【25歳の誕生日】薬学生が20代前半を振り返る

おはようございます!本日わたくし25歳になりました。

25歳ですがまだ薬学部6年生をしております。まともに社会に出ていないのにアラサーとなってしまいました。しかも就職予定の企業が研修期間がとても長いので、一人前に働けるようになるのは27歳からです。4年制大学卒の人よりもはもちろん、ストレートで薬剤師になった人よりも遅れている身ですが、恥ずかしさを感じているわけではなく、大人になったので早く社会に出て仕事をしたいんですよね。まだ「仕事辛い。大人ってつらい。」とか思ったことがないので早くその感情を味わうという経験をしたくて。気持ちが先走るときがあるというか。

というわけで、今日から20代後半に属するわけですが、これまでの、特に20代前半の自分を振り返ってこれからの教訓としていこうということで語っていきます。

私は20代前半はずっと厄年なんかなと思うくらいたくさんの様々な挫折を経験しました。でもその挫折のおかげで、今後生きていくうえで大切なことをたくさん学んで自分でいうのもなんですが、人間としてものすごく成長しました。本当に死にたいと思った時もあったくらいつらかったけれど、20代前半の自分がなかったら今後会社首になってたかもしれないし、友達いなくなっていたかもしれないし、多分孤独な人生を歩むことになっていたんじゃないかなと思います。それくらい成長したと思います。

なので、この経験を無駄にしたくないので、ちゃんと目をそらさず振り返ります。

まず、挫折を経験し、「自分は超人じゃないから苦手なものをすべて克服することはできないんだ」ということを学びました。

これは、つまり「無理しすぎるな。諦めろ。」ということです。

私はもともと「血」とか「手術」とかが凄く苦手なタイプでした。それでも、薬学部に入って学生時代にちょっと我慢すれば、薬剤師免許も取れるし、安泰だなという思いから薬学部に入りました。
結局、私には「薬学」というか「医療系」の勉強が全く合いませんでした。授業では血の画像を見ることもあるし、勉強して「手術」とか「TPN」とか「生殖器系」のことを学ぶと手の力が抜けてすごく辛かったです。薬学部に入ったら先端恐怖症にもなりました。それに加え、薬学部は一生懸命勉強しないと普通に単位がとれないので、勉強する内容が苦手なうえに勉強することも辛いしで、本当に過酷でした。

自分が薬学部を選んだので、自業自得です。なので、頑張らないと大学時代が無駄になってしまうと思って、とにかく毎日頑張ろうと自分を鼓舞しながら生きていました。

でも、実際は、「頑張らないと」と思うだけで全然勉強に身が入らなくてスマホ依存症になってしまったし、診断されたわけではないけどおそらく精神疾患になってしまったし、自分がどんどん崩壊していくのが分かりました。

高校生までは、習い事を本格的にやりながら勉強も頑張っていたので、「頑張らないと」と鼓舞しながらちゃんと行動も伴っていました。でも、薬学部に入ったら、頑張れない自分に変わってしまい、そんな自分が本当に嫌で、おかしくなってしまったんだろうなと悲しくもなって、それがさらに精神的に追い詰める原因となりました。

言い訳が長くなってしまいましたが、そこから、私はなかなか変わることができずに一人で考えこみました。自分がどうすべきか、いつ選択を誤ったのかを考えた末、自分が本当につらいことをこんなに頑張っても辛いだけだし、行動が追い付いてくれることはないんだろうなと察しました。たしかに思い返せば、私は自分がやりたいことに対する執着がすごかったなぁと。自分がやりたいこと、望んでいることの方に体が動くというか、そんな人間なんだなと自覚できたんです。

私は就活の時にこの反省をずっと頭の隅に置きながら、自分の就活での「軸」としました。

「自分が苦手な方にわざわざ進むな。」

薬学部に入ったらもちろん薬剤師の免許を取得したからこそできる仕事をやるべきだと「私は」思います。なぜなら親に面目ないからです。でも、私はその路線から外れる選択肢もあるような企業に行こうと決めました。自分が選択して薬学部に進んだけれど、「やっぱり医療系は無理だった。ごめん。」と諦めてばりばりの医療系ではない企業に進みました。もちろん薬剤師として働くんですが、もし親だったら、もっと薬剤師として昇進できるような企業(病院とか)に行ってほしいと思います。でも、私は諦めました。

わざわざ自滅しに行くのはさらに迷惑をかけると思ったからです。

自分はいい選択をしたなと思っているし、まだ働いてはいないので、どうなるかはわからないですが、この選択はおそらく悪くはないと自分では評価しています(笑)


「理想の自分を目指すのではなく、本気になって頑張れる自分を目指す」
これも就活の時の決め手となった考え方でした。

よくダイエットの広告で、「理想の自分になろう」という宣伝文句でものすごくスタイルのいいお姉さんが出てきますよね。私は10代も含め最近までいつもこのような「理想の自分」を追いかけながら生きてきたような気がします。

でも、これは自分には合わない目標の立て方だということが分かりました。もちろんこれで頑張れる人も大勢いると思うので、私はそういう人がうらやましいです。

でも、理想の自分っていわゆる夢見ているだけな気がします。先程、頑張れる人は大勢いると言いましたが、おそらく成功して本当に理想の自分になれるのは一握りだと思います。

わたしは、その一握りの存在にきっとなれると信じて、いつまでも理想の自分をかなえようと夢を見ながら生きていたんだなと思います。

それよりも、自分が今できることや楽しいと思えること、頑張れることに熱中して、結果的に出来上がる自分の方が100倍「自分らしい理想の姿」になれると思います。

つまり、理想の自分に近づく過程に目を向けようと決めました。なんなら私は「理想の自分」を設定することもやめた方がいいなと思いました。
「ある努力」をして、結果的に自分がどんな人間になるのかなど想像できないからです。20代前半で、いろんな経験をして理想の自分とは全く違う自分になったけれど、そうして回り道して道を逸れていってもそれが自分の生き方であって、その分想像もしていなかった思いがけない貴重な経験ができるということに気が付いたからです。そしてそのおかげで自分が思う充実して幸せに生きる価値観も変わったからです。

「今の自分」は完璧でないからこそ、いろんな経験をしてもっと広い世界を見て自分を磨き上げて成長させる方が自分は楽しく生きることができそうだと思いました。

理想の自分を追いかけたり、人生設計を完璧に構築したりすることはなかなか簡単にできることではないので、それも素晴らしいことだと思いますが、それだと自分の世界がそれ以上広がらない気がしました。

私がいう「世界」というのは、海外とかそういう意味ではなく「様々な思考回路」「様々な価値観」というイメージです。

いろんな人といろんな会話をして楽しく過ごしたいんです。

そして、この気付きから派生して得た教訓もありました。それは、
「一番身近にいてくれる家族や友達は大切にする。」

先程言っていた理想の自分をかなえようとして、周りが見えなくなった時、友達を失ったら元も子もないな、とふと思ったことがありました。
知り合いにインスタグラマーとして成功したいからという理由で友達をすべて切った人がいました。そんなふうに私はなりたくありません。幸せの価値観は人それぞれなので、その知り合いの考えを否定しているわけではなく、自分は絶対にそういう風になりたくないということです。(いや否定してるのかなこれ)

自分が大切にしたいもののなかで、「友達」という存在がかなり大きい割合で占めているので、自分の理想を追いかけるよりも、まず自分の周りにいてくれる人を大切にしないと自分は崩壊するということに気が付き、20代前半では本当に友達を大切にしながら生きていたと思います。


以上が、これから20代後半を生きていくうえで忘れたくない教訓です。

こんなに語っていますが、実生活では語らないように細心の注意を払いながら生活しています(笑)
noteでしか語れません。

以前マッチングアプリでお話しした方に、自分語りをされたことがあったのですが、全然説得力がなく、自分語りすることのリスクをその時に身をもって感じました(笑)

まずは25歳をどう生きるかについてですが、国家試験に受かることだけを考えて2月までは過ごそうと思います。

そのあと、就職してからは、またいろんな悩みが出てくると思うのですが、その時にこのnoteを見返して、過去に起こした失敗を二度繰り返すことのないように最善の選択をしながら日々過ごしていくことが目標です。

長々と語ってみました。
お読みいただきありがとうございました。


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