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グルグルマシーン

何事も、その意味を考えてしまう

たとえば、電車の照明。
その数、明るさ、大きさ。

たとえば、公園のベンチ。
その素材、幅、色。

たとえば、ラーメン屋。
器、ダシ、看板。  

他にも映画、音楽、絵画に文学。全てにその意味を見出そうとしてしまう。どんな想いで作られたのか、どんなメッセージが込められているのか。作者がそれを説明している言葉を見たり聞いたりしても「なるほど、そうなのか」と納得することは、あまりない。その言葉の裏に何か本当のことが隠されているのではないか? と想像してしまう。その人を疑っているとかではなく、好奇心に近い気持ちだ。

暫定的でも良いから、答えが出ればスッキリするけど、大抵の場合は出ない。いくつかの仮説を立ててみるけど、どれもしっくりこなくて、結局は投げ出してしまう。仮に、しっくりくる答えが出たとしても、真意かどうかはその作者にしか分からないからという、半ば諦めにも似た気持ちになって途方に暮れる。

他にも、人と会話したり電話やメールでやり取りしても、同じ現象が起きる。あの言葉、仕草、記号、絵文字、その一つ一つに何か意味があるのでは? と考える。その多くに意味はなく、空気のように発生したものだと言い聞かせる。でも、もし何か意味を持って発生したものだったら、それに気付けただろうか? と不安になる。体調悪いのか、おれ。いや、でも、ずっとこうだから、そうなんだろう。

最近、曲を作った。意味ばかり考えてしまうのに疲れたから、何の意味もメッセージもない歌詞を書いてみた。

ただ何も考えなければ、何も言葉は出てこない。だから部屋にある雑誌を乱読し、目に入った単語をノートに書き殴り、それをパズルのようにして並べていった。

よく「良い歌詞は、唄わずとも読むだけで作品として成り立っている」というが、唄わなければ「??」しか出てこない、そんな歌詞になった。

早速、友人に聞いてもらった。

唄い始めてからすぐ、気付いた。意味がないから、何の気持ちもこもらない。全く、感情が動かない。

唄い終わり、友人を見ると苦笑いしていた。

その苦笑いに深い意味がないことは、すぐ分かった。

暖房の効いていない肌寒い部屋の中で、変な汗をかいてしまった。

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