中国歴史旅「雲崗石窟と龍門石窟」㉚「始皇帝兵馬俑で感動の渦に」記録者堀田文夫隊員

画像1 中国歴史旅「雲崗石窟と龍門石窟」㉚「始皇帝兵馬俑で感動の渦に」記録者堀田文夫隊員山西省洛陽から高速鉄道を利用して西安北駅に到着、駅で李さんの出迎えを得てバスに乗車。  岐阜市歴史探検隊が兵馬俑を訪れるのは三度目になります。最初は、平成二一年一一月のことです。参加者は今回に比較したら少人数の一一名でした。   二回目が平成二四年二月のことで、参加者は一七名で今回とほぼ同じでした。
画像2 回目になる兵馬俑は、行楽シーズンも終わる頃でしたが、相変わらず内外から多くの観光客が押しかけてごったがえしていました。  入り口で馬さんに集合写真を撮っていただいてから入場しました。
画像3 私も三度目の見学ですから薄暗い展示室にはなれています。一番前の手すりの所までたどり着いて、下を見下ろしました。すると眼前に数十人が何列も並んだ兵馬俑の偉容が目に飛び込んできました。この異常な景観は何度眺めても驚き、感動します。
画像4 人の流れに合わせて右側にすこしづつ移動して全体を眺めながら見ていきました。  兵馬俑が発見されたのは一九七四年、驪山の麓で臨県の農民が井戸を掘っていたときに突然地面が陥没、偶然に発見されたのが兵馬俑坑。多くの陶俑の破片と青銅兵器が発見されました。
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画像8 一号坑は、東西二三〇メートル、南北六二メートルあり、兵士俑六〇〇〇体、馬俑四〇〇体が埋葬されていますが、発掘されたのは全体の一部で、現在も発掘調査を行い、復元作業も見学することができます。  内部には、東西に九本の坑道と二本の側廊があり、坑道の兵馬俑は東向きに四列縦隊で整然と直立し、所々に車馬が置かれています。。南北の側廊の外側の兵馬俑だけは東を向かず、周囲を警戒するかのように外向きに並んでいます。
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画像11 兵馬俑坑は、これまでに一号坑から四号坑まで発掘が進んでいます。その中で最大の一号坑からは歩兵隊、二号坑からは射手、戦車、歩兵、騎兵の俑が見つかっています。二号坑は、その構成からおそらく野営地を表していると考えられています。
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画像14 三号坑はかなり小さく、位の高い将校の俑が納められています。そして、最後の四号坑は何も発見されませんでしたが、当初は、ここに入れる兵馬俑が完成する前に始皇帝が死去したためという見方があったようです。でも現在はもともと存在しない、と考えられているようです。
画像15 一号坑は、東西二三〇メートル、南北六二メートルあり、兵士俑六〇〇〇体、馬俑四〇〇体が埋葬されていますが、発掘されたのは全体の一部で、現在も発掘調査を行い、復元作業も見学することができます。  内部には、東西に九本の坑道と二本の側廊があり、坑道の兵馬俑は東向きに四列縦隊で整然と直立し、所々に車馬が置かれています。。南北の側廊の外側の兵馬俑だけは東を向かず、周囲を警戒するかのように外向きに並んでいます。
画像16 ほとんどの兵士俑は、高さ一八〇センチ、重さが約二〇〇キロ。兵馬俑博物館の展示ケースに近寄ってよく観察すると、髪型や顔の形、リアルな服のしわ、顔料の残留物など、細部にもこだわりが見られます。
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画像19 個性的な兵士による大規模群像は、まるで二二〇〇年前の秦の軍団が時を越えてそのまま出現し、自分に突撃をしてくる寸前のようで凄まじい威力と恐怖感を感じました。  始皇帝の権力の強大さを如実に示している広大な兵馬俑はまさしく世界遺産にふさわしい世界の宝物です。
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画像21 私は、岐阜市歴史探検隊の中国歴史旅には第一回から参加していますように中国古代史に興味津々です。  西安、敦煌、蘭州、宝鶏、洛陽、太原等の各地で様々な中国史の神髄に触れてきましたが、「兵馬俑」は何度訪れても興奮と感動の渦に巻き込まれます。
画像22 兵馬俑博物館を出てからお土産街を散策していましたが、南城隊員が、兵馬俑発見者の一人の楊志発さんのお店を発見してさっそく中に入り、図録に今回で三回目になるサインをいただいていました。以前は博物館の中でサインをされていたと記憶していますが、山本隊員の日誌で、二人並んで写真に納まっている南城さんをご覧ください。まだまだ訪問したい所はたくさんあります。北京、成都、広州等きりがありません。  でも、探検隊が中国から帰国した直後からコロナ騒動が始まりました。いつ行けるのかな?

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