インターネットやめろ!

最近はずっと、インターネットを辞めたとしたらどうやって生きていけばいいかというのを考えているのだが、「ふつうに働く」か「死ぬ」以外の答えがまったく出ず参っている。死ぬのは怖いので却下として、ふつうに働くというのも現実として考えられない。石を集めるとか、木刀を磨くとか、そういった生き方ができないものだろうかと苦悶する。石を集めて、木刀を磨いていたら、どこからか金の降ってくる世界であればどれだけ幸せだっただろう。実家にでも帰って、適当にニートでもやって、株やFXにでも手を出すか、とも考えるが、リスクはさておき、マメに何かをチェックするということができないので却下。副業だの何だのという魅惑的な文言と共に語られることも多い株やFXであるが、俺にとっては「ふつうに働く」以外の何ものでもないんである。

どういう心境の変化なのか分からないが、ここのところ、承認欲求というものがなりを潜めている。今まで、自分がどれだけ恥知らずな言動をインターネットで繰り返しても、次に出力する文章なり動画なりを考えていれば忘れることができた。しかし、今はもうそうではない。俺がインターネットに残してきたあらゆる足跡が恥ずかしい。今すぐ消えてなくなりたい、消えなくてはならない、と、特別なにかあったわけでなく、9月から、そういう強迫観念に頭を支配されているのだ。

今すぐ消えなくてはならない、という強迫観念によって、何度ツイッターのアカウントを消そうと思ったか分からないが、現実的に考えて消すことができない。応急処置としてフェミニストの存在意義を否定したが、だからといって別に何も変わらない。現実的な事を考えたら、秋になれば消せそうなので、俺の寿命はいったん秋までということで自分を落ち着かせているが、秋には元気になっているかもしれないし、それまでに耐えられなくなるかもしれない。などと考えているうちにアカウントは凍結されてしまった。団結力がすごいなフェミニストは。インターネットを辞めたからといって、じゃあ自分がどうなるのかと考えたって分からないけども、自分に何かを施す策が銀行強盗以外に浮かばない。牢屋で思考に耽りたいというのは大変危険な思想である。

街なんかですれ違う人の素性の知れなさというのが本当に心地よい。そもそも知らない人間のあれこれについて知りたくなんかないのだから、知らない人間のあれこれを知れてしまうSNSというのはちょっと困る。すれ違うだけでかまわないのに、プロフィール欄やアイコンがある。新宿駅なんかを遠くから眺めて、このひとりひとりに何年、何十年の人生があると考えると途方に暮れてしまうあの感覚は、きっと誰しも味わったことがあると思うんだけど、脳みそはそんな風に、途方に暮れるようにできているのならば、そのまま途方に暮れておくくらいがいいということなのではないか。いや、これはあまりにも身勝手か、何にしても、最近は、その辺を歩いて、知らない人とすれ違うのが楽しいですね。俺に関係ないから

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