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第1歌集が家に届くまで

 第1歌集を出したときの話の続きです。
 
 「歌葉コース」での出版が認められてから、コンテンツワークスという会社と印税や装丁についてなどの決め事があったのですが、実務的なやりとりは全て荻原さんを窓口として行いました。

 表紙絵は高校時代からの友達であるジャンプ作家の浅美裕子さんに依頼し、彼女との交渉ごとも荻原さんにしていただきました。

 それらが終わって、原稿完成までのサポートを加藤治郎さんか穂村弘さんのどちらにお願いするかを聞かれまして、私は悩んだ結果、加藤さんにお願いすることにしました。足場を結社に置いている人の方が良いのではないかと思ったのです。

 私は463首をベタ打ちして加藤さん宛てに送りました。ゲラ保管用の封筒に中に、「こんばんは」で始まる挨拶文が印刷された紙がありましたので、私はどうやらこれらを最初すべてメールで送ったようです。(乱暴な送り方だなあと思いますが、こういう指示だったのかもしれません。)やがて加藤さんから大きな封筒が速達で返送されてきました。

 中には歌の採否についての〇△と、歌意や表現への疑義が赤で書き込まれたものが入っていました。それには凡例まで付けられていて、余りに丁寧なので私はとても驚きました。また、私が歌稿を送ったのはたぶん1月の終わり頃のはずなのですが、速達の消印は2月21日と押されていたのです。

 私はなにか励まされた気持ちになって歌稿に大鉈を振るってそぎ落とし、かつ、△の歌でもどうしても残したいものには手を入れて300首くらいにまとめました。目標に示された3月5日までに返送できたと思います。

 4月20日に送られてきたものには、もう一段上がって、歌集としての編集を念頭に置いたアドバイスが書き込まれていました。私はそれを元にして、章立てをして歌を並べ替えたり詞書きを入れたりと、本になったイメージを膨らませてゆきました。

 その時にも掲載に疑義のあるとされた歌に「?」が付けられていたのですが、どうしても譲れないと思ったものはまた手直ししてたものを送りました。(後で「この人ほんとに頑固なんだよ」と言われました・・・笑)

 その後何回もメールのやりとりがあり、宮柊二を「みやとうじ」と読んだ話の長すぎる詞書きも、疑義の残ったその部分だけ残してなんとか決定稿ができました。

 ゲラっぽいものは手元に残っていません。トンボの着いたゲラを見た記憶も、あるかないかあやふやなのです。もともとデータ入稿で原稿の修正もデータとして行っており、決定稿とゲラが違うはずないから、校正自体がなかったのかもしれませんが、本当に覚えていないのです。

 とにかくこれで、原稿を歌集のフォーマットに入れられるかなというころにはもう7月でした。この7月、わたしは初めて加藤さんと穂村さんに会う機会を得ました。歌葉で歌集を出した方の批評会が神楽坂であったのです。

 「うたう」のなかの写真で見た人が現実にそこにいることがウソみたいでした。その時にとってもらった写真は大切に持っています。

 そのあと加藤さんから解説を頂いて、自分も後書きを書いて9月の末にようやく1冊の見本をいただきました。奥付の日付は10月10日です。見本は扉の画質がちょっと粗いので本物に紛れていても開くとすぐ分かります。

それからまもなく小さいわりにやたら重たい段ボールが4箱、玄関に積まれて家族をとても驚かせました。

 今日はこれで終わりです。

 

 こんなまどろこっしい文章ですが、よろしければサポートお願いします。  あたし、いつもふと気づいたことはいっぱいあるんですが、ほっとくと忘れちゃうんですよ。  で、ここではもうちょっと落ち着いて深く考えてみたことを書いて見ようとしているんです。