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母の思い(柿の木の話) #10

お世話になった校長先生のもう一つの話

 前の「コップ一杯の心のように」で話した校長先生は、N先生といい、私がとてもお世話になった先生でした。先生は、当時担任をしていた私に、学校だよりについてこんなことを話していただきました。
 「○○君、学校だよりは誰のために書いていると思う?」
 「保護者のためですよね。」
 「それもあるけど、私は学校の先生方にまず読んで欲しいんだよ。」
 N先生は、学校だよりは、保護者も大切だけど、校長である自分をもっと知って欲しいために書いていらっしゃったんじゃないかとその後思いました。学校だよりには、学校長の考えと思いが入ってると。そのことを象徴するN先生の「学校だより」(エッセイ部分)の一節を、私の学校だよりに載せたことがあります。下記をご覧下さい。<平成17年11月30日 N小での学校だよりより引用>

 『校長室の南の窓側から、大きく高い柿の木をのぞみ見ることができます。その木は、今、柿がたわわに実り、初冬の陽を受けて柿色に輝いています。
 私は柿が実っているのを見て、いつもある校長先生の幼き日の話を思い出します。以下、その話を引用します。

右の柿は地域の方から頂いた柿

 ところが、どこで見つかったのか、柿の持ち主が、母に「お宅の息子達が、うちの柿を盗んだ。どうしてくれる。」とどなり込んで来られました。その人が帰られたあと、母は二人を仏壇の前に座らせ、「お父さん許してください。こんな子ども達に育てた私が悪いのです。すみません。どうか許してください。」と涙を流し、悲痛ともいえる表情で、何回も何回も、仏壇の父に向かって謝るのです。その姿を見ていた私は、人のものを盗むことがこんなに母を悲しませ、自分の気持ちを苦しく、怖く、惨めにするものかと痛切に思い、涙があふれ「母ちゃん、許して、もう人のものは絶対盗みません。」と心の底から誓い、わびました。それ以後、人のものに手を付けることはありませんでした。

 今でもあの母の嘆きは、私の心に深く焼き付いています。母は、なりふり構わず、魂をぶっつけ、全身で私達を育ててくれたのではないかと、柿を見るたび思い出します。(〇〇市立T小学校でのN先生の学校だより より引用)

 この話をしていただいたN校長先生は,退職された一昨年(平成15年)の11月,予期せぬ病気で亡くなられました。

 私は柿を見ながら,その校長先生と同時にそのお母さんのすばらしさを思い出しています。』

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