普通の生活を送ることがいかに難しいか考えさせられた話
ここ数年あまり自分の誕生日を意識してこなかった。別に誰かから誕生日プレゼントをもらえるわけでもないし、特別に祝ってもらえるわけでもない。
寂しい奴だなあとは思うけど。
誕生日は平穏に過ぎていくものだと思い込んでいた。今年も平穏に過ぎて行くだろうと。
僕の誕生日である4月13日にplentyという僕の大好きなバンドが解散を発表した。「お前の誕生日だとかそんなこと知らねえよ」と思う人が大半だろうけど、僕にはあまりにも衝撃的で言葉を失った。誕生日だというのに残業をしていた僕はたまたま携帯を見たときにその事実を知った。「plenty、解散を発表」という見出しを瞬時に理解できなかった。正直なところ、何の根拠もなく「永遠に続く」と思い込んでいた。それにしたってあまりに唐突だ。
僕は高校時代、ライブに行くほど熱心に音楽を聴いていたわけではない。まあ、つまるところテレビで流れている流行りの音楽を聴きかじる程度だった。大学受験の勉強をしていたときに偶然ラジオを聴くようになった。ラジオを聴き始めた経緯は以前僕がnoteに書いた「ラジオ」というタイトルの文章に書いているので、ここでは割愛。
FM802を熱心に聴くようになり、そこで当時頻繁に流れていたのがplentyの"人との距離のはかりかた"だ。そのタイトルといい歌詞といい、すべてに衝撃を受けた記憶がある。高校時代にまったくいい思い出がなく、予備校でも「今は勉強が第一だから友達は作らん」と決め込んでたけど、結局自分自身が「人との距離のはかりかた」がわからなくなっていたんだろう。
plentyの曲を聴くといつも「じゃあお前はどうなんだ?」と問いかけられているように感じる。"あいという"の一節、「君ならどうする 僕ならどうする」の印象が大きいのかもしれないが、僕はplenty自体にそんなイメージを抱いている。
plentyの3人は自分達で納得のいく決断をしたんだと思う。3人の前で惚けながら聴くことができなくなるのは悲しいけれど、誰だって何かを決めないといけないときは来るし、新しい道に進まないといけない。
僕にも何かを決断しなければならないときが来るかもしれない。そのときに「君ならどうする 僕ならどうする」の視点は常に頭の片隅に置いておきたいと思う。後悔しないために。
まあこんな偉そうなことを書いてるけど、僕自信まったくもって解散を受け入れられていない。日々の生活は続いていくけど、この日のことは一生忘れられないだろう。
本当に普通の生活を送るのは難しい。
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