進路選択・長女の場合

長女は人と少し違うところの多い子で、小学校、中学校を通じて、同級生には、はじかれ続け、多少のいじめにも合った。

特に女子に嫌われることが多かった。
長女のことを徹底的に嫌う女子が、小中高、大学校、会社に至るまで、どこにでもたいてい1人はいる。

ただ長女は、彼女の良さ…真っ直ぐで、超がつくほど真面目で、礼儀正しく、やるべきことはきちんとこなす…を分かってくださる先生方との出会いが数多く、どの学校においても、ぼっちの長女に寄り添ってくださる先生方がいた。担任の先生であったり、学年主任の先生、教科担任の先生、教頭先生、校長先生であることもあった。

小中学校は、場所こそ変わるが、合流してくる学校がない、実質、一小一中状態なので、9年間、顔ぶれが変わることはなかったことも、ひどいいじめに発展しなかった要因のひとつかと思う。
優しい子の多い、落ち着いた学年であったため、いじめに迎合する子が少なかった。

長女は、幼い頃から自然に興味を持っていたので、家族で野草取りやキノコの観察会に出かけて、その興味を伸ばしてきた。
高校の進路選択の時、自宅から通える範囲に、農業学科のある公立高校を見つけた。
これだ!と思った。

農業に興味を持って、入学してくる子は、長女により近いのではないか?ひょっとしたら仲の良い友だちができるかもしれない。

普通科ではきっと今までと同じく、いや、もしかしたら今まで以上にはじかれて、辛い思いをする可能性がある。
普通科に行きたいな、とちょっと言ってはいたのだけれど、長女の特性をよく知り、近くに住んでいる義母や義姉も、農業学科の方があなたに向いている、と説得してくれた。

見学に行ってみたら、長女は大いに気に入って、普通科に行きたいなんて、気持ちは無くなって、第一志望校になった。

後から考えると、この農業学科は、当時の長女の成績で余裕で合格できるレベルだったのだが、初めてのことで、全くわからず、塾の夏期講習、冬季講習を受講させたりした。

公立高校の受験は前期、中期、後期とあるが、後期は定員に達すると募集がないので、チャンスは実質2回。
さらに長女の第一次志望校は、前期に定員の70%をとってしまう。
前期の受験科目は、国語、数学、英語のペーパーテストと、集団面接。
中期には5科目に増えるので、前期で合格しておきたいところだ。

初めての面接で長女は大層、緊張したが、高校に入って何を勉強したいか、問われた時に、
「中学で、お昼休みに花壇のお世話をしていて、白い花と赤い花の種を蒔いたのに、赤と白、両方の色の花びらをつける花がありました。それがなぜなのか、学んで知りたいと思います」
といったようなことを述べた。

集団面接は3人1組で、1人は問われたことに流暢な英語で回答し、1人は生徒会長を務め、家が農家なので…と、2人ともなかなか手強いライバルで、帰宅した長女は、きっと落ちたに違いないと、意気消沈していた。

合格発表は、一緒に来て欲しいと懇願されて、見に行った。駅から学校までの距離は異様に長く、2人とも緊張して、黙々と歩いた。

合格!
自分の番号を見つけた時、長女は思わず歓声をあげ、嬉し涙を流した。
良かった!私もホッとした。
帰る道々、
「行きはめちゃめちゃ長く感じたね」
「うん、めっちゃ長かった〜、なかなか着かへんなと思ってた(笑)帰りはあっという間やね」
と笑いながら話し合った。

高校では合わない先生が1人いたが、そのほかの先生方には大変に可愛がってもらい、農業を大いに学んで、楽しんだ。

その先生方と受験の話になった時に「あなたのことはよく覚えてる。面接でこの子は合格やな、と試験官全員の意見が一致したから。」と話してくれたんだそうだ。

長女の高校には普通科もある。普通科はレベルが高く、例年倍率の高い、人気校だ。
クラスの子たちは、農業が好きでとか、興味があって、という子よりも、レベルの高い普通科には入れないけれど、家が近いからこの高校に入りたい、と、レベルの低い農業科を受験したような子が多くいて、期待したような仲良しはできなかったが、長女はやはり、そちらの才能があるようで、なんでも上手に育てることができ、先生方の覚えもめでたく、優秀だったので、小中学校の時のように、いじめられることはなかった。
おそらく、高校が一番楽しかったのではないかと思う。

そして、次の進路選択。
始めは、私たち夫婦に憧れて、同じ大学の同じ学部学科を…心理学科を受けたい、と言ったりしたこともあったのだが、私は、長女には心理学は向いていないと思ったので、反対した。

農業学科で学んだことが何も活かせず、また、学んでいるレベルが普通科と違うので、自分でプラスして勉強せねばならず、それができるのか?とも言った。

確かに…と思ったらしい長女は、農学部のある大学に見学に行った。
大学は研究が主になるので、農業は二の次になるためか、立派な設備があるにも関わらず、試験農地が荒れていたりした。

当時の長女は、高校生活が楽しかったこともあり、勉強よりも農業がしたいという結論に達し、公立の農業大学校に進むことにした。

農業を志す人たちが集うところとあって、大学よりも農地はキチンと管理されていて、そこが長女は気に入った。学力レベルはもちろん高くなく、長女は受験は首席で突破し、入学式では新入生代表挨拶を務めた。

ほとんどの農業大学校がそうなのだが、僻地にあり全寮制だ。

長女にとっては不幸なことに、入学生18人のうち半分は女子という、女子の多い学年に当たってしまった。そして、長女を徹底的に嫌う女子はもちろんいて…。

全寮制のため、家に帰れず、気持ちの処理がうまくいかなかった長女。
さらに農業という仕事の過酷さ、閉鎖的な体制、勉強すればするほど、農業から心が遠のいていった。

2年後、卒業間際に心の調子を崩した。
なんとか卒業し、帰宅して、ゆっくり休んで、調子が戻ったかのように見えたが。

就職した会社では、長女を徹底的に嫌う女子が指導役…。加えて、長女の就職した会社は、農家出身でないと、昇進も昇給もないらしく、未来を感じられなくなった長女は就職して4ヶ月で鬱病を発症し、休職を経て、退職。

3ヶ月の療養ののち、療養しながら就職活動を始めて3ヶ月で、農業とは1ミリも関係のない、今の会社に就職。
1年は自宅から通っていたが、最近、独立して、現在に至っている。

長女の場合は、私と同じく、最終学歴とは全く関係のない職種に就職となってしまった。
でも人生は長い。
そして、何が起こるかわからない。
学んだことが役立つことが、きっと、あるだろう。

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