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地球文明の持つ太陽暦の始源は縄文時代にある

縄文時代中期になると、 土器口縁に 3突起を持つ土器が現れる。
この時期には 土器や石器など様々なものに、この 3という数を示すものが作られていた。
その後の時期には、 5と7の突起を持つ土器が造られている。この土器口縁に 5,7の突起を持つ土器は、壊れても補修されて大切に使い続けられていたようだ。
縄文時代の土器の歴史を調べて行くと、早期に初めて土器口縁に突起が造られるようになっていた。
早期の突起数は 2、4、6である。
このように土器の口縁に突起を付けることは、本来土器を容器として使用する上では、邪魔になるものであり、実用上は考えられないものである。その通りで他の文明では、このようなことは何処も行っていなくて、縄文時代以外には無い文化である。
奇妙なことはこの数の中に 3は無くて、3が初めて現れるのは中期になってからである。

縄文時代後期の遺跡でとされている金生遺跡には
構築物として配石遺構が存在している。

配石と石棒のデザイン


配石のデザインは、冬至の日の出と日没ラインとが基準となっている。
配石は東が先端となり、西に向かって扇状に広がる形状をしている。
配石の中には石棒が設置されていて、立春と立秋の標識となっている。
立春の日の出は茅が岳のピークから太陽が出る様にセットされている。
この状況から太陽の出る位置は、縄文時代から変化していないことを示している。立秋の日の出は同じように笠無山のピークから太陽が出る様にセットされている。こうした冬至、立春、立秋の観測点から、八分節の暦が想定できる。
一方縄文時代の土器は情報伝達のメディアであることが推測できるので、その情報として一番分かり易いのは数である。次に示したように、土器を見れば、幼児でも何が示されているのか一目で理解することが出来る。

縄文土器の口縁に造形された突起の時期別推移


土器の口縁に突起として造形されている数を年代順に整列すると、
2,4,6,8、12、3、5、7 となっている。
なぜ中期になって 3という数が現れるのか、この 3という数は、土器の突起としてだけでなく、土器の模様の造形としても 3本の指で示されている。土偶にも 3本の指が造形されている。更に何のために作られたものか想定することが難しい形状のものも有る。また石器でも 3足石器が造られるなど、この時期には広汎に様々なものが作られている。このようなことから 3という数は特殊な数として珍重されていたようすが見える。
ではこの 3という数は何なのか。
太陽暦を造るには、先ず365日という一年の日数を得ることから、始は1/2の操作を繰り返すことで、八分節の暦までは、数を数えることが出来ない原始人でも、何の問題もなく実行可能である。しかし、太陽暦と月の暦をシンクロさせるためには、八分節の暦の刻み、45日を1/2から1/3に変えることが必要となる。45日を1/3とすることで、15日の刻みとすることが重要な点である。これにより太陽と月の周期をシンクロさせることが出来るようになる。
太陽暦は縄文土器の記録から、早期から前期には完成させていたと推測できるが、シンクロさせることが出来るようになったのは、中期になって 3が現れたときになり出来たことであると推測する。

二十四節気の暦はなぜ造られたのか、それは太陽の暦と月の暦とをシンクロさせ、太陽暦の利用を主とする地域と、太陰暦を主として利用する地域との交流を、円滑にするためのもので、そのことが目的で造られたものであると考える。チャイナではなく、縄文時代のこの時期に二十四節気の暦が完成したと推測できる。


太陽暦と太陰暦はその後も進化して、七十二候の暦となり、カレンダーとして七曜が成立して、月齢と太陽暦が一体となったカレンダーが造られていたものと推測できる。これは現代のカレンダーでも出来ていないことであり、現代のカレンダーを超えるものである。


土器の記録から推測する縄文時代のカレンダー 立春を年の始としてこの日の月齢を曜日に合わせている

太陽暦の成立時期は次の年表により、世界の何処の文明よりも早かったことが推察できる。

縄文時代に土器が早くから造られはじめ、土器の記録メディアとしての機能を如何に早くから利用していたかが理解出来ると思う。新石器時代の縄文時代は、遺物からの推測からではなく、土器に記録が遺されていたことから先史時代ではなく、歴史時代であり、シュメール文明より5000年以上前から歴史時代になっていたと考える。

360度の起源はこれを計算したことからと考える。
一年の暦から
太陽暦から  15日掛ける24節    360
太陰暦から  30日掛ける12月    360
一年を360日とするとズレが通常年で 5日となる  誤差は1%程度

古代文明では縄文時代以外、360日をベースとして閏月などを加えて季節のズレを補正していた。      

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