若者よ、深く考察せよ!

私は妻と結婚する前に、離れる度に刹那さを感じた。
しかし、短い時間を置いて再会出来た。

特攻隊員も同じ気持ちを抱いていた。
しかし、彼らは再会出来なかった。

なぜ、彼らがそのようにならざるを得なかったのか?
それを今の若者に考えて欲しい。

それが、人類存続の大切な課題だから。

知覧・穴澤利夫少尉
第20振武隊 一式戦闘機「隼」
福島県出身 大正11年(1922年)生
沖縄周辺洋上 昭和20年(1945男)4月12日 戦死

中央大学在学中に知り合った智恵子と婚約した後、東京大空襲下、離れ離れの中、出会うことが出来、無事を確認しあった後、池袋での別れが最後となった。

知覧から、5度目の出撃、利夫は何度も出撃を行っていたものの、何度も生きて帰ってきた。4月12日が最後の出撃であった。智恵子から貰ったマフラーを首に巻いて利夫は出撃した。
知覧から飛びだった直後に智恵子は到着した。

最期の出撃となった4月12日の4日後である4月16日、智恵子に利夫から遺書が届く。
智恵子は、この手紙を読んだ時、胸が締め付けられそうになったという。また、食堂経営者である鳥濱トメが「笑って行った人など1人もいない。愛する人と暮らしていたかった。でも、もはや本土上陸目前だったから、愛する人を守るんだと、私にはっきり言ったよ。」と語った。

「あなたの幸せを願う以外に何物もありません。
 無駄に、過去のことや過去の義理にこだわってはいけません。
あなたは過去に生きるのではありませんから。
 勇気をもって過去を忘れ、将来に新しく生きる場を見出すことです。
あなたは今後の、一時一時の現実の中に生きるのです。
 穴沢は現実の世界にはもう存在しません。
いまさら何を言うのかと自分でも考えますが、ちょっぴり欲を言ってみたいです。
 1、読みたい本、「万葉」「句集」
 2、観たい画、ラファエルの「聖母子像」、狩野芳崖の「悲母観音」
 3、智恵子。 会いたい、話したい、無性に。
 今後は明るく朗らかに。

 自分も負けずに朗らかに笑って征きます。」
— 穴澤利夫

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