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私情

お久しぶりです。伊藤です。
この日記も書かなくなって9ヶ月近く経とうとしています。書かなくなったのは書けなくなったからですが、決して体を壊したとかじゃなくて単純に文に魅力も感じなくなったからでしょう。

最近はある意味生き生きしていますが、それは少し狂気的で間違っています。よく人と話すようになったのですが、その際自分には話すことが苦手なんだというか、経験がないんじゃないかと思うようになりました。面白いこととか話し上手とかテクニックがないのだなと感じます。しかしそこでどこか見栄を張ってしまうのが悪い癖で、実際には思っていないけれどいいだとか楽しいだとかおちゃらけてしまいます。これが何にもなっておらず、伝えるという重要性を捨てたのと同意でいかに良くないことなのか、常に反省です。しかしそうなると文章や作品というのはいい意味で時間がかかりすぎます。自分の中で丁寧に整理されたペースは思うことをきちんと伝えられる重要な作業で、改めて大切なんだと感じます。

同時に人間関係も色々ありました。きっと友達は増えたのですが、果たしていいものなのか、吟味していかないといけません。自分はどうも人のことを許しすぎてしまう気がして、相手の動向に興味がないようです。だから自分のテリトリーに入って来た人に露骨にいい顔をしてしまいますが、きっとそれは良くないことなのでしょう。苛立ってしまう自分がいることが何よりも証拠です。そして言動も曖昧にずれていって全くと言っていいほど噛み合わないように感じます。それはとても困ったことなのですが、同時に作品の内容に対して正面でぶつかるほどこうなっていきます。実にジレンマで困ったものです。

同時に自分とは何かと思います。自分の好きなことを否定された時、自分とは何かと感じます。自分の思っている考えを愛想もなく意見された時、自分とは何かと感じます。自分が友情でいじられてる時、自分とは何かと感じます。自分の作品を見た時無力だと思うと、自分とは何かと感じます。そんな日々です。ここで何を言っても伝わるわけでもないのでしょうが、言うだけ言っとかないとどうかなりそうなのでここに書きます。

きっとまた書き出すと思いますが、その際はゆるりと呼んでくれたら幸いです。では。

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