東大生が戸塚宏を支援してYouTubeチャンネル作ったらしたら炎上した件
はじめに
noteを読んでいただきありがとうございます!
令和ヨットスクールというチャンネルを運営しているものです。
Abema TV含め運営者に興味があるという声が一定あったので、今回は自分への覚え書きの意味も含めて、チャンネル開設に至った経緯や自分の考えなどを書いております。
チャンネル作成の経緯
初見の戸塚宏氏の印象
チャンネル作成の経緯はただの前置きみたいな位置付けで事実ベースで書いてるだけなんで飛ばしても大丈夫です!
まず初めに、私は20代前半のためヨットスクールの事件の際に生まれておらず、戸塚ヨットスクールの存在も名前をちょっと知ってるくらいで、神奈川の戸塚にあるのかな?くらいの認識でした。
戸塚宏氏を初めて見たのは2023年ごろにアベプラで乙武洋匡氏や大空幸星氏と対談(?)していた動画です。
諸々の動画を見た際の感想は、他の視聴者の方とおおかた同じで「なんだこのヤバ人は…」でした。
戸塚氏は自分でもおっしゃってましたが口下手なのと、マスメディアでは過剰に人を論破して自分の話をしようとする傾向にあり、こちらが頻繁に質問をして修正していかないとアベプラでのようなことになりがちですね。
MBTI診断は絶対ENTPです笑。
ただ、私はこういった類の人を見るとどうしても気になって色々と調べたくなる癖があるのでその後Wiki、YouTubeの他の動画、戸塚氏の生い立ち、過去の事件の内容と裁判の結果、ドキュメンタリー、映画などを見ていきました。
色々見た結果スクールでの生徒が亡くなったというのは痛ましい事件だと思う一方で、なぜ彼はここまで一貫した生き方をするのだろうという疑問が沸かざるを得ませんでした。
というのも、スクールの運営自体は赤字で戸塚氏自体の生活は苦しく、自分にとって何にも得にならないようなことをずっとやっているように見えたからです。
『本能の力』
そこで、最後に戸塚氏の主張がまとめられている1冊の本を読みました。
新潮社から出ている『本能の力』という本で、戸塚氏の考えが文章になっておりある程度体系化されているものです。
この本はもう絶版なんで、新品では買えず中古で2,000円ほどで売ってたものを買いました。
Kindleでもあったんですが、電子書籍が苦手なので紙の本を買いましたね。
一通り読み終えて、全てに賛同というわけではないのですが大まかな主張には私自身の経験など踏まえても賛同できる部分が多く、アベプラでの動画と比べると端折ってる部分がなかったのがよかったです。
講演会と撮影
本を読み終えたあたりで、同時期に戸塚氏について調べていた友人(今一緒に運営している人物です)が戸塚氏に会える講演会の情報を教えてくれ、家から会場が近かったので一度会ってみようと思い参加しました。
私は基本的に気になる人がいればとりあえずコンタクトをとって会いにいきたくなる性分なので、いつもの感じで会いに行ってみましたね。
これが2024年5月の回でした。
講演自体は2時間くらい戸塚氏が話すような感じで、話の内容はYouTubeでアップしてる令和ヨットスクールでの話のカット無しバージョンのようなものでした。
高校時代受けていた東進の東大特進の荒巻先生という世界史の名物講師がおり、彼の授業と似たようなスタイルだなと思った記憶があります。
かなり劇薬ですが、主張の節々に共感できる部分があり、半世紀以上自分を貫き続けた戸塚宏という人間の主張を映像として残したいという気持ちがわいてきましたね。
完全ボランティアで友人と戸塚氏にYouTubeの提案をしたらその場で決まって、2ヶ月後に撮影を行うことがあっさり決まりました。
たまにコメント欄などで「金儲けのため」みたいなのがあるのですが、このコンテンツで金儲けはそもそもリスクリターン合ってないですし他の儲かることをやるべきなので違いますね。(実際現時点でほとんどお金にはなってなく、戸塚氏からもお金はもらってません。セミナーなどのイベント運営などでお金が必要ならそのために工面しようかなくらいです。)
2024年の7月に新宿の戸塚ヨットスクールを支援する会の事務所で3時間ほど撮影を行ったのですが、とにかく話し始めたら止まらないので上手く回せずにひたすら聞くだけになってましたね。
テレビでみるMCの人たちとかインタビュアーってすげえんだなって実感しました。
戸塚氏の主義に共感する部分
前提
前提として、人間が別の人間のことを全肯定するというような現象は基本的になく、私の場合も例に漏れず戸塚氏の全てについて肯定的であるというわけではないです。
その上で主張のエッセンスの中に共感する部分があったのでそこを上手く伝えたいと思っております。
反リベラル
戸塚氏の思想の根幹でもあり、よく言う「リベラルは悪」などの反リベラル思想について、文字列からすると右傾的で仰々しいように思えますがこれは平たく言うと下記のようなことだと理解してます。
①頭でっかちでお勉強ができてれば良く「理性が最上位」ってのは間違いで、行動を伴わないといけない
②人の世はアンコントローラブルで理不尽だから綺麗事って意味ない
①について
私自身も18歳ごろまではいわゆるリベラル的な思想で、理性とか合理性を最上位のものとして考えていたので当時の自分に戸塚氏の動画を見せたら顔を真っ赤にして早口で反論コメントを書いていたと思います笑。
かつての私自身も理性を重要視しており、それ以外の要素(身体、言外のコミュニケーションなど)を軽視していたため10代の自分は東京大学に合格したことで、なんだか自分が偉いんじゃないかというような謎の錯覚がありました。
当たり前ですが実際はそんなことなく、親が用意してくれた環境でダラダラ生きてただけで自分自身の力はないただの子供です。
また、世の中の一部の人は東大生をなんだかすごいものと思ってますが毎年3,000人も入るし親が用意してくれた環境がよくてその上で頭が悪すぎない、くらいのものなんで変に有り難がることについては疑問です。
国立大学の受験は過度にシステム化されていて、規定の点数を取れば誰でも合格するので、世の中の出来事も頭で考えたら解決できて、合理的なことが全て正しいと思ってしまうんですよね。
これは別に受験システムに限らず、SNSが広く普及した現在においてSNS上でキラキラした成功談や耳障りの良いエピソードが溢れているのでそれを頭で理解した気になって「知ってること」だけが増えて現実の行動が追いつかない人間が多くなってるように思えます。(無論、私自身もその思い上がったバカな若者でした。)
人の世は理性だけでは上手くまわらず、歴史的にも先史時代からずっと非理性的な部分が多くを占めていたので、いくら上から理性によって制定しても現実はゲームみたいにすぐに対応してくれないんですよね。
②について
近代の枠組みでは理性やシステムによって前近代的なしがらみや不平等や理不尽を取り除こうとしていますが、いくらトップダウン的な思考で上から「個人」とか「平等」とかを制定してもホモサピエンスの時代から数十万年続いた世の理は、そうした近代システムに高々200年では即座に対応しないです。
そんな中頭でっかちが加速してしまうと「完全に関係性から独立した個人」、「男女の役割の平等」などの幻想を信じてしまい現実とのギャップに苦しむ人が多いように感じます。
現実はまだ理性やシステムの制御下におくことが可能な世界ではなく本能的な世界ので、過度な自由主義者は綺麗事を言って自分が良い人でありたいか、現実から目を背けて理性の世界に閉じこもってるかのように思います。
私自身も、今までの人生かなり合理性や打算性で生きてきた頭でっかちでしたが、仕事をしたり、人間関係で挫折をしたり、恋愛をしたりなどで自分のその頭でっかちさと知行合一の至らなさを恥じて苦しみましたね(遅いなとも思いますが)。
また、社会のいわゆるエスタブリッシュメントな人たちはこうしたことを実感して進歩し続けてるんだろうなと思う場面があり、そうでない自分が恥ずかしく情けなくなったこともあります。
私は現在自営業なのですが、少し就活をしていた経験もあり当時は外資系投資銀行に絞って受けておりました。
そんな中で印象に残ってるのが、ある会社の最終面接で「この仕事はとてつもなく理不尽で肉体的にも精神的にも追い詰められるが、君は過去にこういう理不尽を乗り越えた経験はあるのか?」と聞かれたことです。
この業界ではよくある類の質問ですが、改めて考えると自分は理不尽なことから目を背けて聞き心地の良いことばかりに逃げていたしなんとなく表面的にしか生きてこなかったなと思い、そのことが頭に強く残ったまま六本木ヒルズを後にしました。
表面的というのは、「〇〇大学」「〇〇会社」「年収〇〇万円」みたいな固有名詞に囚われすぎて根っこの部分で人と関わったり、時間を共有したりしないという浅くて薄いということです。(私は権威主義的だったのですぐにそうした分かりやすいものに飛びつく愚か者でした。)
これも理性主義の弊害の1つで、知ってることに偏重しすぎるとこういうおかしなことが起きがちです。
知ってることに偏重しすぎて行動が伴わないことで苦しんでいる人は、私含めて今の世の中には多いでしょう。
本能は大事
私は理性をひたすら信奉して、知行合一せず辛いことや理不尽から目を背けて何もできない無能としてダラダラと生きてしまいました。
現代社会ではそうした生き方も可能であり、尊重されるべきだと思います。
ただ、そうして進歩しないままだと自分自身を満たせないだけでなく、家族や周りの大切な人を満たすことができないとも思います。
これは別にお金とかだけの問題ではなく、精神態度とか幸福度など人生の総合的な話ですね。
それに、何か理不尽なことや辛いことが起きた際にとりあえず他責にしちゃって、これだとあまりに虚しいんですよ。
人間がヒトとして繁栄してきたのは、自分との周りの関係性の中で自らの義務を果たしてきたからな訳で、そういった本能のプログラムから外れるのは苦しいのが当たり前だと思います。
ただ、本能論について戸塚氏は本能論を根拠にLGBTを糾弾してましたが私はそこのスタンスが少し違って、進化の中で人間以外の動物にもLGBTはおり、多くの子どもを育てる親切なサブ親としての役割があり種族保存のなかで役割を果たしてきたという説がありそちらに納得しています。
一方で現代社会でLGBTが過剰に権利を主張しているのは違和感があり、同和問題のように盾で殴ってきてるように思いますね。
不快感で進歩する
戸塚氏は快に逃げず、不快感によって行動を促せば進歩するというような主張です。
実際に私自身のなかで進歩して自分の礎になってると思う時期と、全く進歩していない時期があり、その差が不快感や理不尽の有無だったと実感しています。
こういうことを言うと、「別に不快感がなくても自律的に進歩できるだろ」と言われそうですが、確かに自律的に進歩を促せる優秀な人間であれば不快感は必要なく自分でやれば良いと考えています。
ただ、私のように能力が低く自律的に自分を追い込んで進歩することができずにいるまま時間が過ぎ去り焦りや不甲斐なさを感じる人間は少なくないと思います。
不快感による進歩について私の経験を書くと、中学受験をした際のものですが、通っていた学習塾が割とスパルタで小学校6年の頃は1週間に6日塾があり、平日は17時~23時、休日は8時~20時、夏休み冬休みは毎日8時~20時、夏冬の合宿はテストで規定の点数取るまで風呂や睡眠が禁止されて2時とかまでやらされてました。
ただ、今になってもこの時の経験には感謝しており、今でもたまに帰省した際はその学習塾の先生に会いに行ったりします。
この際に精神力と脳の体力の閾値が上がったため、その後は知能に関することで精神的に困ったことがあまり記憶にないです。(そもそも人生全体では知的な営み自体をあまりしていないのですが笑)
一方で、それ以降中学〜大学までは本当に何もせず、ダラダラと「快」へと逃げてしまいました。
何も辛いことをしなかったので書くことがないのですが、やはりそれだけ適当に生きているとリビングデッドですね。
常に何かしらの外部からの不快感(教育に限らず、プレッシャーや社会の理不尽さも含みます)に晒されていないと進歩せず子供のままで、自分や自分の周りの人に「与える」ことができません。
進歩しないと自分が属するコミュニティ(小さい順から、自身、家族、友人、会社、国家など)に「与える」ことができずに「奪う」だけになってしまい、本能にも反しています。
体罰の是非
前提条件の相違
分かりやすいのでコメント欄やマスメディアでもよく「体罰の是非」という話題があり、炎上してますが、これは下記の理由からあまり良くない議題設定だとは思います。
①体罰の良し悪しはゼロヒャクで語れるような単純なものではない
②ヨットスクールに来ていた生徒たちは一般的な子供ではない
①については、
メディアなどではよく体罰は絶対的に良い/悪いで語っておりますが、私は程度や相手とか含めて「ある条件下では必要だが、ほとんどの場合は不必要」であるくらいのスタンスです。戸塚氏の言葉で言うなら「ハードは悪くなく、ソフトが悪い」ですね。
②については、
ヨットスクールにくる生徒は皆さんの身の回りにいる純粋で聞き分けの良い子供ではなく、かなりの非行少年だったということを見落としているため戸塚氏と反論者で前提が食い違っているように思います。
地元での経験
②についてですが、私は関西の少々治安が悪い地域の小学校に通っておりました。
例えば、実際にあったことの一例ですが
・通学路で殺されて解体された野良猫がある
・生徒が教員を殴って1年で担任が3人変わる
・小学校を卒業した先輩が鑑別所や少年刑務所に行く
・小学校の前に住んでいる青年がリンチで人を殴り殺して小学校前に放置する
などがありました。
他にも色々あり、私の生まれた頃にもショッキングなことが起きていましたが地域がわかるので書けません。
こうした経験から、「話し合いで解決しよう」とか「言葉で伝えよう」というのは無力で綺麗事だと思っております。
実際に「話し合いによる教育」を試みていた教員は数ヶ月で表情がなくなり鬱病で教員を辞めていました。
こういう場でも「体罰は必要ない」という主張があるのも分かりますが、どうすればいいのでしょうか。
無責任にそうした環境を頭から捨て去り綺麗事をいう人よりも、批判されながらも人生をかけて向き合う戸塚氏の方が幾分か誠実に思います。
自分の周りの人たちの反応
私が戸塚氏のチャンネルを運営していることは割とオープンにプライベートなインスタなどで発信しているので、周りの人からも連絡が来るのですが思ったより賛同や応援のメールが多くて驚きました。(否定派の人はわざわざ連絡してこないのですが笑)
中高の同級生や大学の友人、就活で知り合った友人など10人ほどが久しぶりに連絡をくれ、動画の内容に言及して「この部分が共感した」「これについてはどう思っているか聞いて欲しい」などありがたいことに長いメッセージをくれた方たちも何人もおりました。
彼らは私と違い理不尽な現実社会と向き合い、いわゆる社会的に上層とされる職につく方たちだったためこのようなマインドで世の中と向き合い続けている姿勢には尊敬しますね。
今後について
今後もYouTubeチャンネルは戸塚氏が生きてる限りは続けようと考えております。
我々の仕事の兼ね合いもあるのですが、後々はオフラインのイベントや本の出版などもお手伝いできれば面白そうだなと思っているので、そこら辺はある程度考えつつやっていきたいですね。
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