平賀源とブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「平賀源内」の解説

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「平賀源内」の解説

平賀源内
ひらがげんない

[生]享保13(1728)頃.讃岐,志度浦
[没]安永8(1779).12.18. 江戸
江戸時代中期の科学者,文人,戯作者,画家。字は子彝。源内は通称。名は国倫 (くにとも) 。号は鳩溪,紙鳶堂。戯作者として風来山人。浄瑠璃作者として福内鬼外と称する。高松藩の足軽の子で,早くから医学を学び,長崎,江戸でオランダ語,本草学などを修めた。才気煥発,多技多能で,あらゆる科学に関心をもち,日本で最初の物産会を催し,ヨーロッパの諸機械の運用,石綿の製造,製陶,鉱山採掘,摩擦電気の活用,毛織物製造などを行なったが,上から用いられず,その不満を戯作にぶつけた。『風流志道軒伝』 (1763) ,『根南志具佐 (ねなしぐさ) 』 (1763) ,『風来六部集』 (1780) ,『放屁論』 (1774,1777) などがあり,安永年間 (1772~81) 刊行の洒落本『太平楽巻物』『里鶴風語』,浄瑠璃『神霊矢口渡』 (1770初演) ,『源氏大草紙』 (1770初演) ,『忠臣伊呂波実記』 (1775初演) などもある。晩年誤って人を斬り,投獄され獄死した。本草学関係の著書に『物類品隲』 (6巻,1763) ,『神農本草経図註』などを残した。また,オランダ書物から洋風画法を学び,『西洋婦人図』は彼の作であるとされる。その画風は秋田藩士小田野直武に伝授され,のちの秋田蘭画の基を開いた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

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