RKS47ノート三輪北4-大智寺

画像1 ナガラビト1・3・火・8より「大智寺」 ズボ おかげで策伝大賞をきっかけにして、最近岐阜市内でも落語の催しも増えてきました。柳ヶ瀬なんかでもやってますし。 ※岐阜市が主催する学生落語選手権は、そもそも落語の祖といわれる策伝の出身地が岐阜市北野であることにちなんでいる。
画像2 ヤブ ズボさんも関係しとったでしょう、子どもの大会に? ズボ そうですそうです。落語を主催してるかたとお付き合いがありますので、そこへいわゆる色物で出させてもらってることもありますしね。 ヤブ 今言ってました策伝さんが修行していた、お寺の小坊主に入ったのが大智寺というお寺。やっぱり三輪北なんですね。これが大智寺というお寺なんですけれども(写真)、ここで修行をしてそして京都のほうへ出て行ったというそういうことなんです。
画像3 静寂に包まれた参道の向こうに
画像4 ヤブ 大智寺ですと、これは天然記念物に指定されてる大ケヤキ(写真)。けっこう大きなケヤキの木がありまして。 ズボ へーすごいな これ。 ヤブ 少しよじれてるような感じで成長してますけれども、大智寺の大ケヤキということで有名な天然記念物に指定されてるんですね。一回また見に行ってみてください。  ズボ ほー
画像5 勅使門 大智寺の開創は明応9年(1500年)。開山始祖は、岐阜瑞龍寺悟渓和尚八哲の一人である玉浦宗眠。開基人は北野城主・鷲見保重。江戸時代には18石8斗の御朱印を受け、葵の紋が許されている。
画像6 緑鮮やかな苔庭と、本堂古瓦を使用した瓦土塀(信長塀)が注目されている。
画像7 境内には不動明王の石仏も見られる。
画像8 緑の森と池が美しい。松尾芭蕉の高弟である美濃派俳諧の始祖各務支考は、6~19歳まで大智寺の弟子として過ごし、正徳元年(1711年)この地にもどり、終の棲家とした「獅子庵」を残した。他の文化財としては、江戸時代の釈迦涅槃図が残され、江戸時代の漂泊の僧円空の仏像も保存されている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?