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野又穣 Continuum 想像の語彙@東京オペラシティアートギャラリー(~9/24)

好きな絵は多々あれど
「この画家の絵の前では、深い呼吸ができる」と感じるものには、なかなか出会えないものである。
私にとってその希有な出会いというのが、野又穣という画家だ。
私の人生にとってこの画家は特別な人といえるだろう。

シュールレアリスムが好きな方なら、きっと何かしら感じるところがあるのではなかろうか。
私はマグリットと恋に落ちた30年前から何年か経て、野又穣の絵に出会った。

日本にもこういう画家がいたのかと大変衝撃を受けた。

確実なデッサン、クッキリとしたフォルムのなかに哲学やリリシズムがあふれている。何よりも美しくて懐かしい。

見たこともない不思議な建物なのに、なぜか無意識はこれを知っている、懐かしいと感じる。実際に近くで見たときに、強い安心感を覚え、私は絵の前で深く息が吸えた。

建物にはまず人がいない。廃墟のようだ。だが、廃墟というには生々しい。多くの人々の手がかかっているものに見えるが、その実、人々は気配だけを残してこれを捨て去ってしまったのだろうか。

永遠に見えるが、私が見ているのはどの瞬間なのだろう。

何にもとらわれない時空上の場所があるとしたら、こんなところなのではないのだろうか。
心が枠を解き放ち、さまよい始める。なんとも心地よい体験だ。

会場は広々としていて落ち着いている。いろいろな方向に人が動き、流れては止まり、ゆったりとした表情を見せているのも興味深い。ちなみに、この展覧会ではスタイリッシュな格好の方が本当に多かった。原色のワンピースで独特なカットのものや、不思議な素材のアウター。男性も、明らかにご自身の服装に「美しさ」という意図を持っている方をたくさん見た。そのような方たちが野又世界の中を動いているのをこっそり眺めるのも楽しかった。

10年くらい前だろうか。個展で画家自らのトークタイムということで、野又さんご自身にお目にかかる機会があった。30人くらいが集まって製作にかかわるお話などを伺った。
その時も周りはアシンメトリーなボブカットのお姉さまや、おしゃれな帽子をかぶったオジサマなど、美術界隈のプロに違いないと思われる方が多くいらした。さらには顔見知りが多いようで談笑の輪がいくつもあった。そしてそういう時に限ってうっかりジーンズで赴き、キョドリながら遠い目になってしまうのが私なのである(苦笑)
そういえばそのとき、私たちが集まる少し前から野又さんがその場でホワイトボードに絵を描いてお迎えしてくださって、とても感銘を受けたことを思い出した。

都会を見下ろす素敵な絵だった。
現在も誰もいない街の絵は、頻出のモチーフになっている。

トークタイムの最後に質問コーナーが設けられた。だが、誰も遠慮がちで手を挙げない。「せっかくの機会ですから、よかったらどうぞ」と野又さんが促してくださったが手が上がらない。
私も『こんなプロっぽい人たちの中で的外れな質問とかしちゃったら恥ずかしい』と思いはしたものの、一世一代の勇気を振り絞って手を挙げた。

「野又さんの絵の中には『存在』と『不在』、『永遠』と『瞬間』が同時に描かれているように感じるのですが、どのように意識されて描いているのですか?」

だいたいこんな感じの質問だったと思う。
答えていただいた内容を詳述することはできないが、とにもかくにもとても真摯に事細かに説明して、一生懸命伝えてくださったのを私は一生忘れない。それまでもファンだったが、そこからもずっとこの人の絵を追いかけようと思った。

まったく見ず知らずの空想の建物、空想の景色、空想の装置。

人のいた気配、時間が止まったかもしれないし流れたかもしれない気配。

そこにあふれるノスタルジーやデジャヴ感にぜひたくさんの人に出会ってほしい。

もしかしたら、あなたも深く息が吸えるかもしれないから。





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