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平成の恋2:カルティエのリング

長男を亡くしてしばらくしてから、私は次男も死産で亡くした。

産後、職場に戻ったが、私は全く仕事ができなかった。自分でも信じられないような不手際やミスをやらかしてしまう。
あとからわかったことであるが、この時、私は精神的にかなりダメージを受けていた。

その頃の私は、会社の研究所に配属されていた。
研究所に所属しているとはいっても、研究能力は、プロの研究者には到底及ばない。それでも一応、研究に携わる人間として、それなりの働きをしたかった。しかし、ただでさえ力量不足のうえに、心身共に不調で、何をやっても失敗ばかりだった。

そんな時、また不手際をやってしまった。
仕事では、いろいろな研究者の先生と職場のスタッフが交流を持つ機会を作ることも、重要な職務の一つとされていたのであるが、その頃、私が招聘した先生が、職場でのウケが悪かった。
なんでこんな先生を招いたのか、と上司に怒られた。

先生と私は、学会で少し言葉を交わしただけの関係だった。
先生のルックスはジャニーズ系のイケメンで、私は初めて会った時、自分の顔がニヤけて元に戻らず、とても恥ずかしかった。何を話したのかも覚えていない。
たぶん、典型的な一目惚れだった。

そのため、先生の人柄などはよくわからなかったが、研究実績は調べればわかる。私には理解しきれないこともあったが、先生がかなり有益な研究をしていることは私にもわかったので、招聘することに決めた。

しかし、先生は我々に対し、あまり真摯とは言えない対応しかしてくれなかった。
事前の準備段階から協力的ではなく、当日のパフォーマンスも散々だった。
先生が右手の人差し指にカルティエのリングをしていたのも、それに気づいた人には、あまり印象は良くなかったようだ。

ずいぶん後で知ったことだが、この時、実は先生も精神的にダメージを受けていたようだ。
先生をよく知る他の先生方から聞いたところ、私から仕事のオファーを受けて、これを引き受けるべきか否か、深刻に悩んでいたそうだ。最後は、私が先生の携帯に電話をかけまくり、半ば無理矢理、承諾させるような形で押し切ってしまった。

あの時、一言、今は体調が悪い、と言ってくれれば、また別途、機会を作ることもできたのに。
そうすれば、先生にとっても、私の職場にとっても、もっと幸せな結果になっていたのに。
先生は最後まで、体調のことは何も言わなかった。

先生と職場でオフィシャルに仕事をした後は、一緒にランチをした。最初は研究内容など、お堅い話をしていたが、そのうち、先生の年齢とか、独身であることとか、好みの女性のタイプとか、ざっくばらんな会話になった。

先生の好みのタイプは、金髪の白人美女とのことだった。半分冗談だろうと思った。私の上司が「そういう女性を得るために、具体的にどんな努力をしていますか?」と軽口を叩いたところ、先生は「今、一生懸命、論文を書いています」と言う。

完全に「???」な我々に、先生は熱く語った。
「日本の研究レベルは、海外に比べてまだまだ低い。そして、研究成果を英語で発表しなければ、世界では認められない。だから自分は英語で論文を書くことにこだわる。自分は日本の研究レベルを向上させたい。そうなれば日本人も世界で認められて、白人美女に惚れられるようになるだろう」

最後の論理は、完全にぶっ飛んでいると思うのだが、いたって真剣に言っているらしい先生に、返す言葉はなかった。
研究者って、どこかぶっ飛んでいるところがないと、やっていけない仕事なのかもしれない。
日本の研究レベルの向上。私は自分がそんなことに貢献できる気はしなかったが、少なくとも、それを目指して仕事をしようと思った。

その後、先生とお揃いのカルティエのリングを買って身につけるようになった。仕事が辛い時は、たくさんあった。自分は無能だな、と思い知らされるのが何より辛かった。
それでも、カルティエのリングをしていると、自分にも少しだけ、日本人の研究者としての魂が宿るような気がしていた。

そして随分、時間はかかったが、私は一本の論文を書いた。それは、英語版も作成された。
世界のどこかに、それを読んで、日本の研究レベルを評価してくれた誰かがいるだろうか。

後日、風の便りで、先生は結婚したと聞いた。おそらく相手は金髪の白人美女ではないだろうとは思うのだが、先生のことだから、どうかわからない。
いずれにせよ、幸せでいてほしいと思う。
ぶっ飛んだことを考えていてほしいと思う。

職場の人には言えなかったけれど、こんな私でも論文を書けたのは、先生が私に、日本人としての、研究者としての魂を教えてくれたおかげだった。
カルティエのリングは、今はもう、ジュエリーボックスでずっと眠っている。




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