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自分の思考を自在に操ることができる幸せ

朝から快調だ。何がいいって頭がいい。数学が解けるとか、発明を産み出すとかそういう意味ではなく、調子がいいということ。

頭の中にかかっていたモヤのようなものがさっぱりなくなって、脳の中の隅々までまで自分の手中にある感じ。

私の能力は私によって全部コントロールされている。

集中力も素晴らしい。2時間くらいは瞬きしている間に過ぎたよう。作業に没頭して、すっかり「フロー状態」になっていた。

チクセントミハイによって提唱された「フロー状態」とは、疲れを知らず、時間を忘れて作業を続けて、大きな幸福感を得るという状態を指す。

この状態に入るにはいくつかの条件を満たさなくてはならない。自分で意識して入ろうとしてもそう簡単に入れるものではない。

例えばその作業は創造的なものであり、目標が明確であり、難し過ぎず易し過ぎないといったふう。他にもいくつか条件がある。

その全てを今日クリアして、フロー状態に入ることができたのだった。

もちろん、その時間は忘我の中にいるので、何も感じていない。ただ、終わった瞬間の達成感は非常に満足度の高いものだった。

実は、最後の方は時間に追われた。あと30分で仕上げる!という焦りの中での作業になった。

しかし、決して〆切などに追われたわけではない。「この好調の波を逃したくない」そんな思いだった。今日の自分でこの作業を終わらせたら、きっといいものができる!そんな気分だったのだ。

予定の15分押しで、作業終了。

時間はあっという間に過ぎ、出来栄えもまあまあ。こんな日は滅多にない。

発熱している間は、時間だけはたっぷりあるので、ずっと何か書いていたが、逆の意味で時間の感覚がない。半透明のシールドの中にいるように、薄ぼんやりとした思考力では、いったいどれくらいやっているのか見当もつかなかった。

実際、起きている間はずっとやっていたはずだが、生産性と言えば、それは低かった。量といい、質といいお話にならない。

しかし目が覚めてから(平熱に戻ってから)その作業量に助けられたのも確かだ。日常の半分だとしても。

何はともあれ、自分の思考を自分の思うように自在に操れるということは、なんと幸せなことだろう。

頑丈な体に生まれついて、病気になることがほとんどなかったので、体力的に病気ってきついなというのは、予想の範囲内だったのだが、思考というものがこんなにくすむなんて想定外だった。

そう遠くない未来、高齢化して認知症にでもなれば、きっと今回のようにシールドの中にいることになるのだろう。

今のこの明瞭な瞬間を楽しみたい。書ける間はなんでも書いて行こうと決意を新たにした春三月。

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