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歌集『箱船』批評会あれこれ

 私は平成17年10月8日に第二歌集『箱船』で批評会を開催させてもらいました。会場は以前は神楽坂にあった日本出版クラブ会館でした。

 会場確保やパネリスト依頼をして要項がすっかり決まり、出席者募集の往復葉書を投函したときは、これでもう進むしかないのだ、とちょっと恐ろしい気持ちでした。

 歌集批評会には、お客さんとして参加したことは何度もあったので、それがどういうものか見当は付いていました。しかし、いざ自分がやるとなると想像以上に大変で、手伝ってくれた彗星集の仲間には言葉に出来ないほどお世話になりました。とくに幹事長の西村旦さんは出席者のとりまとめや会場準備、会計など、ほとんど何もかも取り仕切って下さいました。西村さんは当時の彗星集で、番頭さん的に普段からお世話下さっていた方です。

 この会のパネリストは、大野道夫さん、大松達知さん、川野里子さん、佐伯裕子さんが引き受けて下さいました。司会は加藤治郎さんにお願いしました。何の受賞歴も実績もない新人の批評会なのにとても豪華で、勿体ないことだと思いました。

 ただ、当時は今より結社に所属して短歌を作っている人が多く、ただでも土日は自分の歌会をお持ちな上に、10月は世の中的に行事の多いこともあって、欠席の返信を報告されるたびに、パネリストの方々と加藤さんに申し訳ない気持ちになったことを思い出します。

 名簿記載の35人には当日欠席者もいたし、参加者のうち彗星集が11人で、パネリストが4人という、今思えばささやかな会でした。

 それでも、パネルディスカッションが始まると、それが自分の歌集についての批評なのだということが信じられないくらいに、一番前の席で夢中になって聞いていました。

 発言の中には厳しい内容もありました。例えば「早口すぎる」、「作品の熱量が低い」、「決め球だと思っているのは自分だけの歌」などがそうなのですが、自分の持ち玉だと思っている社会詠や時事詠が全く通用していないと言う現実を受け入れざるを得ませんでした。

 それより何より、議論が始まる前からショックだったのは4人がレジメにあげた歌が、ほとんど被っていなかったことです。これは話題を呼ぶ歌がなかったということなので著者としては一番痛かった。

 後半の会場発言で佐藤弓生さんが「これで駄目なら社会詠はどう詠めば良いのか」と言って下さったのがせめてもの救いでしたが、これから作る歌はなんとかしなくては私に将来はないくらいに思いました。

 お花をもらって懇親会も終わって西村さんと支払いに行って、それから何人かで神楽坂のファミレスにいって、黒瀬珂瀾さんに何か慰めの言葉をもらった様な記憶があります。そんな落ち込んでるように見えたのかな?

 いや、やっぱり落ち込んでいたのだと思います。

 でも、それで次の歌集につながったので、というか、結局第6歌集にまで続く原動力になっているので良かったんだろうな。

 ありがたいことに『箱船』批評会については杉森多佳子さんが詳細なレポートを残して下さっているのでそちらもみて下さるとありがたいです。

 今日はこれで終わりです。

 あ・・・、
『箱船』はBASEのSHOPでも販売しています。こっちもよろしくお願いします(笑)。

 

 

 

 こんなまどろこっしい文章ですが、よろしければサポートお願いします。  あたし、いつもふと気づいたことはいっぱいあるんですが、ほっとくと忘れちゃうんですよ。  で、ここではもうちょっと落ち着いて深く考えてみたことを書いて見ようとしているんです。