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カフェでの一部始終

今日も文章デッサンを書くつもりだった。

博多で用事があった僕は、少し早めに家を出て、目的の場所の近くで見つけたカフェに入った。

店内はワンフロアで、奥行きのある広い作りだ。入り口から見渡した感じでは、ほとんどの席に客が座っており、空席は見当たらない。注文する前に席を確保するため、店の奥まで歩いた。パソコンを開いて作業をしている人や、参考書とノートを机において熱心に勉強している人、スマホを見ながら笑っている人、友達同士で雑談している人など、様々な人によって埋まった席から、空席を探した。

店の一番奥にあるトイレの前に、ぽつんと空いている席があった。椅子にリュックを置き、席を確保する。財布とスマホだけを手に持ち、入り口にあるレジへと向かった。アイスコーヒーだけを注文するつもりだったが、レジ横に陳列されていたピーナツサンドが美味しそうだったから、ついでに注文してしまった。

トレイを抱え、席に戻る。ビニールで包装されたピーナツサンドを丁寧に取り出し、口へと運ぶ。細かく砕かれたピーナツが入っているのか、ザクザクとした食感が面白い。噛めば噛むほど、ピーナツの香りが口いっぱいに広がっていく。小学生の頃、給食でピーナツバターが出ると喜んでいたことを思い出し、懐かしい気持ちになった。味覚は昔と変わっていない。久しぶりに食べたが、ピーナツサンド、好きだ。

ピーナツサンドを食べ終え、アイスコーヒーで口の中を潤わせた後、文章デッサンを書くためにパソコンを開く。写真フォルダの中から、今日はどの写真にしようか悩んでいた。静かな店内には微かにBGMが流れている。ピアノとサックスの音が耳に心地よい。

その時、僕の少し離れた席から、女性の怒鳴り声が聞こえてきた。

「なんで電話でらんと?」

「あんた、何回電話したと思っとると?」

「どれだけ心配かけたら気が済むと?」

バリバリの博多弁で、早口に、滑舌良く、怒りの滲んだ声。声の主を探すと、少し離れた席にいる、中年女性だった。

オシャレなBGMの音を切り裂くように、女性の怒鳴り声が店内に響く。他の客は、チラチラと彼女の方を見ている。気にならない訳がない。

女性は1人客で、机にはパソコンが開かれていた。水滴のついたグラスの中身はアイスティーだろう。ほとんど飲み干されている。長い間店にいるのだろうか。

自分のことを「お母さん」と言っているから、電話の相手は彼女の子供なのだろう。少し色の落ちた茶色い髪を掻きむしりながら、怒鳴り続けている。

「警察に相談に行ったのに!」

「あれだけ、電話に出なさいと言ったのに」

なんだか結構ヘビーな話らしい。

僕は完全に文章デッサンのことを忘れ、彼女の電話に夢中になった。

「どこに行っとったと?」

「黙秘なんか出来るわけないやろ!」

母親に対して、黙秘権は行使できないみたいだ。

その後、約30分ほど同じようなフレーズを繰り返し、徐々に声のボリュームは収まってきた。

「……分かった」

その一言で電話は終わった。何が分かったのだ。そもそも何の話だったのか。ここまで聞かされたからには、ちゃんと教えてほしい。

電話が終わった後、彼女はイヤホンを付け、何食わぬ顔でパソコンのキーボードを叩き始めた。博多の女性は肝が座っている。

気を取り直し、僕もデッサンに取り掛かろうと思ったが、彼女の声が頭にこびりつき、全く集中できない。次の予定を考えると、カフェに居れるのはあと30分ほどしか無い。文章デッサンを書くのであれば、せめて1時間は欲しい。

諦めるしかない。

でも、何も書かない訳にはいかない。


無我夢中でノートパソコンに向かい、カフェでの一部始終を書いた。

文章デッサンは書けなかったが、とりあえず、今日の分の記事は書けたから良しとしよう。



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