横田南嶺管長日記「不生の仏心」20240929の文章考察
南嶺老師はときどき盤珪禅師を採り上げる。円覚寺とは特にお寺組織や役職上の関係は無いと思うが、鈴木大拙の影嚮かもしれない。考えてみれば、鈴木正三もそうだろう。ただ、盤珪禅師は、今日の話で登場した黄檗希運との教えと、すくなくとも言葉として関連があるのはわかっている。臨済禅について本質である。また修行過程やスタイルも独特なものがあって、考えてみる価値の大きな禪僧だと思う。
内容は、佛心とはどういうことか、というものであって、盤珪禅師、黄檗禅師のスタンダードな解釈を挙げ、最後に朝比奈宗源老師の解釈を紹介する。勿論、言いたいことは朝比奈宗源老師風の解釈だろう。「仏心の中にあって坐禅しているのです。不生の仏心の中にあるということは有り難いことであります。」と〆ている。
文章の構成
1.盤珪禅師の悟りまでの修行
十二歳 『大学』講義、「大学の道は明徳を明らかにするに在り」、「明徳とは何か」、「明徳」を明らかにして、年老いた母にも知らせたい
十四歳 菩提寺の西方寺の寿欣上人について浄土門を学ぶ
十六歳 円融寺の快雄法師について真言の教えを学ぶ
十七歳 儒学者の指摘「禅宗の和尚が知っている」、赤穂の江西山随鴎寺の雲甫全祥和尚について得度、法名「永琢」を得る。
二十歳 初行脚
それ以降、語録中に「そこな山へ入りては、七日も十日も物を食らわす、ここな岩をへ入りては尖った岩の上へ、着物を引きまくって、直に居しきを岩に付け、坐を組むが最後、命を失うことも顧みず、自然とこけて落つるまで坐を起たず」とある。
二十四歳 故郷、赤穂の北にある野中村の小庵で修行、野中庵では一丈四方の牢屋のような小屋を作り、出入り口をふさいで、ただ食べ物だけを出し入れできるようにして、大小便も中から排泄できるようにして、ひたすら念仏や坐禅に徹する。極度に体を痛め、お尻が破けて、杉原紙を尻に敷いて、取り替えては坐禅。とうとう病に罹り、血の痰を吐く。更に食も喉を通らなくなり、七日程絶食、ついに死を覚悟。
「ひょっと一切のことは不生で調ふものを、今日まで得知らいて、さてさてむだ骨を追った事」と気付く。皆この不生の仏心でいればいいのだ。
2.黄檗禅師語録『伝心法要』(裴休筆)
《黃檗山斷際禪師傳心法要》卷1の冒頭の文、筑摩書房『禅の語録8伝心法要 宛陵録』にある入矢義高先生の現代語訳を引用
師謂休曰。諸佛與一切眾生。唯是一心。更無別法。此心無始已來。不曾生不曾滅。不青不黃。無形無相。不屬有無。不計新舊。非長非短。非大非小。超過一切限量名言縱跡對待。當體便是。動念即乖。猶如虛空無有邊際不可測度。唯此一心即是佛。佛與眾生更無別異。
「師は裴休に言われた。あらゆる仏と、一切の人間とは、ただこの一心にほかならぬ。
そのほかのなんらかのものは全くない。
この心というものは、初めなき永劫の昔よりこのかた、生じることもなく、滅ぶこともなく、形体もなければ、相貌もなく、有るとも無いとも枠づけできず、新しいとも古いとも定められず、長くもなく短くもなく、大きくもなく小さくもなく、どのような計量と表現のしかたをも越えてあり、どのような跡づけかたと相対的接近法からも遠く離れてあり、つまりは、そのものそのままがそれであって、それについての思念が働いたとたんに的をはずすことになる。
それはちょうど涯もなくて測りようもない虚空のようなものだ。
ほかでもないこの心こそが実は仏にほかならぬ。
仏と人間とは、だからなんら異なるところはないのだ。」
但是眾生著相外求。求之轉失。使佛覓佛。將心捉心。窮劫盡形終不能得。不知息念忘慮佛自現前。此心即是佛。佛即是眾生。
「ところが、すべて人間というものは、姿かたちにとらわれて、おのれの外に仏を求めようとする。
求めれば求めるほど、それは見失われるばかりだ。
こんな風に、自分の設定した仏のイメージでもって仏を求め、おのが妄執の心でもって本源の心をとらえようとしては、永劫の果てまで、おのが身を粉にして空に帰するまで努力しても、結局それをつかむことはできぬ。
ところが、一切の思慮をやめ、 思念をなくしてしまえば、仏はちゃんと目の前に現われてくるものなのだ。
この心がそのまま仏なのであり、仏がそのまま人間なのである。」
3.朝比奈老師の『仏心』
・仏心の喩え
仏心は永遠に生きどおしのものであるばかりでなく、広大無辺なもので、全宇宙をつつんでいる。私どもが生まれましたのも、死ぬという肉体の息のとまるのも、みな仏心のはたらきで、私どもはいつどこにいても、仏心からはなれることはない。
仏心はいつも浄らかな、いつも静かな、いつも安らかな、いつも明るいもので、一切の苦しみや、悲しみや、不安のない世界。死はその世界へもどること。
生と死というものは、ゆうべの夢のようなものだ。それはまた水の上に浮かぶ泡のようなもので、泡ができたからといって水がふえたわけではない。泡が消えたからといって、水が減りもしない。仏心の世界にわれわれが生まれてきたからといって、仏心が一塵を増したのでもなく、死んだからといって、一塵を減じたのでもない。
・坐禅修行について
禅は、実は、この仏心のうちにありながら、それに遠ざかりがちなお互いが、仏心に近づく修行。形を調えるのも、息を調えるのも、雑念妄想につつまれながら、思うまいと思えば、思わないようにコントロールする力をあたえてくれる。
■不生について
「不生」とは生じたものではない。誰かによって、あるいは何らかの条件によって作り出されたものではない。条件によって滅することもない。不生不滅の「素晴らしい」もの、と解説される。不生の佛心、これは諸法無我であって、諸行無常ではないということ、また因縁により発生する苦しみ、五蘊盛苦、四苦八苦、ドゥッカといったことに関わらないということ。
■朝比奈宗源老師の解釈
現代風と言及されているが、人の感情の部分に即して語るような法話の印象がある。朝比奈宗源老師の法話は全体的に情緒がある。今北洪川、釈宗演といった厳しめな精神についての法話が禅には多い(それは魅力なのだ)が、朝比奈宗源がこの基調を変化させたのかもしれない。南嶺老師も歴史的文献を引用しながらも、そのような感じで語るのだが、縁のあった松原泰道老師、小池心叟老師、足立大進老師も人の心に訴えるところが多い。
時代的な感覚の違いということかもしれず、盤珪禅師も当時にしてみれば、かなり優しい、情緒豊かな語りだったとも思える。その反面として、江戸の序盤には、鈴木正三、正受老人、白隠慧鶴もいたので、そちら側との対比も興味深くなるだろう。