中国歴史旅「雲崗石窟と龍門石窟」③「唐代大明宮遺址の見学」

画像1 中国歴史旅「雲崗石窟と龍門石窟」③「唐代大明宮遺址の見学」記録者薮下賀代子隊員 一〇月二二日(水)天気 曇り  午後二時二〇分、西安咸陽国際空港に到着しました。顔なじみの馬さんと李さんの出迎えを受けました。馬さんとは一年ぶりの再会、李さんとは3年ぶりになります。お二人共に流暢な日本語を話され懐かしく思いました。
画像2 空港からバスに乗り最初の目的地「大明宮遺址公園」に向かいました。車内で李さんから西安の人口は一〇六〇万人、車の渋滞を緩和するために、市内に入れる車を奇数と偶数で制限されているそうです。  バスの揺られること二時間、広大な公園が目に入ってきました。  「大明宮遺址公園」として整備される前は、民家や工場がかなりの範囲に建っていたそうです。国は、二〇〇八年から約二五〇〇億円をかけて土地の収用と立ち退きを行い、二〇一〇年から整備が始められました。※先頭の女性が薮下賀代子隊員です。
画像3 「大明宮遺址公園」の大きさは、南北二二五六㍍、東西一六七四㍍、総面積は三,二平方㎞あり、周囲を城壁が囲んでいました。この広さは北京の明清故宮の四,五倍になります。  大明宮は、唐太宗が父の高祖のために避暑の目的で六三四年に建設、六六二年に大規模に増築され、六六三年に大極宮から長政を移しました。  以後九〇四年までの二四〇余年にわたり二一人の皇帝のうち一七人の皇帝が起居し政務を執りました。
画像4 大明宮の南側には五つの城門があり、まっすぐ北に向かって正殿の「含元殿(外朝)」、「宣政殿(中朝)」、「紫宸殿(内朝)」が建ち並び三大殿と呼びました。  宣政殿から東西の延びる隔壁により南半分は貴族や役人が出入りする宮殿区(政務地区)、北半分は皇帝のプライベート空間で園林区(居住区)になっています。
画像5 公園内には電気バスが巡回していて、大明宮のジオラマが再現されている場所で下車、少し高いところから宮殿の全体を見ることができました。  皇帝が生活していた空間には、瓢箪型した池(太液池)があり、中央に島(蓬莱島)があります。文献資料では、池の岸に沿って千間の廊下が巡らされていたそうです。
画像6 公園の南端には大明宮の正門、丹鳳楼が復元されています。「丹鳳門遺址博物館」の中には、丹鳳門の五つの出入り口の内二つが当時ままに残されています。版築形式で作られた当時のレンガがそのまま残されていました。
画像7 博物館を見学して外に出ると高校生らしい子たちがたくさんいました。どの子もベンチに座ってスマホをいじっています。どこの国でも同じだなーと思いました。記録者 薮下賀代子隊員です。

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