短歌雑誌のこと
また押し入れを探しているウチに日が過ぎてしまいました。
今調べてみたら、私が買った短歌雑誌はたぶん、角川の「短歌」昭和61年12月号のようです。これは土屋文明の叙勲を祝う特集が組まれていて、たぶんそれで買ったのだと思います。ついでに万葉集の特集号でもありまして、3年次から万葉集ゼミに入る予定だったと言うこともあったかしれません。
昭和61年と云えば俵万智さんが角川短歌賞を取った年でして、この号にも作品「ジャズコンサート・IMA」21首が掲載されているのですが、前にも書いたように当時私は全く認識していませんでした。
知らないということは恐ろしいことです。
あと、買わなかったことで覚えている(笑)のが、「短歌」の昭和62年12月号。
神保町の岩波図書センター(今神保町ブックセンターです)で、買うかどうか迷っていたら、知らない女性に「短歌お好きなの?」って声を掛けられたんですよ。そのあと、「ミヤトウジって人、亡くなったんですね。」と言ったら、「あら、宮シュウジさんという方なのよ。」となぜかニコニコしたままその人行っちゃったんです。余りに恥ずかしくて私もそこからすごすご立ち去りました。あの人、誰だったんだろう?コスモスの人かしら?
それから覚えているのが「歌壇」の昭和63年3月号。
これはもう手元にないのですが、齊藤史の特集で『魚歌』の完全収録号だった記憶を手がかりに調べました。現代歌人の歌集を丸々1冊(雑誌収録版ですが)よんだのはそれが初めてだったのでとても印象に残っています。
TVに出た後、真面目に勉強しようと決めて買った雑誌なのになんで捨てちゃったのかな?
その後買ったのが「角川」と「歌壇」の63年12月号で、11月の終わり頃の卒論追い込み期だったわりによく読んでました。現実逃避だったかなあ?角川は寺山修司特集、歌壇は20代女性歌人特集でした。水原紫苑さんの名前はここで初めて知りました。
で、その角川に書いてあった「第35回角川短歌賞募集要項」をみて、50首作ろうと心に決め、原稿用紙に書いて送りました。卒論を提出してすぐ取りかかり、締め切りの(存在しなかった)昭和64年2月末日には間に合いましたが、3月に教員に採用されたことが分かり、卒業旅行がドタキャンだとか、着任したらそれこそ怒濤の毎日だったので、発表の6月号は買ってないどころか存在自体忘れていました。コピーしておく知恵も無く、今となってはタイトルすら覚えていません。手がかりは作者名の「佐藤理江」だけ。
ま、本当にそれどころではなかったので(笑)。
今日はこれで終わりです。
こんなまどろこっしい文章ですが、よろしければサポートお願いします。 あたし、いつもふと気づいたことはいっぱいあるんですが、ほっとくと忘れちゃうんですよ。 で、ここではもうちょっと落ち着いて深く考えてみたことを書いて見ようとしているんです。