KFT48ノート①「柿の木金助の墓」

画像1 KFT48ノート①「柿の木金助の墓」 NPO法人ナガラビトでは、毎月第1、第3火曜日の午後8時からショールームでライブ配信をしています。ズボさん、タカちゃん、ヤブさんの3人で、ふるさと岐阜の様々な話をしています。令和5年の夏からはシリーズ物として「KFT48」を毎回話題にしています。 「KFT48」とは、「かるたふるさとの宝物48」という意味です。岐阜市内のそれぞれの地域には自慢したくなる「ふるさとの宝物」があります。それを一枚づつカルタにしようという取り組みです。
画像2 岐阜市福光西の太田墓地内の北西隅に高さ80センチほどの石碑があります。そこには「此の墓は柿の木金助の墓と言う伝説が在る 昭和43年2月建之 福光土地区画整理組合」と刻まれています。
画像3 柿木 金助、生年不詳 - 宝暦13年8月21日(1763年9月28日)は、江戸時代の盗賊で、元は尾張国中島郡柿木島村(のちの愛知県稲沢市)生まれの百姓。
画像4 名古屋城の金のしゃちほこを、凧に乗って盗もうとした大泥棒として有名ですが、なぜ福光西に墓が在るのか。 五輪塔が数基在りますが、どれが金助の墓なのか?わかりません。
画像5 正徳2年(1712年)、大凧をもちいて名古屋城の金鯱の鱗を盗んだという。ただし、この話は伝説であり、実際には名古屋城本丸の土蔵に侵入し、舟を使って逃走した。宝暦13年(1763年)8月21日、名古屋の町を引き回しのうえ、尾張藩の刑場・土器野(かわらけの)で磔獄門に処せられた。  彼が金鯱の鱗を盗んだという話は、天明3年(1783年)大坂で上演された初代・並木五瓶作の歌舞伎「傾城黄金鯱(けいせいこがねのしゃちほこ)」などに脚色された。
画像6 カルタふるさとの宝物48「し」は、柿の木金助の墓です。「鯱めざす とうぞく金助 凧あげる」。これからも順番に紹介します。カルタ 48枚の完成は何時になるのでしょうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?