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夕陽が太平洋に沈む時 【第1話】 「いいわ、どんな分野だって初めての時がある。とりあえず原文に忠実に訳して、特許特有の言い回しはあとで直してもらえばいい」 麻衣は翻訳を始めた。 しかし特許明細の翻訳はそう単純にはいかなかった。何回読んでも何通りにも取れるような文章が多かった。それでもようやく1枚目の翻訳を終えた時、PCの時計は午後8時を示していた。 外資系企業であることもあり、クリスマスイブのその晩には、家族のある社員、あるいは若い女性はすでに退社していた。苦
夕陽が太平洋に沈む時 【第1話】 「結婚したからって何も複雑に考えることはないよ。君は、今までの仕事やライフスタイルを続けたければ続ければいい。僕よりも早く起きて飯を炊いて待っていろなんて言わないよ」 「わかってるわ。そんな人だったら結婚しなかった」 「その代わり僕が浮気をしてもガタガタ言うなよ、とも言わないよ。浮気したくなるほど僕達の気持ちが離れてしまったら別れよう」 「ハネムーンなのにもう別れ話?」 麻衣は軽く苦笑する。 剛史が本気でそう言っているのか否
本文 日中は、クリスタルの欠片を散りばめたかのごとく輝いている太平洋も、夜のとばりが下りたあとは、闇の中で時おり波音を立てているだけである。 麻衣は、漆黒の中に目を凝らして何かを探してみようとするが、そこからは一糸の灯りでさえ浮かんで来ない。 背後からは50年代の音楽が流れて来る。エルヴィス・プレスリーのlove me tenderである。ホテルの部屋のサイドテーブルから流れて来ている。 麻衣はバルコニーの椅子に腰を降ろした。ルームサービスから届けてもらっ
夕陽が太平洋に沈む時 【第1話】 二人は叶のホテルの部屋に着いた。 叶はドアを開いて麻衣を中へ促す。部屋の奥にはベッドの端が見える。 麻衣は、仕事においては叶を尊敬し信頼している。 とは言え、叶も男である。夜間に男の部屋へ誘われる、ということの意味を麻衣は知り過ぎるほど知っている。南国のリゾートホテルの一部屋で一緒にワインクーラーを飲んで、「また明日」、と帰してくれるであろうか。強引に誘いを振り払って、気まずくなっても困る。明日も撮影があるのだ。 こ