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XXVII.奏でられるもの

野生に生きる賢く思慮の深い生き物は、自らがこの世に存在する意義を何かに求めるだろうか?我々人間のように。


賢く思慮の深い生き物は、生きる意味など求めずとも、それを、既によく識っている。

”我々生物は、いわゆる核酸分子“遺伝子”の生存競争のための、乗りものである”と述べた「利己的な遺伝子」リチャード・ドーキンス 著(The Selfish Gene 1976年)。一見、生物を詩的に説いたように見えたようだが、21世紀の今、そのストーリーは勘の悪い本質の掴み損ないであったことが分かっている。
”我々生物は、かつてこの世に生じたある細胞(それは単細胞生物であり生殖機能を持つ細胞)を生き永らえさせるための乗り物である”「生命とは何か」ボイスレンズバーガー(Life itself 1996年)
全く詩的ではない。テクノロジーの進歩とともに、分かれば分かるほどに驚愕を抑えられない細胞が生き永らえるための精巧な仕組み。その驚愕をそのままの表現したつまらない文。

熱力学第二法則と統計化学、化学合成や化学分析から冷静に導かれた答えは・・・生命は電子や分子を、その身に流し、常にそのものの形を変え続ける仕組み。今、其処に在る生きる姿、そのものが宇宙の潮流。宇宙の途切れぬ流れにできる模様が生命。この世に現れ生まれることは、この宇宙を創造したものと同じ力による。

”遺伝子は音楽における楽譜”「動的平衡2」福岡伸一2011年
これは美しく、明快な説明だと思う。そう、すべては今、ここに生き演奏する我々に託されている。すべての生物がこの世に歓喜を刻むために生きる。生きることは宇宙の歓喜。その奏を聞き、響きを捉えて歌い声を共鳴させる。

生命その本質、その起源、今生きるものの仕組みを知りたがる人間。

まず、感じられなければ、識れないことだろう。


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