かつて天才だった頃の俺へ
「美々須ヶ丘」
この劇は、かつて天才だった頃を思い出して、あんな頃に戻りたいなと思いながら、書きました。ぼくにもありました、かつて天才だった頃が。劇のこともまだ、何も知らない劇作を始めたての、20〜23歳くらい。「俺は才能がある」と嘯き、根拠のない自信だけを引っ提げていたあの頃のことです。
でも、劇を作れば作るほどに、経験を積めば積むほどに、自分の才能の底を痛感してしまって、傷つくことばかり上手になって、いつの間にか自分の才能のなさに諦観を抱くことも増えてきました。
「俺には才能なんてなかったんだな」
これが分かったのは、映像の会社がキツくて辞めてニートとなった24歳から26歳くらいの頃。明確な出来事があったわけではなく、ゆっくりと、ぬるい毒がまわるように倦んでいきました。
そんな頃を支えてくれたのが前の奥さんです。
ぼくが働いてた映像の会社の親会社で働く後輩でした。
「きみには才能があるから」
と、言い聞かせるように何度も何度も言ってくれました。ぼくがただ、ひたすらに、底抜けに倦んでいたことを彼女も理解していたのだと思います。努めて明るく言ってくれました。
それから幸運にも、かもめんたるのお二人と出会い、せいさんやいまの自分のホーム劇場、三栄町LIVEと出会い、二人でなにか、団体のようなものを作ろう、となりました。
もう自分の名前とかは入れたくない、恥ずい、と駄々をこねるぼくに、彼女は「きみはすぐ責任から逃れようとするから」と念を押され、やむを得ず「fukui劇」となりました。ちなみに彼女が提案した名前は"fukui脚本"でしたが、団体名として意味がわからなすぎるし、何より語呂がキモすぎたため、最後に劇、と付けました。fukuiと、小文字にしたのは、「自分なんて」を表すためのぼくの小さな抵抗です。
そこからの3.4年はかなり目まぐるしくて、
少しずつ、ほんの少しずつあの頃よりも仕事も増え、好きなこともやれつつ忙しくなって、ふくよかな体はより肥えていきました。
でも確かに「fukui」と名前を入れることによって責任感も増した気がします。
「籍を入れたって何も変わらない」と押されるままに結婚し、そして今も愛してやまない息子が生まれました。
でもそんな彼女はもういません。いなくなりました。すべては自分の至らなさのせいです。
自分にもっと甲斐性があれば。あの時、彼女の真っ暗なしじまと向き合うことができていれば。今でも考えるのです。何故こうなったのかを。
(このへんの思いの丈は昨年作ったエンドロールライナーという劇にすべてのせました。映像観たいという方は是非ご一報ください。一緒に観ましょう。隣で泣いてると思うけど)
幸せをすべて失った後に思い出すのは、かつて何も怖くなかった、天才だった頃のことです。
美々須ヶ丘の榎田なんかよりももっとザコ、ザコ中のザコだった、でも天才と信じてやまなかった頃の自分です。
思えばぼくは天才にはなれませんでしたが、幸運にも、逆立ちしたって勝てそうもない錚々たる天才を近くで見て学ぶことができました。
川村毅さん、岩崎う大さん、寺内康太郎さんのことです。
他にも圧倒的な天才が、若さ溢れる才能が、ぼくの前を横切って行きました。
でも今は、そんな天才たちに叩きのめされることも、悔しくて眠れなくなることもなくなりました。
これは諦観とかではなくて、ニセモノにはニセモノの、戦い方があると知ったからです。
急に美々須ヶ丘の話に戻るんですけど、作中で櫨田の「それで何が満たされるんでしょうね」という問いかけに「満たされるものなんてなにもないですよ」と詠香が答えるシーンがあります。
あれはぼくなりの、ニセモノとしての一つの誠意だと思っています。意図は言いません。是非読み取ってみてください。
なんかあとがき、みたいになっちゃいましたが、まだまだ続きます、美々須ヶ丘。
あとは怒涛の4ステージを残すのみとなりました。まだ迷われてる方、一回これ、騙されたと思って観てください。
騙されるんで。いい意味で。
ちょっとあなたの心に、意味のわからない感情を、塗りたくらせてください。
まだまだお席あります。千秋楽とか千秋楽とか千秋楽とか。引き続き、よしなに。
fukui劇 劇長
福井しゅんや
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