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夕陽が太平洋に沈む時 【第1話】 剛史は、麻衣の問いに対して、数秒間考えを纏めているようであった。 私は彼を困惑させるような質問をしたのかしら。随分と返答に窮しているようだわ。 剛史は口を開いた。 「好みだ、好みじゃない、と単純に返答出来るような性分ならば楽なのだろうが」 「返答して下さらなくてもいいわ。貴方を困らせるつもりで言ったわけじゃないから」 「困っているわけではない。出来るだけ論理的に答えようとしているだけだ。そうだな、このような例がいいかな。こ
夕陽が太平洋に沈む時 【第1話】 「いいわ、どんな分野だって初めての時がある。とりあえず原文に忠実に訳して、特許特有の言い回しはあとで直してもらえばいい」 麻衣は翻訳を始めた。 しかし特許明細の翻訳はそう単純にはいかなかった。何回読んでも何通りにも取れるような文章が多かった。それでもようやく1枚目の翻訳を終えた時、PCの時計は午後8時を示していた。 外資系企業であることもあり、クリスマスイブのその晩には、家族のある社員、あるいは若い女性はすでに退社していた。苦
夕陽が太平洋に沈む時 【第1話】 ベッドは乱れ、招かれざる客の匂いが染み付いている。 麻衣はひたすら、叶の存在、声、匂い、手の感触、窪んだ瞳、麻衣の下半身で繰り広げられた行為を、拭って、洗い流して、擦り取って、記憶の中から抹消したかった。 叶を訴えるべきか。 答えは簡単には出ない。 外に立っているのが誰かを確認せずにドアを開けたことが、再度悔やまれる。 麻衣はベッドからシーツを剥がし、丸めてクローゼットの奥に押し込み、ベッドには香水を多少過剰に振り