RKS47ノート三輪北6「番外編・猪ノ早太と頼政墓」

画像1 RKS47ノート三輪北6「番外編・猪ノ早太旧蹟と頼政墓」 令和5年12月14日 岐阜市春近古市場南屋敷の県道高富関線の北側に『猪ノ早太旧蹟』という碑があり、小さな祠が祀られ、傍らには五輪塔があります。
画像2 顕彰碑の碑文によれば、東に数キロいった関市植野にある蓮華寺の裏山には「源頼政の首塚」というものがありますが、郎党であった猪ノ早太が、宇治から首を持ち帰り埋葬した後に古市場に住み着いたと言います。
画像3 奥に祠と五輪塔があります。
画像4 祠と五輪塔です。
画像5 関市蓮華寺
画像6 本堂の左側にある顕彰碑、碑文はふるびて読めません。
画像7 源頼政といえば『源三位頼政』として平安末期に源氏でありながら平氏政権の重鎮として活躍しましたが、以仁王の乱において平氏政権に反旗を翻し挙兵するも敗れ宇治で自害した、という人物なのですが、不思議なのはなぜ宇治から遠く離れたこの地に頼政の墓(首塚)があるのでしょうか。一説には、頼政の叔父にあたる山県国直(源国直)が美濃山県の地を治めていたためといわれています。
画像8 猪ノ早太(いのはやた、生没年不詳)は、平安時代末期の武将。源頼政に郎党として仕えた。遠江国猪鼻湖西岸(現在の静岡県浜松市北区三ヶ日町)、または近江国猪鼻(現在の滋賀県甲賀市土山町猪鼻)を領したことから猪鼻を苗字としたといいます。 『平家物語』等にみえる、仁平年間(1151-54、近衛天皇治世)における頼政の鵺(鵼)退治の際にただ一人随行し、頼政が射落とした鵺にとどめを刺した、という伝説で著名。
画像9 本堂裏山の尾根筋に祀られています。今は山が荒れているので歩きづらいです。

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