに訪れたこと。
全員が揃った日、何人かだけ。本当に色んな日があって、そんな最中いつもちょっと擽ったそうに笑ってる隼くんの姿を見る事が大好きだった。大好きだったよ。



MCの南原さん曰く、隼くんは「月曜日の太陽」だったらしい。


前向きで、エネルギッシュで、真面目で。
偶に戯けてはよく笑い、楽しく過ごす。
皆を照らす明るい太陽!

だけどなんというか、太陽みたいな隼くんが照らす対象にはいつからか隼くん自身も含まれていた様に今ちょっと思ったりするのです。
どうだろう。隼くん自身はどう思うかな。


「北風と太陽」という童話がある。

ある日太陽と北風がどちらが旅人の着物を脱がせられるかを競う、そんな物語。
冷たい北風は旅人の上着の紐をより一層堅く締めさせる一方、明るく照らす太陽は旅人を少しずつ温めて、締めた紐を優しく解いていて。

一見関係のない様な、みんなに永く愛されてきた素晴らしい童話だけれど、私にはなんだか君に少し重なる様な気がしてならないのです。


2020年10月5日 月曜日。

たったひとりで身近な人、お茶の間皆が知るお昼の番組へレギュラー出演をするにあたって、髪を決意や願い、配慮を込めて黒く染めたこと。

いつも付けてるピアスだって必ず外していたね。
一緒にスタジオに立つ人、テレビ画面の向こうの星の数程の人達の受け取り方を考えて、きっと「誰かに受け入れて貰える事を待つ」では無く、「自ら受け入れて貰えるよう変わる」を選んだこと。
多分その選択には、グループの未来への責任みたいなものだって馳せてたのではないでしょうか。

とても真面目で、多分自分を許す事があんまり得意では無い隼くんが北風みたいにしゃんとしながら、世間が翳りを持って冷え込んだ時期に不安と緊張、背負った色んな感情と共に(ちょっと巡る考え故にお腹すら痛めつつ)新しい道に進む姿。
同じ人間としてとても眩しかった。

だけど、当日いざ緊張してスタジオに向かうと開口一番に「金髪の方が良かったのに〜」と言われて、なんだかもう拍子抜けしたこと!

よく笑って、話して、緊張したり悩みながらも朗らかに周囲を照らし続けて。そんな日々を過ごす内に少しずつ「こう居た方がいいよね」と隼くん自身の中で取り決めていたものが、なんだかほぐれで解かれてゆくみたいに変化していったよね。
耳元でピアスが七色のプリズムを放つ様になったり、髪色が茶色、オレンジ、シルバーに変わってみたり...

たったひとりの「小森隼くん」という人間が、皆の太陽の様な人が、気が付けば自らをも温かく照らしていて。
ほんの少しずつ自分に優しく、許して解いてあげる過程をこの月曜日のお昼を通して見せて貰って居たなと、振り返った今感じるのです。

北風の様に決意を込めて、
自らに厳しく向き合うって素敵。

だけど、時を重ねると共に太陽の様に
温かく自分を解かして、許して、
優しく居てあげるのもとっても素敵!

「月曜日の太陽」こと隼くんに、一体どれだけの人が心を照らされたろう。
一緒にヒルナンデスを観た職場の人、家族、友達、沢山の身近な大切な人達が、君を観る度に必ずと言っていいほど「笑顔がいいね」と共に笑っていました。きっと全国の無数のお茶の間の誰かだって同じ気持ちだったはず。

君はみんなの太陽だった。
週のはじまりを照らす唯一無二のおひさま。

だけど、時と共にきっと自分自身をも照らせるようになった3年3ヶ月。大切過ぎる意味が確かにそこにあったんだよと、遠くから見ていて思う。

卒業発表があった2023年12月18日。

いつもみたいに11時55分を迎えた最中、なんとなく嫌な予感がして「隼くんが何事も無く過ごせます様に」と、ただただひっそり願いながら仕事をしていた最中だった。
届いた通知に頭が真っ白になって、気が遠くなる中何も手に付かないまま家路に着いた。家に着くまでの事はあんまり覚えてない。

あの日、私はどうやって帰ったんだろうなあ。


息つく間も無くその日の放送の録画を見返した最中、最後の卒業発表の場面。

「(隼くんの卒業は)寂しいですよ!」
「私も色んな人を見送ってきたけれど、やっぱり隼くんはヒルナンデスを凄く明るくしてくれたので」

にこるんちゃんがそう話した時、それまでにこにこ落ち着かない様子だった隼くんの口角が、一瞬泣き出す前の子供みたいにぐっと下がっていて。
(隼くんは口の形があんまり嘘付けないよね、と私はいつも思っています。どうだろう。)

「最後の最後まで、来週まだありますんで、笑顔で、このお昼、卒業していきたいと思います!皆さん、また明日ぁ」

ちょっと力の解けたやんわりした声でいつもの締めのひとことを話す姿に、卒業発表である今日がもう胸いっぱいな様子なのに、来週の最後の日の隼くんは一体どうなっちゃうんだろうかと思った。笑っていても、泣いちゃっても素敵だよね、なんて考えながら。

でも翌週、2023年12月25日。
最終日にガーベラ、バラ、ディルフィニウムにナズナ達が纏められた優しい花束を抱えて、卒業発表の日と同じ洋服とヘアセットで笑う隼くんの姿を見て気が付いた。


本当は18日が本当の、本当に最後の日だったんだね。 


これはただの私のエゴでしか無いんだけど、最後は生放送で送り出されて欲しかったな。
いつか笑って「あんな事もあったね」と話す日が来るのかなあ。今はまだ、寂しくって駄目そうです。

「このヒルナンデスに来させて頂いて、本当に沢山の色々な経験と、沢山の方に出逢わせて頂いて」
「本当に凄く素敵なパワーを沢山頂きました。今度は自分が頂いたパワーを誰かに届けられる様に、これから先も頑張っていきたいですし、このヒルナンデスメンバーを忘れる事なく、またいつでも遊びに来させて頂きたいと思っていますので!これからも引き続き宜しくお願いします」

そんな言葉と共に、7年前に初めて登場した時と同じ、3年3ヶ月前にレギュラーとしてスタジオに立った時と同じくしゃくしゃの笑顔で去る姿。

馳せる気持ちも、置かれた立場もきっとあの頃とは違うはず。だけど隼くんの太陽みたいな笑った顔は最後までちっとも変わらなかったね。
寂しくて、でもそこに立ち続けてくれた日々があまりに大切だったから、ただただ胸がいっぱいでした。




気が付けばヒルナンデス卒業から3週間が経ちました。(正しくは2週間なんだろうけれど)

君にとってあの月曜日のお昼での日々はどんな時間だったでしょうか。

「色々な挑戦をやってみたいなと思います。自分自身がこれ特技なんですよ!って月曜メンバーの皆さんに紹介できるものがなくて、僕は本当に運動もできなければ、料理もできなくて。
早くから一人暮らしをしているのですが、掃除・洗濯とか、家庭のこともちゃんとできてるか?って言われたら自信がないのでどんどんどんどんチャレンジしていきたいです!」

レギュラー就任時のインタビューで隼くんはこう話していたけれど、君がこの旅路を思い起こして真っ先に唇をつく挑戦ってなんだったろう。

再び問うてみたけれど、簡単に言葉に出来る時間では無いのかもしれないねと、ここまで振り返ってみて今思ったりしています。

これは3年目を迎えた時に書いた手紙。


3年3ヶ月前、隼くんがヒルナンデスの月曜レギュラーになったということ。




それはつまり「番組をより良くする為に」と沢山の制作側の大人が集まって考えた時に、3年、或いはもっと前に、「小森隼くんが良いのでは」と君を推して賭けた人がこの世のどこかに必ず居る訳で。


隼くんという芽を見つけて、己の審美眼を信じて可能性を見出した事って、その人の立派な功績だと思う。


でもね、
それよりずっと前から種を蒔いて、悩んだり、緊張したり、不安になりながらも一生懸命小さな芽を育んできたのは。
期待されたその芽を決して枯らさず、太陽として花を咲かせて、3年3ヶ月守り続けることが出来たのは、他の誰でもなく隼くんの努力がなし得たことだと思うんです。

皆が憂鬱になりがちな週の始まり。
そんな月曜日のお昼に、3年3ヶ月間居続けてくれて有難う。勇姿を見守らせてくれて本当に有難う。

あなたを好きでいる事が人生最大の誇りです。
それはこの先も、絶対的に変わりなく。




隼くんの事が元々好きだった人達だけではなくて、君の事を全く知らない人、その笑った顔だけなんとなく知っている人、初めて出逢った人。
そしてきっと、過去に君の事が好きで、今は離れてしまった人達も。

小さな子どもから、もう隼くんの何倍も年を重ねたお年寄りまで。
(私は職場の85歳のおじいちゃんと一緒に観た事があったな。「小森さん、出よるったい」と君がワイプに映る秒数をいつも数えていました)
何度「あんたの好きな隼くんが」とヒルナンデスの話題を振られたろう。どれだけコミュニケーションの理由を、きっかけを君が担ってくれたろう。
星の数程の沢山のテレビの向こうの誰かが、そこに居る君に照らされていたんです。



私の妹の友達が偶々お仕事の都合で月曜ヒルナンデスの現場に入る事があって。
その時全然知らないけれどずっとにこにこしていて、とても優しくて良い人が居たんですって。

それはね、他の誰でもなく隼くんでした。
その子が妹に伝えた「優しさが滲み出てました」というひとことが忘れられない。



人間だもん。身体がつらい時、心が疲れてる時、緊張や不安に苛まれる時、戯けるような気持ちで過ごした時だってあったと思う。
せわしい中でスタジオに立ち続けた故の大変さ、上手くいかなくて悩んだ事もあったかもしれない。私になんて知り得ないところで、語り尽くせぬ数多のエピソードが存在するんだろうな。
だけどその根本にある隼くんの優しさ、人の心を和ませる才覚は同じ場所に居る人にも、お茶の間の無数の瞳にちゃんと映っていました。
伝わってたよ、大丈夫だよ。



それはきっと、周囲の反応やリアクション、言葉を誰よりも気に掛けて見てる、隼くん自身が1番知ってるかもしれないね。



頑張ってきた事実をどうか忘れないで。


自分自身の大切なたゆまぬ努力を無かった事になんてしないで良いということ、覚えておいて欲しいんです。
人って偶に忘れちゃう生き物だと思う。
ふとした時に「自分なんて」と心がささくれて過去を蔑ろにしてしまうものだから、どうか必ず。
ずっと、ちゃんと君自身を誇っていて。





世の中に厚い雲が掛かったように、どこか仄暗かった2020年。隼くんが月曜のお昼に立つというニュースはまさしく「光芒」の様だった。


「光芒」とは、

①太陽が雲に隠れているとき、雲の切れ間あるいは端から太陽の光が漏れ、光線の柱が放射状に地上へ降り注いで見える「薄明光線」または反薄明光線。
②尾をひく光のすじ。光のほさき。ひかり。
② 他よりも一段とすぐれて目立っているところをいう。

そんな光芒は、「天使のはしご」とも呼ばれているんだそう。

知ってるかな。
「天使のはしご」ってね、幸運の前兆、願いや夢が叶う前触れだと言われてるらしいよ。


四季を三度と少し巡った居場所を巣立った君の下に、今雲間から必ず光芒は差す。
急にはしごが外れる様に全てを失くした気持ちの日々は、今も君の心にあるでしょうか。どうだろう。
私はそんな君を次に繋いでゆくのは、君が放つ陽の光こと「天使のはしご」だと思うんです。



だって君は、「月曜日の太陽」だ。



つらさや痛み、悲しさや悔しさ。この世でたったひとり、君だけが知っているその感情をどうか大切にしていて欲しい。

だけど沢山の人の期待や喜びを背負って隼くんが月曜日のお昼に誰かを照らし続けたその光は、これからは必ず君の夢を叶える為に差す。
幸運は、3年3ヶ月で積み重ねた時間と経験、御縁やパワーと一緒にちゃんと君のポケットの中にあるよ。取り出して抱き締める未来はきっと近い。 

だから大丈夫。信じて。





月曜ヒルナンデスのレギュラーメンバーとしての
3年3ヶ月、見守らせてくれて有難う。

1週間のはじまりを照らし続けてくれて、本当に有難う。ただ観ているだけの私にとっても貴重で、大切で、いつも誇らしかったです。
きっと楽しいばかりじゃない、大変な事だってあった筈の日々で、そこに変わらず居てくれて有難う。



道半ばでその名前の様に
月曜日のお昼を巣立った君の夢が、
まだまだ実現していない君の望みたちが、
これからの未来で幾つだって叶う様に。大丈夫。





光芒の下にて、君は光り輝く。この先も。

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