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は5入り生活

5月はよくアラを探して過ごしていた。数ヶ月前までは受験という一つの目標が体いっぱいを満たしていて、いつもそれが漏れ出さないかと心配になっていたが、こうして大学生という安地についたことでポッカリと自分の意識化に穴が空いた感じだ。さらに自粛という風潮が追い風となって、より自身のこと、周りのことを鋭敏にかんじるようになり、良くも悪くも色々気づく結果となった。
まず家族のことだ。普段だと1日の6分の1ぐらいしか干渉することがないので、明るい家族だなあなんて思っていた。しかしこの時期は大半家にいたりとかすると率直にうざく気怠い。同じ人同士も会話を続けたりするとそれもやがて苦になるんだなということに気付かされた。弟はいわばゲー廃みたいな高校生で、家族の歯車の中であえて逆回りするようなクズなのだ。そんななので親の言うことは聞くこともしない。そのため母はよく暇そうな自分に頼み事やらなんやらをしてくるわけだ。私自身それはべつにどうでも良くすんなり物事聞く。しかしそれが不味かったのだなと思った。最近よく母が私に当たってくるようになったのだ。初めのうちは目に見える負担を私に分けてきたのだが、気を良くして精神面のストレスも無意識に分けているのだろう。これまでは流石に手が負えない。似たような話だと我が家はなにもしなくてもいい時期と極端にギスギスする時期がランダムで回るのだが、ギスギス期の時は基本的に私自身がうまく帳尻を合わせる役割を担っている。それが今月だったと言うのも嫌なことだ。しかしふとじぶんはなぜこうもしなければいけないのかと怒ったりもする。また父も気性が荒く、祖母も歳をとったと言わんばかりにボケてきたのも今月であった。今おもうとみんな流行病に気が滅入っているといったところなんだろう。しかしそれだからと言ってこうも固まってしまうと火で燃やしてしまおうかと考えたりする。そして弟を好きになる日はきっと来ないし、あいつはゴミだと思う気持ちは今のところ変わることはない。
もう一つは絵だ。4月になぜじぶんは絵を描くのかと悩みきつかったが、少し見えた気がする。わずかだが。今の課題が少しずつ波にに乗り始めた時、すごく興奮して生きているのが最高だと思った。もしdragをやったらこんな風なのかと思うときっと生きることがこれなんだろうと気づいた。あと今までは自分のうちを晒すだけの作品を作っていたが、それは自己ができてない証拠なんだと言うことにも気づき、少しずつでいいから口で意見できるようになりたいなと感じた。
最後にレッチリはサイコーのバンドということだ。あとやながみゆきもサイコーのボカロPである。皆聞け。

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