見出し画像

親愛なるよすがへ

これらすべては、ただの手紙と日記をお匙でまぜたような、とても長い独り言です。

これは我が家のベランダから見えた今日の空。
君の大切な日はいつも空が青い気がします

2022年10月29日。
今日、小森隼くんという人がこの世界に産まれて、丁度10000日を迎えたんだそう。



今朝は、カーテンの隙間から差し込む朝陽で目が醒めた。

いつもより布団に居た時間は短かった筈なのに、ようく眠った日の翌朝の様な、なんだかちょっと満足げに「ふふん」と笑いたくなる様な、そんな気持ちで起き上がる事が、我ながら不思議な感覚だった。

「早起きしたし家中掃除しちゃおうか」と引っ張り出した掃除機の音(尚、吸い込んだゴミはその後全部床にひっくり返しました)、珍しくカーペットを洗おうと洗濯機に詰め込んだ時のあの中々入ってくれない手強さ。

近頃冷え込んだり、立ち直したり、気温が安定しなかったけれど、玄関から一歩出た先の今日の空気はとても穏やかだったこと。空がとても優しい水色だったこと。
お気に入りの、袖がぽわんとした緑色のワンピースを着て歩いた商店街の道端に、ふとした時に映る自分の影。

君の最近のお気に入りのホットドッグを初めて食べたこと。
元々苦手な筈なのにパリパリのウインナーが美味しくて、「美味し〜!」とひとりの部屋で実は歓喜したこと。温め直し過ぎて、ちょびっと火傷したこと。店員さんがふたつケチャップを入れてくれていて、思わず一昨日の君に「おひとつ、どうぞ」と差し出したくなったこと。

御近所のケーキ屋さんで悩んで選んだ小さなタルトの、宝石みたいなうつくしさ。そうっと抱えて帰る時の、「腕の中のタルト達を守らねば」とむくむくと心から湧き出た庇護欲。

スーパーの中を何の気無しに歩き回りながら、お夕飯を何にしようか考えたこと。
「君の大切な日だから」と手に取ったセボンスター、ランダムで出てきたのはチューリップのチャームだったこと。花言葉は、「思いやり」と「博愛」。
洗濯物を取り込む為に出たベランダから見えた、夕刻のオレンジブルーの空。あの瞬間に胸にぎゅっと上がってきた、涙になって溢れそうなえもいわれぬ感情。


文字にしてしまえばなんてことない1日だけれど、多分私は今日の事をずっと忘れないんだと思う。
「君の人生で一度きりの、とても大切な日」という、その事実だけでありきたりな日さえ宝石になってしまうのだ。

隼くん、君という人は、そういう誰かの日常に特別を与える不思議な魔法の才を持ってるんだよ。
いつも本当に、本当に有難ね。



隼くん、私の大切なよすが。(と勝手に呼んでいます)


この世界と出逢って10000日目、いかがお過ごしでしょうか。
どうしても綺麗な事ばかりでは生きていけないこの世界は、君の目にどう映っていますか。なるべく美しいものばかりが君の傍にあれば良いと願っては居るけれど、それもまた中々むつかしいもので。
悲しいしちょっと遣る瀬無い、けれど、あなたが同じ時代に生きていてくれて、私はとても嬉しいです。嬉しい。

かなりチャーミングな風の噂で、君は今大好きな人達とどうやら南の国の方に居ると伺いました。
北風吹き込む近頃から、季節に反してまた夏へ。お仕事でしょうがその在り方が面白いな、春夏秋冬を行き交うタイムトラベラーっぽいな、と思ったりしています。
産まれて10000日目、まさか10月に南風に吹かれながら迎えるだなんて想像していなかったのではないでしょうか。きっと君を産み、この世界に迎え入れたお母様だってそうなのかもしれないね。

突然ですが、私は君の「好きなところ」が沢山あります。君の事、なんにも知らないけれど。


振る舞いを育んできた場所がよく分かる、嫋やかで綺麗な踊り方。どんなに遠くても、仄暗くても、「あそこで隼くんが踊ってる」と直ぐ分かる。長い手足のしなやかさ、表情も背も活かす表現。緩急。

自分の信じる美しさを明確に持っているところ。
自分と異なる思想を持った人が異とするものを唱えた時、面食らうけれど、ぐっと呑めるところ。傷付けようとはしないところ。(やさしいね、無理なくね)

自分の心を惹くものに対しての心の広大なるキャパシティ。「良い」と思ったものに対して、君はクラウチングスタートで駆け出せる。
子供の頃、ダンスを選んでくれてよかった。じゃなきゃ出逢えなかったかもしれない。隼くんを知らぬままの私の人生は、多分とても寂しい。

右眉の上の、一等星みたいなほくろ。
猫ひげみたいなくの字えくぼ、やさしい桜貝みたいな爪の形。

太陽よりも月がいいし、闇よりも夜がいいところ。

凡ゆるカテゴライズ、レッテルに対する純粋なる疑念。根本的なところに焦点を当てる事が出来るところ。理屈抜きというか、それって凄くピュアだよなと思う。

人の短所をリフレーミング出来る即興性。肯定する力。

グループの中での自分の役割を見出せず葛藤した時、そこで終わりにせずMCという在り方を見出したこと。「いつか」を永遠に来ぬものにせず、手繰り寄せたのは間違い無く君の一歩踏み出す勇気が成したものなんだと思う。
周りの人達が「やってごらん」と差し出した役割を、きっと沢山不安もあったろうに、ちゃんと受け取った選択の正しさ。手放さず、悩んだり、落ち込んだりしながらも、今も進み続けてる君の真っ直ぐさ。同じ人間として、とても尊敬しています。

言語表現の豊かさ。
持ち前の感性の繊細さと相まって、君の言葉は度々人の心の琴線を揺らす。君のフィルター越しに見るこの世の全てを、偶に知りたくなります。どんな風に見えてる?どうしたら隼くんみたいな言葉の魔法を使える様になるかな。いつか教えて欲しいな。


これら全部、ひっそりと隼くんの好きなところを書き留めてる場所やノートから引っ張り出してきました。これはまだほんの一部だし、まだ書き出してないものもある。
夜空の星を数えるに匹敵する程、君ったら魅力があるんだよ。自信を失くしそうな時は思い出してよね、君のいいところと辿ってきた人生の轍を。


隼くんを見ていると、君はとても真面目で、心根が優しくて、そして誰よりも自分自身に厳しいなと思う事が多々あります。
(勿論私はなんにも知らないんだけど)

例えば戯けて冗談言っちゃう事は多々あれど、本質的な嘘はつけないところ。凄く素直で、ピュアで、実直。
誰かを安心させる事に長けている。人の為に笑えるし、不安な人に寄り添える。
それら全部君の長所の一部なんだけど、偶に君の心を日陰に連れて行ってしまう戦犯でもある気がする。

日陰は心地良い。
夏の陽射しが痛い時は心地良い風が吹くし、ひと休みに丁度よかったりする。眩しく無いから陽だまりより目も開くよね、一度周りを見渡すのに相応しい時もある。
でもね、光合成を遮って君の心を枯らすならば、その場所から離れても良いんです。

君は神様にも、聖人君子にもならなくていい。
これからの人生は、多分まだずっと長い。
だからこそ、君がのびのびと陽や月の光を浴びれる場所を、在り方をなるべく自らの意志で選んで、望む花を咲かせて生きていけたら良いなと思っています。

苦しい場所に留まらなくても大丈夫。誰かに向ける安心や優しさを君自身に向けても大丈夫。自分で日陰から出れない時、信頼出来る誰かの手を借りても大丈夫。そして自分の事を許しても大丈夫。
なにを選んでも、大丈夫だからね。

花のような人よ、隼くんよ、忘れないで。


あらためて生まれて10000日、おめでとうございます。
君がいつだか好きだと言った歌に「10000回駄目でへとへとになっても、10001回目は何か変わるかもしれない」というフレーズがある。
隼くんの10001日目はどんな日になるかな、分からないけれど、どうか君が伸びをして歩める様な、ゆっくりとした呼吸で生きていける様な、そんな日々である事を願っています。
壮大じゃなくてもいい、でも君の夢がこの先全て叶えば良いと思ってる。

この先何かが変わっても、変わらなくても君は君だよ。大丈夫。
そして君の未来は明るいからね、信じていてね。


私の親愛なるよすが、いつも有難う。
生まれてきてくれて本当に有難う。

隼くん、大好きよ。

いつもあなたの幸せを願っています。
君の味方より


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?