RKS47ノートふるさとの宝物 西郷の宝物4「伊達政宗の師、虎哉禅師」

画像1 RKS47ノートふるさとの宝物 西郷の宝物4「伊達政宗の師、虎哉禅師」令和6年1月5日  ヤブ で西郷で忘れてはいけないのはこれ。石碑の文字をズボさん読んでください  ズボ とらやぜんし?  ヤブ 読めない?では変えます ズボ えー!  ヤブ はい、これは読めますね  ズボ 「虎哉宗乙 こさいそういつ」と読むんですか?へー伊達政宗の師  ヤブ 伊達政宗の師匠に虎哉宗乙っていうお坊さんがいたんですけれども、その人の出身地が西郷だったんですよ  ズボ そうなんだ
画像2 ヤブ 西郷のさっき言った碑が西郷の禅応寺って言いましたかね、そのお寺の境内の中にこの碑が立っていて 虎哉和尚さんを顕彰しようというのがあるんですね。「虎哉禅師生縁之地」そういう碑が立ってるんですよ ズボ 生まれたとこってことですよね ヤブ 西郷で生まれて揖斐川町の東光寺で ズボ はい、東光寺 ヤブ 東光寺で修行をして全国を渡り歩いて、仙台伊達政宗のお父さん伊達輝宗と言いましたかね?伊達輝宗に見出されて伊達正宗の守り役っていうか師匠ってことで呼ばれて
画像3 ズボ 先ほどの船木山古墳群から東へ来ました。 ヤブ 西部コミセンの上の道を真っ直ぐ西に行ったあたりに碑があるところ  ズボ ここに碑があるんですね  ヤブ 一回行っていただいたらいいと思いますけれども  ズボ 伊達政宗の師匠  ヤブ そう、子どもの時代からずっと、十数歳から確か面倒みてたんじゃないですかね。戦国時代の武将ってのは 必ず禅宗のお坊さんが師匠でついてるんですよ。虎哉さんの修行したときの先生のお坊さんは誰かってのは書いてありますね
画像4 ヤブ 虎哉さんの先生は岐秀元伯、それから快川紹喜という同じように臨済宗のお坊さんなんですね。岐秀元伯という人は武田信玄の師匠であった人。快川紹喜は死ぬときに「心頭滅却すれば火も亦涼し」と言った有名な和尚さんですね。こういう人たちに虎哉宗乙さんは師事して修行した。当時の戦国時代の武将はみんなバックには臨済宗のお坊さんがついてて、ブレーン的なことも含めて軍事的なことも含めて、それから占い的なことも含めてバックに必ずそういうお坊さんがついてた ※近くの公民館のまえにも顕彰する説明板があります。
画像5 ズボ 澤元さんもそうですよね  ヤブ そう、信長の沢彦宗恩もそうですよね。  ズボ 今川義元は  ヤブ 太原崇孚という武将兼お坊さん  ズボ お坊さんがついてたんですよね  ヤブ 必ずいるんですよ。臨済宗のお坊さんは当時一番の勉強家でもあり、一番の物知りでもあり、中国の歴史とか中国の思想とかいろんなことを勉強してるんですね。そういう人の教えに従って戦国武将は戦い生活し暮らしてきた。 ズボ 戦国時代の代表的な武将伊達政宗を育てたのはこの虎哉さん  ヤブ 西郷の生まれと言われてる虎哉和尚が伊達政宗を育てたと
画像6 ズボ そういう何か?使えないかと言うと言い方悪いですけれど、使えないですかね  ヤブ そりゃズボさんのお得意な歌物語にしていただくとか  ズボ 歌物語でなくても伊達政宗の関係でなんかこう  ヤブ もちろん仙台には虎哉和尚さんの顕彰会があるんですよ、毎年法要をやってるはずですよ  ズボ あっそうなんですか  ヤブ 岐阜の人も一部の人がそれに合わせて、さっきお見せしたような碑を立ててみえるんです。地元では顕彰してるんです。だからそれなりに西郷の人たちにとっては自慢できる人の一人です
画像7 ボ 仙台と友好都市にでも?とか  ヤブ あーそういうことも、亡くなられた前の市会議員の松尾孝和さんが、その松尾市会議員さんが一生懸命仙台の顕彰会と交流をされてた。残念ながら松尾さんが亡くなられてからはちょっと下火かなって気はしますけれども、地元は地元でそれなりに碑の前でお祀りをやってらっしゃいますし  ズボ せっかく岐阜は落語の策伝大賞っていってこれで一〇年ですか、やっと全国区になってきましたので、今度は伊達政宗、例えば眼帯を流行らすとか  ヤブ そうやね  ズボ 眼帯を流行らせるとか?

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