歴史探検隊中国歴史旅ノート「敦煌と太白山」⑧ 日誌平成30年10月19日(金)

画像1 歴史探検隊中国歴史旅ノート「敦煌と太白山」⑧ 日誌平成30年10月19日(金)記録者:亀山京子隊員 中国の旅5日目は嘉峪関市から蘭州市へ高速鉄道で移動し、この日の蘭州は雨の予報だ。 嘉峪関の朝は六時を過ぎても真っ暗。嘉峪関南駅を8時37分発の高速鉄道に乗り遅れるわけにはいかない。ホテル出発は7時10分、ホテル側には朝食を6時20分にお願いしてあった。時間どおりに朝食会場にいくとまだ準備中のようす。ガイドの方さんがスタッフに抗議しても慌てる素振りもない。そういえばモーニングコールもない。
画像2 朝食はバイキング形式で、主食はお粥や饅頭(まんとう)など6種類、総菜は15種類も出て中でも塩茹での落花生が珍しかった。デザートはいつものスイカの他にナツメのケーキ・緑茶のケーキがありました。列車の移動中に皆で食べようと考えた女性隊員が、ケーキをトングで挟んで直接ビニール袋に入れようとしてホテルのスタッフに止められてしまった。少し大胆すぎた行動に周囲はビックリしました。
画像3 7時25分 ホテルを出て10分程で駅に到着。気温は10度、街がほのかに明るくなってきた。ここで三日間お世話になったガイドの方さんとお別れしました。
画像4 嘉峪関南駅に入るにはまず手荷物検査があった。その先の改札では切符の他にパスポートを提示し、空港のような待合室へ入る前にまたもや手荷物検査、驚くほどセキュリティーが厳しい。とても大きく真新しい駅ですが、ホームに上がるエスカレーターがどこにも見当たらなく、隊員は皆大きなスーツケースを抱え青息吐息で階段を上がるはめになりました。
画像5 記録者の亀山京子隊員(右)と石井美枝隊員が抱きついています。
画像6 高速鉄道和諧号は定刻に発車した。1等車の1両目は探検隊以外の乗客が3名だけなのでほぼ貸し切り状態でした。馬さんに淹れてもらったお茶で一息ついて5時間の列車の旅が始まりました。それぞれの駅が近くなると高層ビルが目立ちますが、駅を離れると沿線は乾燥したゴビ灘(たん)の原野だったり、用水を備えた畑が広がっていたりしました。日干し煉瓦の塀に囲まれた農家では庭が黄色く見えるほどトウモロコシが干してありました。
画像7 嘉峪関南駅から2時間ほどの民楽駅を出て暫らくすると、車窓の景色が変わって、うっすら白く積もった雪が見えてきました。雪に驚いて車内の表示を見ると外気温は3度。190キロ前後のスピードで走っていた列車は速度を105キロに落としていました。トンネルをひとつ超えるたびに雪が多くなり、大小10個以上のトンネルを抜けて祈連山脈を越えたようです。
画像8 途中雪の中にかなりの数の黒牛が放牧されていて、黒い点のように見えていた(後になって、これは牛ではなくヤクだと分かる)。一時間ほど雪景色の中を走り一二時に西寧駅に着くころには雪は見えなくなりました。
画像9 三日前に高速鉄道で敦煌へ向かったとき、線路わきに立って列車をじっと見ている公安官らしい人を見たと言う堀田さんと松岡さん。「今日もきっと!」と外を丹念に見ていると、荒涼としたゴビ灘に延びる線路脇に建つポリスボックス風の建物と、列車に向かって立つ公安官を薮下隊長が発見しました。監視されているような様子に、探検隊の中には一瞬なんとも言い難い空気が流れましたが、そんなことがあっても揺れの少ない高速は至極快適で、車内販売のコーヒーはどこのホテルよりも美味しかった。
画像10 コーヒーが配られると誰かが駅のコンビニで購入した菓子パンが回ってきました。商品名は「毛毛虫」、強烈なネーミングに怖じ気づいたがひと口味わってみると思いのほか美味しくて懐かしい味がしました。
画像11 一三時三一分蘭州駅に到着、気温は一二度、今にも雨が降りだしそうな空だった。蘭州のガイドは田文革(デン・ブンカク)さん、名前の由来は文化大革命だそうです。流暢な日本語とソフトな語り口にユーモアを交えて話される男性のガイドさんです。
画像12 地下鉄工事で混雑する市内をバスで移動して14時20分「紅万家酒店」に到着、ここで遅めの昼食。新鮮で種類豊富な野菜と一緒に調理されている肉は牛かな、豚かなと不思議に思って食べていると、ガイドの田さんの説明でヤクだと分かりました。蘭州で豚は食べず、一般的に牛と呼ばれている肉はヤクだそうです。列車から見えたのは黒牛でなくヤクでした。
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画像14 どこへ行ってもトイレの話題に事欠かきませんが、この店のトイレにも驚かされた。男女とも同じ入り口から入ると、並んでいる扉に男性・女性のマークが表示してあるだけで、隣に誰が入っているのか考えると用が足せなくなってしまうようなトイレでした。。昼食を終えて外に出ると雨が本降りになって傘の出番となりました。蘭州ではマスクが手放せないと聞いていましたが、蘭州の人にとっては恵みの雨のおかげでマスクは必要ありませんでした。
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画像16 16時から17時45分まで白塔山と黄河第一橋を見学しました。白塔山頂上から見下ろすと蘭州市が黄河沿いに細長く伸びているのがよく分かります。人口320万人の蘭州市は甘粛省では一番大きな都市。36もの民族が暮らしており、漢民族が一番多く、次に回族が多いので街のあちらこちらでモスクを見かけます。砂漠の中の小さな砦からできたこの町は毛沢東の時代に移民政策で人口が増え、工業の町として発展。
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画像18 白塔山の中腹にある尼寺と山頂の白塔寺の2ヶ所で、山本さんの読経に合わせて皆がお参りすることができました。  その山本さんと小柳津さんを下山途中で見失った。周辺をきょろきょろ探していると、真下に見える黄河第一橋を仲良し父娘のように歩く2人の姿が見えました。いつの間にか下山して、勇壮な流れの黄河に架かる鉄橋を一足先に散策していました。
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画像20 この黄河の水をポンプで汲み上げることで、白塔山が緑豊かな山でいられると聞いた。かつてはげ山だった白塔山を憩いの場にしようと考えた市民が、冬季になると凍りつく黄河の氷を背負いあげて植林し、ようやく出来上がったそうです。
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画像22 18時15分、蘭州燭郷東タ餐飲・阿波ロ店(ランシュウショクキョウトンタサンイン・アポロ店)で夕食、食事をしている横で明日の結婚式の準備がおこなわれていました。日本とは違う色遣いで会場が整えられていき、祝福ムードいっぱいの中での食事となりました。
画像23 20時、この旅で唯一連泊するホテルに到着。2日間お世話になる部屋に期待しながら入ると、驚くことにベッドサイドの壁はガラス張りになっていてシャワールームとトイレがまる見えでした。同室のベテラン隊員の南城さんは慌てるようすもなく、すぐにロールカーテンを見つけて目隠しができ一件落着しました。

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