中国歴史旅「雲崗石窟と龍門石窟」⑤日誌令和元年10月23日その1

画像1 中国歴史旅「雲崗石窟と龍門石窟」⑤日誌令和元年10月23日その1記 録者山本甚吉隊員四時 起床 洗顔、トイレ、髭剃り  五時 モーニングコール、鳴らないかもしれないときいていましたが鳴りました。  五時二〇分 今日の見学地の資料をナップザックに入れて準備完了。  五時三〇分 形山隊員の室内ストレッチと柔軟体操が始まりました。前回の旅行中も一度も欠かさず身体を動かされていました。今回も一日の最初に「気力」を発揮できるので、私も身体を曲げたりひねったりしてがんばりました。
画像2 六時三〇分 四階食堂に、私の朝食は南城隊員のカメラに収めてありますが、まったく覚えていません。でも、日頃から朝食はしっかりと食べていますから美味しくいただきました。  七時 再度ロビーに集合。観光バスに乗車しましたが、ガイドの李さんは交通渋滞に巻き込まれて到着していません。  七時一七分 李さんが到着して観光バスが出発しました。黄砂で視界二〇〇メートルほど。車内温度二四度、湿度五六%、海抜四〇〇㍍  七時二五分 西門前通過、李さんから林立するマンションの話を聞きました。
画像3 マンションの権利は国家のもので、購入者には所有権はありません。居住権があるだけです。林立するマンションの規制は三三~三四階建てでそれ以上の高層マンションは建てられません。建築中のマンションで躯体だけの構造が目立ちますが、これは国家が最低限だけの居住空間のみを購入者に提供し、室内空間の装飾は購入者が好みに応じて行います。  七時五〇分 行けども行けども車の車列が続ます。いよいよ西安西駅が近づいてきました。駅周辺はマンションの森だ。
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画像5 七時五五分 西安西駅に到着しました。薮下隊長から李さんにお礼のお土産が渡されました。南城さんや堀田さんからもお土産が渡され、一〇月二九日に再びガイドをしていただけることを約束してお別れしました。  八時二五分 改札口、検査を通過。駅ビルの待合ロビーで待機。ロビー温度一九度、湿度六九%  八時五〇分 中国では発車直前にならないと改札口がひらきません。時間が無いのでかなり慌てることがあります。
画像6 西安から太原まで高速鉄道で向かいます。列車番号D二五〇六、一等座の七号車、座席六Cに座りました。  九時一〇分 発車、約三時間、約六五〇キロの鉄道旅が始まりました。発車して間もなく車内の列車速度計が二三八キロを示していることを示していました。中国の高速鉄道の列車番号には三種類がありますが、最速は、北京から西安や上海、杭州間を走るG列車で、時速三一〇キロで疾走します。次がD列車で二五〇キロほど、そして最も遅いE列車は二〇〇キロ程で走行します。  市街地を通過して両側の車窓には山並みがぼんやりと見られます。
画像7 昨夜の学習会で学んだ黄土高原が、天気さえ良ければ左手に眺望できるはずですが、黄砂にかすんで見えません。時折送電鉄塔が急に姿を現します。メモ帳に鉄塔をスケッチしました。  九時四〇分 薮下隊長から「もう黄河を渡るから」と聞かれましたが、私はメモ帳や山西省の地図に目をやっていましたから黄河に気がつきませんでした。時速と走行時間を考えるともう一〇〇キロ以上走っているので黄河に出くわしてもいいのですが?。
画像8 九時四五分 トンネルに入りました。出口から飛び出した途端に目の前に切り立った黄土高原が目の中に飛び込んできました、とおもった瞬間、二つ目のトンネルに飛び込み、出ると黄土高原が左手に続いています。  この頃、南城隊員がトイレに閉じ込められ、馬さんが賢明に開けようとしていましたが開きません。悪戦苦闘の結果、ボタンを押し込めば開閉できることがわかり、南城さんの笑顔が扉からでてきました。よかったね。
画像9 平成三〇年一〇月の中国旅でも、宝鶏南駅から嘉峪関南駅まで走行しましたが、そのおりにも送電鉄塔の形状にいろいろな形がありました。建物などの障害物がほとんどないので一直線に広大な土地の中をえんえんと続いてたっていました。高速鉄道はそうした送電設備のおかげで移動できることは大変ありがたいと思いました。   一〇時一〇分 三つ目のトンネルに入りました。四つ目のトンネルを出たとたん右手の景色に驚きました。黄土大地が削られて深い谷が作られているのですが「なんでこんな地形ができるのだ?」
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画像11 一〇時一八分 五つ目のトンネルに入りました。外気温二一.二度、車内温度は三二度、湿度は五八% 一〇時四〇分 臨汾駅に到着。時間的にはちょうど中間の位置まできているので走行距離は二五〇キロほどと推定できます。停車中に駅周辺の木々を観察すると、高速鉄道沿いに植樹されているポプラの木々と同様に黄葉が始まっていて秋を感じさせてくれます。空は黄砂で青空を見せてはくれません。
画像12 一〇時四八分 発車、薮下隊長より「鉄道沿いに公安官が警備しているから見逃さないように」ということでしたから観察していたところ、「いました」高速鉄道沿いの道路に青と白色の車を止めて列車を見ていました。日本では考えられない安全管理方式。中国はスマホ社会だから公安官はスマホ片手に情報を収集して、手際よく車で移動して監視し、高速鉄道の安全を確保しているのでは、と思いました。  車窓から民家の屋根の色を見ると赤系が多い。昨年の中国歴史旅では青色系が多く見られたのにどうしてかな?。
画像13 一一時二五分 平遥古城駅に到着しました。若者の観光客が数多く下車し改札口へ移動していきます。人気の観光地でしょうか、探検隊は二七日(日)午後に見学する予定です。  黄砂が少なくなって所々にすこしだけ青空が見えてきました。  一一時三二分 平遥古城駅を出発、駅周辺にはマンションが林立していますが、ほとんど同じ構造の建物で、標準設計図があれば中国全土どこでも建築できそうですからコスト削減に寄与していると思います。
画像14 一二時七分 予定の通りに太原南駅に到着。晴れ  黄砂の空ではなく、青空です。朝は小雨の情報でしたが、昼になって探検隊のためにいい天気になりました。    改札口でガイドの鄧さんが出迎えてくれました。鄧さんの案内で観光バスに向かいました。最後尾の座席に同室の形山隊員と陣取りました。記録担当で前方の席へ移動する時を除いて最終日まで並んで過ごしました。  一二時二〇分 バス発車。海抜六〇〇㍍、温度二三度、湿度五二%
画像15 ガイドの鄧さんの挨拶が始まりました。 「私は日本語が出来ません。馬さんに通訳していただきます。よろしくお願いします。今日から二八日(月)の太原南駅でお別れするまでの六日間、岐阜市歴史探検隊のみなさんを各地の見学地にご案内します。観光バスの運転手さんは張さんです。安全運転で皆さんに楽しい旅をしていただけるように努めます」。探検隊全員から大きな拍手が湧き上がりました。鄧さん、張さん、馬さん、そして探検隊全員がワンチームにまとまりました。
画像16 「お食事にはほとんどのお店で麺が出されます。山西省名物の刀削麺でお店ごとに味が違います」。 お話を聞きながら太原市の建物を見ていると、ここも西安市に負けず劣らずの高層マンションの建設ラッシュです。
画像17 一二時三二分 中国料理店「九都悦港」に到着。店の入り口階段の壁に畳二畳分はある大きな看板に川魚の絵と「金牌黄河野生魚」とありました。私は、こりゃ魚を口にすることができるぞと、内心大喜びしながらお店の中へ。そして相棒の南城隊員と同席。  次々と料理が運ばれてきます。南城隊員が大忙しです。他の隊員がお腹を空かせているのですが、料理の写真撮影で大変です。早く美味しい料理を食べたい隊員に「もう少し待って」とお願いして回転テーブルを手で押さえて静止させていただきました。
画像18 メニューの最初に酢魚。大皿の上にまるごとでーんと横たわっていて「よくここまできてくれたね、歓迎します」と私に話しかけていました。次に炒め物が五品、肉団子、とうふなべ、玉子煮付けなど全九品。主食はご飯、鄧さんお勧めの刀削麺と餃子二品。私にとってはビール付きの会食は桃源郷。  私は、隊員がこれ以上酢魚に手をつけないと思い、みんなの了解を得て大皿ごと目の前に置き「いただきます」、表の半身は無残にバラバラに。ひっくり返して裏側。綺麗な魚袋です。頭の部分は後回しにして身の部分から美味しくいただきました。
画像19 その後に頭部を食べ、もう一度ひっくり返して食べ残しを綺麗に平らげました」  一三時二八分 楽しい昼食を終わって次の目的地「晋祠」へ出発。満腹と満足感でうとうと。
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