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短歌研究創刊800号記念臨時増刊号「うたう」

 梨の実歌会では相変わらず「お気楽」というハンドルネームで活動していました。何となく結社には内緒という後ろめたさと、当時ネット上の短歌活動には欠かせなかった「電脳短歌イエローページ」というリンク集の五十音順で、荻原裕幸さんの次というポジションが気に入っていて、しばらくそのままでいいやという気持ちでした。

 その年(2000年)、6月の下旬に短歌研究の公式サイトで、当時としては非常に斬新な企画が発表されました。3年前まで「短歌研究」の巻末に連載されていた「うたう☆クラブ」を覚えている人も多いと思いますが、あの企画のもとになった「うたう作品賞」の募集です。

 5~10首をネットか郵便で送ると、9月上旬までを5タ-ムに分けて1次選考が行われ、各タームの応募作100~200通から3人の選者、穂村弘さん、加藤治郎さん、坂井修一さんがそれぞれ10名くらいを分担して応募者とメールか郵便でやりとりをするのです。

 応募者は自分を選んでくれた選者と何度かやりとりしながら作品をブラッシュアップし、最終的に30~50首に仕上げて2次選考作品として提出。そこから各選者が5作品を候補とし、集まった12篇を対象に最終選考。応募総数が750人、選者とやりとりをした応募者は46人で、受賞作は盛田志保子さんの「風の庭」50首でした。

 私は最終12人には残れませんでしたが、穂村弘さんとメールで5回やりとりをさせてもらい「オカアサンハシゴトガアルノ」30首で46人の中に入ることができました。

 750人の応募があったこと、選者とやりとりできたのが46人だったことは、もちろんその時は知りません。私は12月7日、「うたう」発行日翌日、期末テスト期間中の職場から1時間年休を取り、車でひとつ市をまたいだ駅ビルの本屋に買いに行き、下りエレベーターの中でそれ見たのです。

 私はその後、1時間以内で職場に戻り、何食わぬ顔で机の上に目立つように「うたう」を置いて、期末テストの採点をしました。

 お気楽改め、短歌活動は佐藤理江の名でやろうと決めたのはこれがきっかけです。

 「うたう」の後に「短歌研究」でうたう☆クラブがはじまって、私はそれにもせっせと出しました。2001年の4月から2002年1月までの間に穂村弘さん、小島ゆかりさん、加藤治郎さんに相手をしてもらいました。

 当然短歌研究も定期購読するようになり、梨の実歌会の常連さんの名前もしばしば誌上で見かけるわけですからそのことも励みになったのです。

 今日はこれで終わりです。


 こんなまどろこっしい文章ですが、よろしければサポートお願いします。  あたし、いつもふと気づいたことはいっぱいあるんですが、ほっとくと忘れちゃうんですよ。  で、ここではもうちょっと落ち着いて深く考えてみたことを書いて見ようとしているんです。