縄文時代のカレンダーの成立 推測
2024.08.20 追記しました
縄文時代のカレンダーは次のようにして成立したものでは無いか
図 太陽こよみ
太陽こよみ 石棒による太陽の直接観測から、45日区分のこよみは縄文時代でも簡単に作れる
四季の区別と四季の始まりを知ることも簡単にできる。
図 月のこよみ
月のこよみ 15日区分のこよみも可能である
図 突起土器の年表
太陽と月のこよみをシンクロさせるには、3と言う数字が必要である
この 3と言う数字が出てくるのは、縄文時代中期である
45日/3 15日の区分にする
これで月のこよみとシンクロさせることが出来る
このように二十四節気の暦を作る目的は、月のこよみとシンクロさせるために工夫されたもので、カレンダーの基本的性質である。
太陽こよみ 15+15+15
月のこよみ 半月15日 7+7+1
図 石ころ計算機
カレンダーはこれでカウントすれば良い、遺跡で出る小石の類い、これがカレンダーの計算機ではないか
北海道から九州まで、石棒と環状列石は縄文時代の標準時を共有することの集合表象では無いか
・貝塚の形成 月のこよみによる
・サケの遡上回帰漁 太陽こよみ
・農耕 栽培種の成立
・1万年の継続する文化
・狩猟、漁労のカレンダーの利用
・土器と日本語 土偶の存在
・超古代文明 世界一古い言語では無いか、言語の始まり
図 縄文時代のカレンダー 推測
月のこよみは、月齢を曜日として表現 月火水木金土海日
満月と新月を日として、月齢を正確に表現できる。
現代のカレンダーは、一月の日数も月の周期と関係ない、
曜日も月齢と関係ない、12月も、曜日も月の運動を表していない
でたらめなものに変化してしまった。
こうしたことは元はと言えば、太陽の直接観測ができない文明が、
太陽の運動と月の運動とを正確に知らないで、
星の動きとの関係を元にした暦から作られたものであるためでは無いか。
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