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徒然草 ~二〇二一年九月十八日の段~

 台風14号接近の金曜日。そして土曜日18日。京都はそこそこの雨。土曜日も朝は小雨が残っていました。午前中は朝の買い出しだけで蟄居。午後に自転車で出掛けました。「あそこに行く!」って目的地が無い限り、通ったことの無い通りを通る様にしています。西大路を南下するのに一筋東に入って下がってみました。目前に珍しい風景を発見。小さな稲荷鳥居みたいな朱色の鳥居の連なり。なんやろと思って近づいたら駒札が立っていました。

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御土居駒札_IMG_20210918_171151

場所はこちら・・・

おどいいち_Screenshot_20210919_040033_com.android.gallery3d (1)

御存知の方には不要ですが、御土居とは豊臣秀吉が行った都市政策の一つ。京都の防御と“洛中”“洛外”の管理の為に築いた土塁(突堤)です。もちろん大半は撤去されていますが、駒札にも書かれている通り、市内に数か所残っています。加茂川中学の傍や玄沢下が有名で規模も大きく、まさに土塁を感じられます。上記の二か所は北の辺の端なんですが、ここは西側の一部ですね。ビックリしました。こんなとこに。調べて探せばもっと早くに訪れられていたと思いますが、偶然に見つかるのも面白いもんですね。これが京都の面白さ。。。ここでハッと「今日の徒然草は好きな歴史のお話を・・・」と思い次に向かったのは“武信稲荷神社”

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ここは坂本龍馬とお龍さんの軌跡が残る場所です。当時すでに「お尋ね者」だった龍馬さんとお龍さんが人目をしのんでお互いの存在を確かめ合った場所です。お互いの名前の「龍」の文字を刻んで健在を示しあったと言われた榎の大木があった場所。この榎、この他にもいわれがあり、この神社の直ぐ南にあった六角獄舎に捕らえられたお龍さんの父楢崎将作の安否を榎に登って確認したとも伝えられています。

たけのぶ1_IMG_20210918_173627

場所はこちら・・・

たけのぶさんいちScreenshot_20210919_040107_com.android.gallery3d

武信さんを知ったキッカケは、この神社の直ぐ北の長い商店街、三条会にあったおうどん屋さん・玉屋さん。店頭で回転焼きを売られていて、あんこのお菓子が好きな小生は良く通って請いにして頂いていました。こちらのお母さんから聞いて伺ったのが最初なんです。龍馬さんの好きな小生にはビンビン来る情報でしたww 美味しかった回転焼きも今は食べられませんが。。。残念。ちなみにこの商店街、かの金メダリスト・野口みずき選手がワコールに所属されていた時、雨の日に練習に走った商店街なんです。

次に向かったのは前川邸。言わずと知れた「新選組」の屯所だった場所です。

まえかわていIMG_20210918_174626

場所は・・・

まえかわていいちScreenshot_20210919_040129_com.android.gallery3d

ここも何度となく訪れた場所ではあるんですが、ふっと見たくなって来てみました。御陵護士の新選組加入をキッカケに近藤との新選組の行く末と考え方への齟齬を感じた、総長・山南敬助。新選組から脱走したのち捕らえられ、切腹まで幽閉されたのがここ前川邸です。脱走にも同行した(とされている)遊女明里さんと格子窓越しに最後の会話をしたという格子窓かと思っていた写真の格子窓ですが、調べたらこれではないそうです。残念ですが。そもそもこの明里さんとのエピソードも創作では? とも言われていますが、実際にあったことだと信じています。

京都って本当に“歴史”の舞台になった場所がテンコ盛りです。まだまだ見られていない場所がたくさんあります。過ごしやすい秋、訪れてみたいです。


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