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 煌々と光を放つ都会のビル群に囲まれた会場には大勢の観客が押し掛けていた。
 僕は大事に握り締めたチケットに記載された座席番号を確認し、席へと急ぐ。自分の座席を探し出し、ふうっとため息をつく。緊張感が拭えず、落ち着かなかった。まだ時間はたっぷりとあるのに。
 陽が沈み、鈴虫が鳴いていた。
 僕はただ鈴虫が奏でる音色に耳を傾けていた。彼らと出会ってからの約7年間が走馬灯のように思い出された。終わりという事実がまだ信じられずにいた。
 ステージの照明がふっと消え、会場が静まり返る。そして、またステージが明るくなり、3人の男性が姿を現す。
相変わらず鈴虫が鳴いていた。心臓の音と鈴虫の鳴き声の波長が合わず、居心地が悪かった。
 最後が始まる。その事実が会場を包む空気で伝わってきた。
 1曲目の演奏が始まった瞬間、鈴虫の鳴き声は掻き消され、会場が震えた。


 今日はここまでといった具合に伸びをした。実力テストを来週に控えていた僕は日々の憂鬱を振り払うかのように勉強に明け暮れていた。
 母親が持って来てくれた、すっかり冷めきったココアを飲み干し、ベッドに潜り込んだ。部屋はぽかぽかと暖かいけれど、布団の中はひんやりとしていた。このひんやりとした空間を自分の体温で温めていくのが僕は昔から好きだった。
 勉強中は携帯電話を絶対に見ない。僕は枕元に放置してあった携帯電話を手に取ってみた。当然ながら、メールボックスの受信件数は0件だった。それでも、携帯電話でネットサーフィンをしてから寝るのが習慣になっていた。その時、自分の携帯電話にラジオの機能が付いていることにふと気づいた。ラジオを聴いてみようと思った。正直なところ理由はわからない。
 布団を抜け出し、机の上に置いてあったイヤホンを手に取って、再びベッドに潜り込む。夜に音楽をかけると、母親が怒鳴り込んでくるのが目に見えているので、予防線を張っておく。
 ラジオを起動した。流れてきたのは地元のFM放送だった。
 男性のパーソナリティーが一人で何やら話をしている。声を聞いた瞬間、男性と分かるものの地声は高めだった。
 「俺達、【×××】の新曲が来月の1月10日に発売されます。ということで今日は新曲の初OAです。それでは聴いてください」とラジオの向こう側の男性は新曲のタイトルを告げた。
 前奏がなく、いきなり男性ボーカルの透き通っていて伸びやかな歌声が僕の耳に流れ込んできた。その彼の歌声に反して、とてつもなく鋭利な歌詞が僕の心に突き刺さった。人間関係の息苦しさを代弁するその歌に僕は心を鷲掴みにされた。
 曲が終わる。胸が苦しくなってしまった。高校という閉鎖された箱の中での人間関係の苦しさを嫌でも実感させられた。
 そんな僕の胸の苦しさを当然知る由もなく、電波に乗って「いい曲でしょ?」と微笑んだ。顔も知らない彼が微笑んでいるように感じた。
 「続々と感想メールが来ているようですよ。では、これを読みましょうかね。ラジオネーム サヨコっちさん」
 そのまま彼はサヨコっちという、おそらく女の子であろう人のメールを読み上げた。
 滝口さん、こんばんは。初めてメールを送ります。新曲、聴きました。私は今、高校2年生なんですが、友達関係とか部活の人間関係ですごく悩んでます。毎日色んなことが上手くいかないです。この曲は胸に鋭く刺さるけど、そっと近くにいてくれるような曲な気がしました。もう少し頑張ってみようと思いました。ツアーも行きます。読みづらい文章ですみません。
 まさしく僕が言いたかったことを代弁してくれたような気がした。
 「そうですね。やっぱり学生生活にしろ、働いてるにしろ、毎日辛いことの方が多いんですよ。報われることなんてほとんどないし。俺だってそうですよ。でも、生きて行かないといけない。そういうことを曲にしたかった。少しでも多くの人に届いてくれたら嬉しいです。それではまた来週もこの時間で」
 そうラジオの中の彼は締めくくった。
 その日はなかなか寝付けなかった。興奮もしていたし、何よりも胸が苦しくて苦しくて堪らなかった。
 何とか2時間ほど微睡むことのできた僕は重い頭を引き摺るようにして起き上がった。布団を脱ぐと、途端に寒さが全身を覆う。着ていたパジャマに急いでパーカーを羽織り、自室を出る。
 「おはよう」とリビングへと通じるドアを開けると、父親とぶつかった。
「おお、省吾、今日は珍しく早起きだな」
「なんか眠れなくて」
「そうか。来週からテストだもんな。あんまり根を詰めすぎるなよ」
「分かってるよ」
 「じゃあ父さん、行ってくるから」と廊下へと消えて行った。
 リビングに入ると、母親が「おはよう」と僕に顔を向けた。僕も「おはよう」と言って、席に座る。テーブルにはすでに朝食が用意されていた。トーストに目玉焼き、ココア。飽き飽きしていた。毎日、喉が通らない。ここ数年、朝食の変更を要求しても聞き入れてもらえた試しがなく、もはや諦めていた。
 無理やり朝食を喉に押し込んで、家を出た。
 僕は昔からマフラーが嫌いだ。毛糸が首にちくちくと刺さって、首が痒くなるからだ。だから、冬はいつも首元が寒い。でも仕方がないので、我慢している。今日も自転車を漕ぎながら、前方から強烈な寒気が打ち付けてくるので、首元から冷気が忍び込んで、ぽかぽかしていた体は一瞬にして冷え切ってしまった。
 8時半のチャイムと同時に2年3組の教室に滑り込んだ。
 担任の荒木の「有坂、遅刻だぞ」という注意を無視し、席に座る。
 僕の学校生活は「授業、寝る、授業」の繰り返しだ。進学校ということもあり、授業は真面目に受ける。授業が終われば、次の授業の準備をし、机にうつ伏せる。15分の休み時間を睡眠に当てられればいいのだけれど、なかなかそう上手くは行かない。当然ながら、休み時間なので周りの生徒は騒ぐ。うるさいと思いながら、周囲の雑音に耳を傾け、15分というこの世で最も無駄な時間を過ごす。
 この日も誰とも言葉を交わさず、ふと窓の外を眺めると、すでに日が暮れていた。
 自転車を押しながら、校門を抜けると、毎日解放感に包まれる。今日もやっと終わった。毎日が退屈で堪らない。
 自転車を漕ぎながら、昨日ラジオで聴いた顔も知らない彼のあの曲を思い出していた。単純にとてもいい曲だと思った。でもそれ以上に切なさで胸が覆われる。そして彼のあの鋭い歌詞には強烈な覚悟を感じるのだ。どうしてあんな曲が書けるのだろう。僕よりは年上だろうけど、でもまだ若く感じた。彼のことがどうしようもなく気になった。
 家に帰ると、帰宅を告げる挨拶もそこそこに自室に引きこもった。携帯電話を片手に昨日の曲のこと、彼のことを調べようと思ったのだ。ただ、曲名も彼の名前も彼が所属するバンド名も思い出せなかった。我ながら呆れて物が言えなかった。どうして何かしら書き留めておかないのだ。でも、その隙を与えなほど彼らの曲に魅了され、呆然としたのだろうと無理やり自分を納得させた。
 脳裏に刻み込まれている歌詞の一部を検索してみると、1組のバンドがヒットした。「【×××】、1月10日にニューシングル発売決定」との見出しの音楽ニュースサイトだった。そこから色々なサイトを見て回った結果、【×××】はボーカルギターの滝口恭平、ベースの田中奏太郎、ドラムの武田直人が2007年に結成したバンドだということが分かった。彼らはまだ19歳だった。僕とほとんど歳が違わなかった。
 翌日は学校が休みだった。僕は自転車で15分ほど行ったところにある市内では有数の繁華街へと出かけていった。自転車を違法駐輪の多い雑居ビルの前に止め、商業施設のところまで歩いて行った。そこの9階には大きなCDショップがある。そこだったら彼らのCDも置いているだろうと考えたのだ。予想は見事に的中した。彼らの過去の作品がそこにはすべて並んでいた。金銭的にすべてを買うことはできなかったけど、その中から気になる作品を手に取り、購入した。
 家に帰って早く聴きたくて、真冬の寒風を切り裂くように自転車で駆けた。



 夜の12時になり、僕は布団にくるまった。充電中のスマートフォンからradikoのアプリを起動する。
 定刻になっても、彼の落ち着いた、それでいて説得力のある声は聞こえず、見知らぬ女性の妙にテンションの高い声が聞こえてきた。
習慣でラジオを聴いていた。
 彼の声がもう聞こえるはずはなかった。握り締めたスマートフォンをそっと枕元に置き、眠りについた。

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