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土器の起源

土器が初めから煮炊きに使うことを前提して造られたこと、
また使えるようなものが初めから簡単に作られたとは考えにくい。
煮炊きに使用できる容器を作るには、粘土採取から始めて、加工法など
何段階かの開発努力が必要だったと考える。
初めから鍋として利用できる様なものが簡単に作れたとは考えにくい。
この試行錯誤の過程が見えないと難しいのではないか。

縄文時代とは何か
土器が造られるようになり
土器の特性を生かして
記録が遺されるようになった

土器の初めは、細かいマメ類の種を
採集するために始まった。
編み籠では目が大きくて
マメ類の種のみ小さくて、
麦やアワなど芒類を持つものと異なるため

目漏れしてしまうため
粘土が目漏れ目止めのため使われて
それから土器が造られるようになった
それは無文土器として造られた
目のない籠であるから、無文土器である。

採集対象のマメ類は食味にも優れていて
栽培することも試みられた
その技術も分ってきて
豆粒文土器はそれを記念して
それまで無文であった採集容器の土器に
豆粒文を土器に付けて記念するようになった
それはマメ類の栽培と食料としての価値を
隣の村に伝える情報伝達にも使われた

土器がメディアとして利用された
それまで情報の伝達には困難があったが
土器は永久に残ることで
情報伝達が主用途ではなかったか
新石器時代の意義とは土器の製作が始まったことである
それは土器により情報伝達が容易となったこと

土器の始まり参考文献

引用します----ーーーーーーーーーーー--
土器誕生の人類史的意義

縄文時代草創期の深鉢形土器( 横浜市花見山遺跡出土)
煮炊きの道具として生まれた土器は、
当初、丸い底であった。丸底の形状は現代でも一部の炊飯器に採用されているように、土器内に対流を起こして全体をムラなく煮炊きするのに効果的である。

縄文時代早期の深鉢形土器(千葉県香取市城ノ台貝塚出土)
器面上方に煤がみられる尖底土器。尖った底部をくぼめた地面に突き刺して、上方外側から火熱を加えて煮炊きに供したとみられる。すなわち、煮沸具であると同時に炉の一部でもあったと考えられる。

土器の出現は、オーストラリア生まれのイギリスの考古学者ヴィア・ゴードン・チャイルドによれば「人類が物質の化学的変化を応用した最初のできごと」であり、物理的に石材を打ち欠いて作った石器とは異なる人類史的意義を有している[14][15][16]。
土器は、粘土製でありながら、加熱することで、水に溶けない容器として作り出された道具なのである[15][16]。別の見方をすれば、石器は「引き算型」の造型であるのに対し、土器製作は試行錯誤しながらの加除修正が自由にできる「足し算型」の造型であり、作り手は自らの理想的な形により近づけることができるようになったともいえる[17]。

「煮炊き」の始まり
日本列島を含む極東地域における最古級の土器には煤状の炭化物が付着したものが多く、土器は、少なくとも東アジアにあっては、その出現当初から煮炊きの道具として使われることが明らかとなっている[17][18]。

人類が土器を知らなかった時代にあっては、食物を煮炊きすることは大変な苦労を要したと考えられる[19]。岩のくぼみ、地表面に露出した粘土層のくぼみ、木の洞といった場所にできた水たまりの近くで焚き火し、そのなかに人間の拳大の石を投げ入れて、木の枝などで挟んで水たまりに投げ込むといったような行動をとっていたものと考えられる[19][注釈 4]。

土器の発明は、生で食べるか、焼いて食べるかしかなかった食物の摂取方法に、煮て食べるというレパートリーを加えることに、大きく貢献した[18][20]。獣肉や魚貝類の多くは、新鮮でありさえすれば、生でも食され、かつ美味なものも多いが、植物性の食料の多くは生食に適さず、火熱を通して初めて食べられるようになるものが多い[20]。生では人間の消化器官が受け付けないようなものであっても、火熱によって化学変化を誘発させ、消化の可能な物質、甘みを増して美味でやわらかく食べやすい食料になることが多いのである[20][注釈 5]。

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